出光興産創業者・出光佐三に巨額資金を提供した資産家とされる日田重太郎の出自を知るために、根気よくネット検索していきました。《日田重太郎翁の時計の修理を承りました》の記事から日田重太郎の家は、「淡路市仮屋の素封家(財産家)」と分かりました。"淡路市仮屋"を主に、さらに調べていくと元淡路市議会議員の方のブログ《6月9日 出光佐三氏を生んだ地元淡路の日田重太郎翁》がヒットしました。とても貴重な情報でした。
『現南あわじ市西路の庄屋、高田家から16歳で淡路市仮屋の日田家へ婿養子に入られた重太郎氏が息子重恭氏の家庭教師に 出光佐三(神戸大生)が務めた関係から・・』と記されていました。日田重太郎は、南あわじ市西路の庄屋の高田家から淡路市仮屋の日田家に婿養子に入ったのです。「南あわじ市西路の庄屋の高田家」とは誰なのかを調べると同じブロガーの方の記事《4月22日 淡路だんじり唄コンクール》がありました。
『高田重太郎(日田重太郎翁)と高田屋嘉兵衛翁の繋がりを4代目高田耕作氏より聞き取りしてきた』と書かれていました。日田重太郎は、高田屋嘉兵衛(たかたやかへい)の家系の人物のようでした。ウィキペディアによると、『高田屋嘉兵衛(1769-1827年)は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。淡路島で生まれ、兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出する。
国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた』と記されています。wikiには、高田屋嘉兵衛のゆかりの地として、北海道函館市(高田屋嘉兵衛像・箱館高田屋嘉兵衛資料館)、根室市(嘉兵衛創建の金刀比羅神社と銅像)、新ひだか町(高田屋嘉兵衛翁之碑)、ロシア(カヘイ峰、高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルド像)が記載されています。
また、淡路島(ウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園・船が展示されている淡路ワールドパークONOKORO)もあります。高田屋嘉兵衛は、表の世界では、名士として知られていますが、松前藩と関係する北前船の廻船業を営んでいたことから、「松」「薬」「武器」などの運搬・売買を通じて裏の世界でも金儲けの仕事をしていたと感じます。ロシアとの交流・交易があったことからロスチャイルド(フリーメイソン天皇派)の工作員だったと見ています。
《闇の役割を終えて統合の光が広がる》にある北海道を舞台として松取り(松果体収穫)を主に医療の闇を広げたロックフェラー(フリーメイソン米国派)の工作員の松浦武四郎(1818年-1888年)に相応すると感じます。高田屋嘉兵衛の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「日本人じゃない。半島か中国」と伝えられました。ネット情報から日田重太郎は出光佐三より9歳上だといいますので、1876年生まれということになります。
日田重太郎は、高田屋嘉兵衛の孫の可能性があります。工作員は家系を引継ぎますので、日田重太郎もロスチャイルドの工作員と捉えるのが自然です。日田重太郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「四国のヤクザ。出光佐三を使えると思った。金。松」と伝えられました。やはり裏の仕事は反社に通じます。出光佐三が創業した「出光商会」の所在地は、福岡県北九州市門司区東本町1丁目1−1の住所になります。
《出光商会創業の地》には、『鹿児島本線
門司港駅から北東へ約650m。国道3号線 鎮西橋交差点近くの小松医院の前に、ステンレス製の案内板が立つ。当時のエネルギーの主流だった石炭よりも石油の優位性について感じ取っていた福岡県出身の出光佐三、1911年(明治44年)まず手始めに炭鉱等への機械油の販売を門司で開始した』と記されています。出光商会創業の地のグーグルマップを観ると関門海峡に面する海岸沿いです。
対岸には、下関要塞、壇ノ浦古戦場、赤間神宮、彦島があります。《壇ノ浦古戦場の松果体収穫の闇を引継ぐ火の山、霊鷲山の下関要塞》などのワークから関門海峡の下関市側は、古くから松取りの場所だったことが分かっています。出光佐三の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ロスチャ。トカゲ。松。松喰い。松運び」と伝えられました。出光商会創業の地である門司の港は、松の運搬のために重要な港だったと感じます。高田屋嘉兵衛、日田重太郎、出光佐三とロスチャの松運搬の闇が引継がれて来たのです。
出光興産株式会社の代表取締役社長・木藤俊一(1956年-)と東京都千代田区大手町1丁目2-1Otemachi One タワーの本社に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「黄色い風船がどんどん膨らんでいる」「いいです」と伝えられました。黄色は隠す闇であり、隠し事が膨らんでいる感じです。最後にお世話になった出光の知人に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。出光興産が闇の役割を終えて、本来の姿になることを願っています。(おわり)