東京オリンピック・パラリンピックのシンボルである「東京2020エンブレム」に採用された作品は、制作者・野老朝雄(ところあさお)の「組市松紋(くみいちまつもん)」です。東京2020エンブレム公式サイトには、『歴史的に世界中で愛され、日本では江戸時代に「市松模様(いちまつもよう)」として広まったチェッカーデザインを、日本の伝統色である藍色で、粋な日本らしさを描いた。
形の異なる3種類の四角形を組み合わせ、国や文化・思想などの違いを示す。違いはあってもそれらを超えてつながり合うデザインに、「多様性と調和」のメッセージを込め、オリンピック・パラリンピックが多様性を認め合い、つながる世界を目指す場であることを表した』と記載されています。市松模様とは、格子模様の一種で、二色の四角形(正方形または長方形)を交互に配した模様です。
英語、またこれを借りた外来語のチェック(チェッカー)に相当します。市松模様は、古墳時代の埴輪の服装、法隆寺や正倉院の染織品にも見られ、古代より織模様として存在していました。公家の有職故実では「石畳」「霰(あられ)」などと称されていました。そのため、家紋や名物裂など江戸時代以前から存在するものは石畳文様と呼ばれます。市松模様の名前の由来は、歌舞伎役者の初代佐野川市松です。
江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川市松が江戸の中村座で上演された「心中万年草」(高野山心中)で小姓・粂之助に扮した際、白色と紺色の正方形を交互に配した袴を履いたことから人気を博しました。市松はその後もこの模様を愛用して、浮世絵師の奥村政信、鳥居清重、石川豊信らがその姿を描いたことから着物の柄として流行しました。市松模様に「松」があり、松果体の支配に繋がると感じます。
《RR復活 RAPT理論》には、『フリーメイソンロッジの床にも「市松模様」があしらわれています。今回のオリンピックエンブレムの「市松模様」は、このようにいろいろな場所で、使われています。この「市松模様」は、「善」と「悪」を表すと言われています』とあります。オリンピックがフリーメイソンの松利権の祭典であるので、市松模様のデザイン作品が採用されたのは、当然の事だと思います。
個人的には、市松模様は、「光」と「闇」を拮抗させること、「真実」と「嘘」を混ぜることの意味があると感じています。また、《Yahoo!知恵袋》の「野老朝雄、パクってますか?」のベストアンサーには、『パクッってかどうかはわからないけど、創価学会のシンボルマーク、紋章が似てるっていわれてるね。』と記されており、画像も載っています。
東京2020エンブレムの東京オリンピックのマークと東京パラリンピックのマークの2つが、創価学会の2つのマーク(円形の花模様と鶴丸の家紋)に確かに似ています。丸(○)と鶴丸のマークは、いずれも「松取り」と深く関係しています。《曹洞宗大本山の永平寺創建に関わった秦氏の末裔・波多野義重》から「丸」は、図形の丸(円形)を一筆で描いた禅の「円相」に重なります。
「囲うこと」で「自分の物にする」という所有のエゴを暗示し、松取りの専門部隊としての古代和邇氏の「和」に繋がります。また、《日本航空のロゴ・鶴丸と同じ肥後国・和仁氏の家紋・鶴の丸》にありますが、鶴丸は、松取り工作部隊の肥後国・和仁氏の家紋に由来しています。また、鶴丸のマークは、「剣(つるぎ)で囲う」という松取り現場を現していると感じます。
和仁氏は、剣である刀を持つ武士であり、松取りの現場作業をしていたのです。《殿様のために松取りをしていた武士の過去世の統合》のヒプノセラピーにあるように、武士の戦いである「戦(いくさ)」の裏の目的が「松取り」だったのです。少なくとも源平合戦の平安時代の頃から、戦を隠れ蓑にして誰でもいいから人の松果体収穫が行われていたと見ています。
戦争という名の下での金儲けのための松取り工作は、現在も続いています。武士の時代の松利権の支配者が「殿様(大名)」であり、松取りの現場作用員が「武士」、その中間に寺院の「僧侶」が指示役として介在していました。創価学会は、日蓮宗系の宗教団体であり、松取りの指示役です。武士は現在の「反社」であり、反社に指示するのが宗教の組織や団体なのです。
野老朝雄に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松。金」と伴侶が伝えて来ました。オリンピックが利権ピラミッドの頂点の松利権の最高イベントと考えると、「東京2020エンブレム」が創価学会の紋章に似ていることは何ら不思議ではありません。地球を暗闇にするための闇の仕組の中心である松取りの闇は、昔から脈々と引継がれて来たのです。(つづく)