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最近、「長崎」のワードを見聞きすることが多くありました。ヒプノセラピーのクライアントの方の出身地が長崎県だったり、居住地が長崎市だったり、父親の実家が長崎だったりしていました。また、ワークや調査で肥前国(佐賀県・長崎県)が出てくることが多くありました。さらに、テレビ朝日のモーニングショーに出演する長崎大学病院で日本ワクチン学会の森内浩幸理事も気になっていました。

 

個人的には「長崎」のイメージは、「原爆の被爆地」「隠れキリシタン」の印象が強く出て来ます。いずれも多くの人命が失われた惨劇の地であり、悲劇として多くの人たちの脳裏にあると思います。しかし、悲劇の裏で一部の権力者が命を犠牲にして金儲けをしていたことが隠されてきました。《広島、長崎の原爆投下と原爆傷害調査委員会》には、金のために日本の人たちの命が犠牲にされてきたことが書いてあります。

 

広島、長崎の原爆投下の目的は、原爆の威力の確認と被爆者の医療データを収集することでした。日米共同の原爆傷害調査委員会が被爆地の健康調査を行ってきました。最終的に、人体実験とデータ収集であり、金儲けに繋がります。また、長崎の地は、鎖国時代の出島の存在により、オランダを中心とするキリスト教と深く関わってきたことから、弱者を隠れ蓑にした同和の闇が浸透していました。

 

過去のワークから「裏のキリスト教の教義は、いかに松を取るかが神への奉仕」と分かっています。権力者の隠れキリシタンへの弾圧により、多くのキリスト教信者が処刑されてきましたが、その裏では、松果体収穫が行われていたのです。長崎の地は、歴史的にも、大衆の目に分からないようにして、裏で人命を犠牲にして金儲けする工作の闇が置かれた土地でした。長崎は湧水の地でもあります。

 

松果体収穫を主とする工作の闇は、水の地である長崎を封じるための仕組でもありました。「長崎」のワードが来ていることがサインだと感じて、長崎県と長崎市について調査とワークを行っていきました。長崎県は、日本の九州地方に位置する県で、県庁所在地は長崎市です。五島列島、壱岐島、対馬など数多くの島嶼を含み、47都道府県中最も島が多いことで知られています。

 

「長崎」という地名の由来は、次のように長崎氏よりといわれています。長崎氏は桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の流れを汲む氏族であり、長崎県の名の由来になったことで知られます。現在の長崎県庁舎付近の長い御崎に館を構え、長崎港界隈の深堀から時津までの広い範囲を領していた九州千葉氏の一族が、九州長崎氏を名乗ったことを起源とする説があります。

 

また、代々伊豆国田方郡長崎村を領し、その地名を苗字として、鎌倉の執権である北條氏の筆頭御内人である桓武平氏長崎氏の一人が九州に流れ(九州長崎氏)、長崎湾の奥を領して地侍になったと長崎甚左衛門純景がその系図で主張している説があります。「長崎甚左衛門純景(長崎純景:ながさきすみかげ)」は、長崎開港の祖とされ、長崎のキーだと感じました。

 

長崎純景(1548年?-1622)は戦国時代・安土桃山時代の城主です。キリシタン大名で、洗礼名は「ドン・ベルナルド」です。大村純忠は岳父であり、戦国時代には大村氏に従属していました。肥前国西彼杵郡長崎に拠()り、祖父・有馬康純が長崎氏の養子に入り「長崎」を名乗りました。長崎純景は、大村純忠の薦めによって長崎をイエズス会に寄進した為、所領のほとんどを失いました。

 

14代長崎甚左衛門の代に大村純忠の家臣となり、長崎港を開いて交易の準備を進めました。長崎純景の御魂が光に還るよう意図して光を降ろすと「ロスチャ系。工作員」と伴侶が伝えて来ました。長崎開港の祖・長崎甚左衛門純景は、イエズス会と繋がったキリシタン大名であり、欧州の闇の工作員でした。キリシタン大名の大村純忠は、イエズス会と繋がり武器を輸入していました。

 

イエズス会に長崎港を寄進し武器を輸入したキリシタン大名・大村純忠》にありますが、歌舞伎町一帯は、池と湿地と森で囲まれ大村の森と呼ばれ、鴨場でもあり、肥前国(長崎県)の大村藩主の大村氏の土地でした。日本初のキリシタン大名・大村純忠は、長崎港を開き、鉄砲などの武器も輸入していました。当然、松果体収穫も行っており、水の地を封じるために同和の闇が置かれたのです。(つづく)