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青森県八戸市の鍾乳洞を検索すると《安家洞 観光案内 「洞窟観光」》がヒットしました。『岩手県には洞窟、すなわち鍾乳洞が多数確認されており、その数は他の都道府県に比べると格段に多いものとなってます。これは岩手県の背骨ともいえる北上山地がその昔は海の底にあったことから山体に鍾乳洞の元となる石灰岩を大量に抱えていることによると考えられています。これらの石灰岩のうち比較的大きなものが地下に浸透してきた雨水により浸食され鍾乳洞となったのです。

 

岩手県の鍾乳洞として有名なのは地底湖で有名な龍泉洞がありますが、そのほかにも35千万年前の地層に形成され日本で一番古い鍾乳洞といわれる幽玄洞、そして日本最大規模といわれる安家洞などがあり、他にも一般公開されていない鍾乳洞は多数有り、岩手県はまさに洞窟王国なのです。日本最大の鍾乳洞である安家洞への入り口。昔は直線距離で60kmも離れている八戸市までつながっていると信じられ、近所の子供達の絶好の遊び場となっていたそうです。』と記載されていました。

 

岩手県には、龍泉洞(りゅうせんどう)、幽玄洞(ゆうげんどう)、安家洞(あっかどう)などの多数の鍾乳洞があることから、岩手県の背骨となる「北上山地」の山塊の地下には、広大な地底世界が存在していると直感しました。鍾乳洞は、人間が見つけた地下世界の出入口だと感じます。11つの鍾乳洞は個別の洞窟に思えますが、実際は繋がっていると見ています。北上山地の地底世界は大事な光のエネルギーの世界でした。

 

しかし、暗闇にするために岩手の地の光が重くて大きな闇で封じられて来たのです。重くて大きな闇が「松取りの闇」です。古くから岩手の地では松取りが行われてきました。《たたら製鉄と隠れキリシタンが松果体摂取で結ばれた大籠キリシタン殉教公園の歴史》にありますが、岩手県一関市では、隠れキリシタンが犠牲となる松取りが行われ、遺体を隠滅するためにたたら製鉄が利用されたことが推測されます。

 

キリスト教の松取りとたたら製鉄との組合せによって命を犠牲にした金儲けの真実が隠蔽される工作が出来上がったのです。《金山と繋がっていた隠れキリシタン》では、現在の岩手県紫波郡紫波町にかつてあった佐比内・朴木金山で、江戸時代に、京都の山師・丹波弥十郎による隠れキリシタンを使った金の採掘と松取り(松果体収穫)が行われていたと感じています。金を採掘する隠れキリシタンの労働者を密かに松取りの犠牲にしていたのです。

 

この巧妙な手法は、明治時代以降から戦前までの鉱山、治水工事などの労働者を犠牲にした松取りに繋がっています。また、《日本の光を封じる医療の闇のネットワークとしての国民健康保険》では、全国にある国民健康保険診療施設(国保直診)のきっかけが、岩手県内直診医師懇談会であったことが分かっています。古くから盛んに松取りが行われていた岩手の地を起点として、松取りの闇が潜む国民健康保険診療施設のネットワークが形成されたのです。

 

松取りの闇は、人命を奪うこと、エゴの闇である金儲けであること、真実を隠蔽して嘘で装う工作であることの3つから重くて大きな闇のエネルギーとなります。岩手の地にある大きな光を封印するために、時代を超えて、松取りの闇が引継がれて来たのです。さらに、岩手県は、大きな闇で覆うための大物工作員も輩出しています。作家の石川啄木、宮沢賢治や政治家の小沢一郎などがそうです。

 

石川啄木は、フリーメイソン米国派・ロックフェラーですが、宮沢賢治と小沢一郎はフリーメイソン天皇派・ロスチャイルドの工作員と見ています。松取りが活発な地には、著名な政治家や作家などの隠して金儲けを行うための多くの工作員が必要となります。龍泉洞は、日本の岩手県下閉伊郡岩泉町にある鍾乳洞で、岩泉湧窟とも言います。龍泉洞には、地底湖があり、龍泉洞地底湖の水として1985年に名水百選のひとつに選定されています。

 

幽玄洞は、岩手県一関市東山町にある鍾乳洞です。ひょうたん池や浄魂の泉(水深10メートル以上の地底湖)があります。昭和55年に発見された幽玄洞は、35千万年前の地層に属し、日本で最古の鍾乳洞と言われています。ワークの対象には、龍泉洞(岩泉町)、幽玄洞(一関市)、安家洞(岩泉町)の他に、観音霊山(マリア観音:一関市)、白蓮洞(住田町)、滝観洞(住田町)、船久保洞窟(紫波町)、内間木洞(久慈市)、龍泉新洞(岩泉町)を選びました。

 

岩手県の鍾乳洞の一つひとつに地底の闇の解除・統合を意図して光を降ろしていきました。最後に、北上山地の山塊全体の地底を意図して光を降ろしました。《北上川から解放されたシリウスのエネルギー》のワークでは、北上川から封じられたシリウスのエネルギーが解放されました。精霊である大きな龍のエネルギーとも言えます。松取りの闇の仕組が終わり、岩手の地が本来の光の地となることを願っています。(おわり)