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月中旬、伴侶が「渋沢栄一の子孫が気になる」と話して来ました。これまでのワークから、渋沢栄一は、日本の松システムを構築した重要人物と分かっています。しかし、これはあくまでも渋沢栄一の裏の顔です。渋沢栄一の表の顔は、NHKの大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公であり、日本資本主義の父としての英雄です。大衆に知られずに、裏世界における松利権ネットワークという深い闇の仕組を作った事が非常に重要でした。

 

渋沢栄一は、表と裏の顔を使い分けて、日本の人たちが深い闇の経験をするための暗闇の環境を創った大きな闇の役割だったと言えます。《渋沢栄一略歴》によると、渋沢栄一は天保11213(西暦:1840316)、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。

 

「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かいます。郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。 栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。

 

明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。 栄一は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。

 

栄一は、約600の教育機関・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)1111日、91歳の生涯を閉じました。渋沢栄一-Wikipediaによると、渋沢栄一には3人の妻がいました。先妻の千代、千代が死別した後の兼子、妾(めかけ)の大内くにです。渋沢栄一の子供は、養子を含めて19人いました。先妻・千代の子供が5人、後妻・兼子の子供が9人、妾・大内くにの子供が2人、養子・庶子が3人です。

 

渋沢栄一の子供の多さには驚きますが、渋沢栄一の子供、孫、曾孫は、大手民間企業の経営者、学者、官僚などの地位に就いている人が多いと感じます。表と裏の金の網を構築してきた渋沢栄一の家系は、その役割を担っているようです。渋沢栄一の健在する子孫として注目したのが、渋沢雅英です。ウィキペディアによると、渋沢雅英(1925-)は、渋沢栄一財団相談役(1997年から2020年までは理事長を務めていた)です。父は渋沢敬三、祖父は渋沢篤二、曾祖父は渋沢栄一です。

 

母方の曾祖父に岩崎弥太郎がいます。1925年、渋沢敬三の長男としてイギリス・ロンドンで生まれます。名付け親は曾祖父の栄一でした。幼い頃は渋沢家の嫡男として曾祖父、祖父の愛情を受けて育ったといいます。雅英誕生直後に敬三一家は日本に帰国し、東京大学農学部卒業後は様々な仕事に就きました。2003年からは曾祖父・栄一が創立した東京女学館12代館長も務めています。高齢となった現在も渋沢家当主として様々な活動をしています。

 

渋沢栄一記念財団理事長 渋沢雅英》には、渋沢雅英の詳細な経歴と興味深い事柄が書かれていました。『武蔵高等学校在学中の194410月に前橋陸軍予備士官学校に入学、のちに歩兵通信隊に配属された。陸軍少尉で除隊後は東京大学農学部に復学した。1950年に東大を卒業し、当時の東京食品(現・東食)に就職した。1956年、渋沢氏は東食駐在員としてロンドンに赴任し、MRA(Moral Re-Armament:道徳再武装運動)提唱者であるフランク・ブックマンと出会う。

 

約一年後、東食を退職し、アメリカのマキノ島を拠点とするMRA活動に専念した。渋沢氏が帰国したのは、六〇年安保の頃である。当時、東京のMRAハウスは自民、社会両党議員の交流を促進する場という役割があった。また、この頃から十河信二・国鉄総裁を中心にMRAアジアセンター(小田原)の建設が進められていく。これは日本をMRAのアジア拠点にすえることが目的であり、1962年にアジアセンターは開所した。

 

その後、渋沢氏はMRA アジアセンターで語学学校を経営、さらに国際セミナーの共同開催、日米欧委員会にも参加し、1982年には英国王立国際問題研究所客員研究員となる。この間、東南アジアをめぐる研究成果を出版し、アラスカ大学、ポートランド州立大学で教鞭をとった。渋沢氏が渋沢家本来の事業と関わるのは、東京女学館理事長に就任した1994年以降であり、既存の短期大学を四年制大学に改組する大学改革を行っている。

 

現在は渋沢栄一記念財団理事長として、民族学研究家でもあった父、渋沢敬三の遺志を継ぎ文化事業を育成、日本実業史博物館、実業史研究センターの設立等データベースによる学問提供を試みている。』と記されています。《ロスチャイルドが操る金儲けのための工作活動という芝居劇》にありますが、米国オレゴン州ポートランドは、米国のBLM(ブラック・ライブズ・マター)を主導するアンティファ、DSA(アメリカ民主社会主義者)の拠点です。

 

アンティファ、DSAの背後にいるのがロスチャイルドだと見ています。《ロスチャイルドの番頭・渋沢栄一が創設し日本軍にインド情報を提供した日印協会》にありますが、渋沢栄一はロスチャイルドの番頭と言われていました。渋沢雅英の経歴で気になったワードは、「MRA(Moral Re-Armament:道徳再武装運動)」「フランク・ブックマン」「十河信二・国鉄総裁」「MRAアジアセンター(小田原)」です。

 

MRA(道徳再武装運動)」は「道徳経済合一説」に繋がってくると感じます。渋沢栄一が説いた「道徳経済合一説」は、経済を何よりも最優先する世界を構築するための考え方だと捉えています。「金持ち」「金儲け」から繋がる"金による支配"という深い暗闇の世界を創るために必要だったと思います。暗闇を終わりにするためには隠されて来た真実を表に出す必要があります。これらのキーワードを中心に隠された闇を探り、光を降ろすワークを行うことにしました。(つづく)