電気街の夜明け_-_panoramio


カタカムナの生みの親である楢崎皐月(ならさきこうげつ)の経歴の中で、「日本電子工業・電気学校」と「日本石油」に着目しました。独学で物理や化学を勉強したという楢崎皐月の本質が垣間見える可能性があると感じました。「日本電子工業・電気学校」は、楢崎皐月が1917年に学んだ後、満州にて日本軍に関わる技術職に従事しました。ネットで調べていくと、どうやら「東京電機大学」の前身の電気学校のようでした。

 

東京電機大学のウィキペディアには、『東京電機大学は、東京都足立区千住旭町5に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は電大、電機大。1907(明治40)に廣田精一と扇本眞吉が創設した電機学校を起源とする。1949(昭和24)、第二次世界大戦後の学制改革に伴い、電機工業専門学校(私立の旧制専門学校)が前身となって開学した大学である』と記されています。

 

1907(明治40)911日に、東京市神田区に創立した「電機学校」が始まりです。1939(昭和14)に専門学校令により、「東京電機高等工業学校」が開校し、1944(昭和19)には、「電機工業専門学校」と改称します。1949(昭和24)の学制改革で現在の「東京電機大学」となりました。東京電機大学の創設者は、廣田精一(ひろたせいいち:1871-1931)と扇本眞吉(おうぎもとしんきち:1875-1942)です。

 

公式サイトには、『廣田精一は広島県生まれ。1896年東京帝国大学工科大学卒業。高田商会に在籍のままドイツシーメンス・ハルスケ電気会社入社、その後欧米諸国を視察して帰国。1907年扇本真吉と共に私立電機学校設立、1914年オーム誌創刊。1916年組織を財団法人に改め、総務理事に就任。1921年現神戸大学工学部を創立。電気自動車の開発にも力を注ぎ、エジソンにも面会した』とあります。

 

『扇本眞吉は、岐阜県生まれ。1902年東京帝国大学工科大学卒業。ドイツシーメンス・ハルスケ電気会社、深川電燈株式会社、江ノ島電気鉄道株式会社等に奉職。1907年廣田精一と共に私立電機学校を設立し、初代校長として尽力。 1916年組織を財団法人に改め財務理事に就任。専心その任にあたる』と記されています。2人とも「ドイツシーメンス・ハルスケ電気会社」に入社している点が共通しています。

 

「ドイツシーメンス・ハルスケ電気会社」は、現在の「ドイツのシーメンス社」です。《世界初の電車を製造したドイツのシーメンスと人身御供の儀式のドルイド》では、シーメンスの創業者が、ドルイドの松取り(松果体収穫)の闇と魔法()の闇を引継いていると分かりました。また、廣田精一が勤務していた高田商会は、兵器機械商社でした。日清・日露戦争期に急成長し兵器機械商社としては大倉組と並んで三井物産をも凌駕していました。

 

廣田精一と扇本眞吉の御魂が上がるよう意図して、それぞれに光を降ろすと「いいです」「この2人は宇宙人だと思う」と伴侶が伝えて来ました。2人は、表の電気のテクノロジーを隠れ蓑にして、裏で金儲けをしながら闇を広げて来た闇の役割の宇宙人だったと感じます。東京電機大学の初代学長の丹羽保次郎(1893-1975)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した三重県松阪市出身の技術者です。

 

1916(大正5)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業後、逓信省電気試験所を経て、1924(大正13)6月に日本電気に入社します。同年から翌年末にかけ欧米へ最新の通信技術を学びに視察に渡ります。1955(昭和30)に社団法人テレビジョン学会初代会長に就任しました。丹羽保次郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「宇宙人」と伝えられました。電気関係の技術は、宇宙人が地球に降ろしたようです。

 

東京電機大学の理事長・石塚昌昭と東京都足立区の本部キャンパスに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「タコの宇宙人」「いいです」と伝えられました。シーメンス(Siemens AG)は、ドイツのバイエルン州ミュンヘンの企業です。もともと電信、電車、電子機器の製造会社から発展し、現在では情報通信、交通、防衛、生産設備、家電製品等の分野で製造、およびシステム・ソリューション事業を幅広く手がける会社です。

 

創業者のヴェルナー・フォン・ジーメンス(1816-1892)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「宇宙人」と伝えられました。現社長のローランド・ブッシュとドイツ本社に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「プレアデス」「いいです」と伝えられました。シーメンス日本法人の社長・堀田邦彦と東京都品川区大崎の本社に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」「光が入った。ここは何かがあると思う」と伝えられました。(つづく)