Tokiwa_park


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20日、軽いぎっくり腰になりました。痛みの場所が中央やや左側でした。腰痛も歯痛と同じくらい辛い痛みです。自分のカルマの解消とワークの場所を教えるためのヒントだと思いました。以前のぎっくり腰の時は下関市の彦島でしたので、今回もその周辺だと見ていました。どこなのかを内観すると「宇部興産」「宗像大社」と感じました。同じ「興産」のつく出光興産のワークを行っており、創業者の出光佐三が宗像大社を崇敬していたことも知っていました。

 

出光興産からの繋がりのような感じでした。まず、宇部興産のある宇部市から調べていきました。宇部市は、山口県西部、周防灘(瀬戸内海)に面した市です。県内では下関市、山口市に次ぎ3番目となる約17万人の人口を誇ります。宇部市の前身である宇部村は、江戸時代まで厚狭郡南部の半島状地形の先端部にある一寒村でしたが、明治以降に宇部炭鉱での採炭が本格化したことで炭鉱都市として急速に発展しました。

 

山口県は、安倍晋三元首相の出身地であり、現在も政治的な影響力を保持していると思われるので、宇部市長に光を降ろす必要性を感じていました。現在の宇部市長は篠﨑圭二(しのざきけいじ)です。篠﨑圭二(1981-)は、山口県宇部市出身の政治家で、山口県宇部市長(1期)です。山口県立宇部高等学校を経て、2003年広島大学経済学部卒業し、2005年広島大学大学院社会科学研究科を修了しました。 

 

経営コンサルティング会社での勤務や、参議院議員林芳正の公設第一秘書などを務めた後、2014年山口県議会議員補欠選挙に自由民主党公認で無投票で当選します。2015年、再選し、2019年、無投票で3選しました。現・宇部市長は林芳正外相の元秘書で、反安倍だと感じます。安倍元首相と林芳正外相は、山口県の同郷であり、長年のライバルです。2人を含め、今の国会議員の殆どが本人ではなく替え玉になっています。

 

山口県選挙区の参議院議員から山口3区の衆議院議員に鞍替えした林芳正外相は、宏池会会長の岸田文雄首相と共に、安倍晋三元首相の力を削いで追い詰めている構図に思えます。篠﨑圭二宇部市長に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「軽い感じ」と伴侶が伝えて来ました。宇部市の起源は、宇部炭鉱です。ウィキペディアには、『宇部炭鉱は、かつて山口県宇部市に存在した炭鉱群である。宇部市海岸からの沖合に伸びる海底炭田(宇部炭田)であり、かつては海底部分で落盤、海水が流入する死亡事故も発生している。

 

江戸時代の文献から同地にて石炭が採掘されたことを示す記述が見られ、また、瀬戸内の製塩用に細々と石炭の採掘が行われていたが、19世紀後半、山口藩による石炭局開設を機に採掘が本格化する。明治維新以降、炭鉱の管理は民間の手に移り、東見初炭鉱(ひがしみぞめたんこう)、沖ノ山炭鉱(おきのやまたんこう)、長生炭鉱(ちょうせいたんこう)などに中小の資本が多数参入し、開発が進められたが、太平洋戦争の期間を通じて買収や合併、事故などによる閉山が進んだ。

 

宇部炭は品位があまり高くなかったこともあり、沖ノ山炭鉱を中心に匿名組合沖ノ山炭鉱組合を設立した渡辺祐策らは、採掘した石炭をセメント製造の燃料や、硫酸アンモニウム等の化学肥料の原料として利用した。これが後に宇部の化学コンビナートへと発展することになる』と記されています。これまでのワークから、炭鉱を含めた鉱山では、石炭や金・銀・銅などの鉱物の採掘の裏で松取り(松果体収穫)が行われて来たことが分かっています。

 

沖ノ山炭鉱初代社長の渡辺祐策(実業家・衆議院議員:1864-1934)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松取りに関係する名士」と伝えられました。宇部炭鉱で松取りの犠牲になって亡くなった人たちの魂を上げ必要がありました。宇部炭鉱は幾つかの場所に分散しているので、山口県宇部市沖宇部の「宇部炭田発祥の地」に留まっている御魂が上がるよう光の柱を立てると「いいです」と伝えられました。

 

ウィキペディアには、『宇部興産株式会社は日本の大手総合化学メーカー。宇部地区の主要炭鉱であった沖ノ山炭鉱を起源とする複合企業体である。化学製品だけでなく、セメント、石炭等も供給している。社名にある「興産」には、「地域社会に有用な産業を次々に興す」という意味が込められており、宇部共同義会の長老であった紀藤閑之介(36代宇部市長、宇部時報創刊者)の案を俵田明が採用したものである。

 

社名のとおり、同社は創業時より各々の事業だけでなく、教育機関や港湾、ダム、上水道の整備等を通して、地域の社会資本整備に大きな役割を果たしてきた。旧三和銀行(現・三菱UFJ銀行)をメインバンクとする企業から構成される三水会とその後身社長会である水曜会およびみどり会の主要構成企業であり、かつては日立造船、帝人とともに三和御三家と呼ばれていた』と記載されています。

 

紀藤閑之介(36代宇部市長、宇部時報創刊者:1869-1961)俵田明(宇部興産創立者・初代社長:1884-1958)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い」「松貴族」と伝えられました。やはり宇部興産の創業者も松に関係していました。宇部興産の現社長・泉原雅人と東京都港区芝浦にある本社に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松貴族の血を引継ぐ」「いいです」と伝えられました。(つづく)