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Dappi
運営企業(ワンズクエスト)と取引のある自民党のダミー法人「システム収納センター」については、《リテラ記事》に『同社には、「自民党の金庫番」と呼ばれてきた自民党の幹部職員である元宿仁(もとじゅくひとし)事務総長が深く関わっているとの情報もある』と報じていましたが、ここに来て具体的情報が流れて来ました。日本共産党の小池晃書記局長のツイッターには、『「しんぶん赤旗日曜版」次号に、「Dappi」衝撃の新事実が!

 

ウソ情報で野党攻撃のツイートをばらまいていた「Dappi」運営企業の社長は、なんと自民党本部事務総長の親戚だった‼︎ ぜひお読みください』と記載されています。ワンズクエストの社長が自民党本部の元宿仁事務総長と親戚だったということです。ツイッター情報には『リテラの既報で、「システム収納センター」と自民党の元宿仁事務総長の深い繋がりは指摘されていたが、まさかワンズクエスト社長が元宿の親戚とは

 

にしても日本の民主主義の根幹に関わる大問題を赤旗等一部除き全く報道せず。マスコミ腐り過ぎ』とあります。10/20公開の日刊ゲンダイDIGITAL記事の《「Dappi」の背後には“自民党の金庫番”がいた! 赤旗日曜版スクープの衝撃》は、元宿仁事務総長の裏の役割について紹介しています。『党員歴50年を越えた彼には、退職に関するルールはなく、これまで幾度となく辞表を提出したが、その都度慰留され続けて来た。

 

総裁、幹事長がそろって反対したためだ。党の政治資金とその流れの裏の裏を知り尽くしているが故に、「余人をもって代えがたい」ということだろう。田中角栄から現職の安倍晋三まで、20人の総裁と37人の幹事長に仕えた。ベテランの仕事師を徹底的に重用するのは、自民党の得意技であり、長期政権の強みあるいは、秘訣の一つだろう。ロッキード事件やリクルート事件など「政治とカネ」のスキャンダルで、自民党はしばしば糾弾され、逆風に立たされることも多い。

 

2004年(平成16年)に発覚した「日歯連迂回献金事件」では、彼の関与が疑われ、検察から何度も事情聴取を受けた。「政治資金を扱う裏方をやる以上は、汚いと言われるかも知れないが、自分のような役回りも必要だ。政治はきれいごとでは動かない。話せないことばかりで、それは墓場まで持って行く」と彼は言う』。《中曽根康弘元首相が墓場まで持って隠蔽した日航機墜落事故の真実》にありますが、中曾根康弘・元首相も「墓場まで持っていく」と同じことを言ったとされます。

 

実は、元宿仁は中曽根康弘と同じ群馬県出身なのです。ウィキペディアには、『元宿仁(1945-)は、長年にわたり自由民主党本部の事務方のトップである事務総長を務めている。群馬県利根郡川場村生品に四人兄弟の次男として生まれる。法政大学短期大学部で学び、同短大卒業後は駒澤大学に編入し、19683月に卒業。大学では経済学と経理を学んだ。大学時代からすでに知人の紹介で自民党本部でアルバイトを始めており、大学卒業後はそのまま党事務局員として採用され、中央政治大学院を卒業したのち、党本部職員となる。

 

その後は主に経理畑を歩み、経理部長を経たのち、2000年に事務方トップの事務局長に就任。2006年には定年延長の上、 新設の事務総長に就く。民主党に政権を奪われた後の20107月にいったん一線を退くが、再び総裁に返り咲いた安倍晋三に呼び戻され、同じく再度事務総長のポストに就き、現在に至る。長らく自民党の「金庫番」として党の資金集めにおいて中心的な役割を担っているとされる』と記されています。

 

Dappi事件には「群馬人脈」が深く関わっていると感じます。《群馬人脈こそ麻薬売買の元締め 日本の麻薬売買の拠点は群馬県だった!!》にあるように、「群馬人脈」という言葉が使われたのは「RAPT理論」です。どうして「群馬人脈」なのか、です。《実は総理大臣になったすごい人が多い群馬県!その業績を紹介》には、『戦後については群馬県出身の総理大臣は福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫の4名と最多となっています』とあります。

 

明治時代から戦前までの間で、日本の総理大臣が最も多く輩出されたのは(伊藤博文、山県有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一)の山口県でした(戦後は岸信介、佐藤栄作、安倍晋三)。フリーメイソン米国派の中心拠点が山口県から群馬県に移ったのです。ネットで調べていく中で、山口から群馬へDS米国派拠点を移転したキーマンが「楫取素彦(かとりもとひこ)」だったと感じます。楫取素彦は、幕末の長州藩の志士、明治時代の官僚、政治家です。

 

幕末を代表する人物の吉田松陰とは関係が深く、また松陰の次妹の寿と結婚し、寿に先立たれた後の明治16(1883)、久坂玄瑞の未亡人であった末妹の美和子()と再婚しています。明治7(1874)に熊谷県権令、明治9(1876)の熊谷県改変に伴って新設された群馬県の県令となりました。群馬県令とは群馬県知事です。《幕末維新の志士から名県令、そして前橋市の恩人楫取素彦》には、製糸業の発展に尽力したことが書かれています。

 

『生糸の直輸出を行おうと楫取素彦に援助を嘆願し、弟の新井領一郎をアメリカに派遣する計画を立てました。新井領一郎は明治9(1876)に渡米後、ニューヨークを拠点に顧客の信頼を得て生糸の販売に成功し、日米貿易の基礎が築かれました。吉田松陰の魂は、上州人によってアメリカへと渡ったのです』。過去のセッションから製糸業をはじめとする繊維産業は、「麻」を封じる麻薬に関係していると分かっています。

 

「日本の麻薬売買の拠点は群馬県だった」というRAPT理論の指摘に個人的には同意します。薬利権だけではなく松利権も絡んでいると読んでいます。《地下500mにある世界最大級の揚水発電所・神流川発電所の謎》に書きましたが、群馬県には神流川発電所があり、地下の松工場の可能性を感じています。大規模工作の中心的存在が、松下村塾の吉田松陰とその配下の長州藩士たちだと感じます。楫取素彦の背後には吉田松陰がいたと見ています。

 

松・薬の利権ネットワークは、裏の金儲けを目的にしたものであり、金の闇の暗黒網でもあります。楫取素彦(1829-1912年)と後妻の楫取美和子(文:1843-1921)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」「工作員」と伴侶が伝えて来ました。元宿仁に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「台湾」と伝えられました。台湾は北朝鮮と同様に、DSの工作によって創られた国家であり、隠された闇が残っています。Dappiを含む日本の隠蔽されて来た真実が明らかになることを願っています。(おわり)