Dappi事件における工作の主が誰なのかを追求する場合、まず対象を最も大きな存在として捉えることが重要だと思います。幕末維新の天皇・徳川幕府・新政府が絡む大規模工作の延長であると考えるのが自然です。幕末維新の天皇・徳川幕府・新政府に相当する支配の役割が、現在の「日本政府」になります。そうなると、Dappi事件の工作主候補として浮かぶのが「内閣情報調査室(内調)」です。
実際、ツイッター情報には、『これはすごい。WADAさんの開示請求に回答が 「DAPPIなるアカウントについて内閣情報調査室が有する一切の文書の存否を明らかにした場合、当室が行う業務の適正な遂行に重大な支障を及ぼすおそれがあり…我が国の安全が害されるおそれがある…したがって存否を明らかにしない」←事実上Dappiは内調? 』とありました。また、WADAさんのツイッターアカウントが凍結されたことで信頼度が高まります。
ウィキペディアには、『内閣情報調査室は、内閣官房の内部組織の一つ(情報機関)。略称は内調(ないちょう)、CIRO(サイロ)。内閣官房に属する情報機関である。職員数は194名。所在地は内閣府庁舎6階。日本政府の情報機関を代表する取りまとめの役割で、最高位の内閣情報官は指定職8号の事務次官級で、内外の特異情報の分析を内閣総理大臣に直接報告している。原則的に定例報告は週1回、各20〜30分程度行われる。
情報収集の手段別では、シギント(通信情報)は情報本部が、国内の諜報や防諜に関わるヒューミント(人的情報)は公安調査庁や公安警察がそれぞれ主に担っており、内調は内閣の重要政策に関する国内外の政治や経済、テロなどの治安に関しオシント(公開情報)、ヒューミントを中心に担っている。内調はアメリカ合衆国中央情報局(CIA)・イギリス秘密情報部(SIS)などの外国政府の情報機関との公式なカウンターパートとなっており、ほかに合同情報会議の事務手続きも行っている。
そのため、「日本版CIA」と称されることもある。民主党政権下では、小沢グループの動向が最大の関心事と位置づけられており、民主党代表選での票読みや造反者の動向、地方議会の情勢など、いわば「国内政治情報」の収集などにも当たってきた。安倍晋三政権下では、選挙の街頭演説における、いわば「ご当地ネタ」の収集などにも当たってきた。内調は生え抜きの職員をはじめとして様々な省庁からの出向者が所属しているが、内閣情報官を筆頭に警察庁からの出向者が多く、霞が関では警察庁の出先機関と捉えられている。
内閣情報調査室のルーツは総理府に設けられた内閣総理大臣官房調査室である。調査室設置の背景は「治安関係者だけでなく、各省各機関バラバラと言ってよい内外の情報を一つにまとめて、これを分析、整理する連絡機関事務機関を内閣に置くべきだ」「外務省情報局に代わるべき内閣直属の情報機関が必要」とする吉田茂の意向を受け、戦前に朝日新聞社副社長や情報局総裁を務めた緒方竹虎副総理と、元内務官僚で国家地方警察本部警備課長の村井順を中心に日本版CIA構想の先駆けとして創設された』と記されています。
最終的に、1957年(昭和32年)8月1日、内閣官房の組織として内閣調査室が設置されました。内閣情報調査室は、米国DSのCIAの日本版を作る構想から設立に至っていることが分かります。実際、《ピラミッドの上層部が重い闇となった支配の構図》のワークで、元内閣総理大臣・吉田茂は「米国派になった」と伝えられていました。設立時の主要メンバーは、『村井順(内務・警察官僚、首相秘書官、内務省警保局公安第一課長、国家地方警察本部警備課長)、前田稔※(海軍中将、海兵41期、ソ連・中国大使館付武官、第二復員局長)、
矢部忠太※(陸軍大佐、陸士33期、ソ連大使館付武官)、末沢慶政※(海軍大佐、海兵48期、海軍省軍務局第二課長)、浅井勇※(陸軍中佐、陸士42期、ソ連大使館付武官輔佐官、参謀本部ソ連課参謀)※内閣総理大臣官房調査室顧問』と記載されています。主要メンバー5名の内、村井順以外は軍出身者です。戦争自体が松取り工作であり、軍上層部は松工作員と言えます。内閣総理大臣官房調査室長【総理府事務官】を含めた内調の初代トップは、村井順です。
村井順(1909年-1988年)は、東京都出身の内務・警察官僚、実業家です。初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障(「ALSOK」(アルソック)」の創業者で、社長・会長です。東京高等学校(旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業します。1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事しています。
《中国・満州国でのアヘン政策》にありますが、中国・満州国でもアヘンを売って資金を得る阿片政策が行われており、そのために、興亜院が設立され、里見甫や"ニキ三スケ"といった麻薬の帝王が実質的に支配していたのです。特高警察は《出入国在留管理庁が引継ぐ特高警察の裏世界に通じる隠された闇》で言及していますが、米国派に動かされた実質的な「赤狩り」という共産主義者の追放・弾圧だと感じます。
そういう意味で、村井順は、闇の仕事の経歴を有することが分かります。村井順の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「創価の反社」と伝えられました。綜合警備保障株式会社は、日本の警備、セキュリティサービス会社です。ALSOK会長で、(公財)村井順記念奨学財団理事長の村井温(1943年-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「頭のいい創価のヤクザ」と伝えられました。ワークから、内調自体が創価の闇という松利権集団の可能性を感じます。(つづく)