Tokyo_Prefectural_Matsuzawa_Hospital2015


ネットニュースを観ていると、20211230日の読売新聞オンラインの記事《【【独自】国際ハッカー集団、都立2病院を標的か…チャットに職員アドレス大量掲載》に目が留まりました。『国際ハッカー集団が高度な救急医療などを担う東京都立病院に攻撃準備を進めているとの情報があるとして、都が今月上旬、各都立病院に緊急の注意喚起をしていたことがわかった。現時点で被害は確認されていない。病院へのサイバー攻撃は、地方の中小病院が被害に遭うケースが多い。

 

しかし、都心の大規模病院も標的になっていることが明らかになった。都病院経営本部などによると、都立墨東病院(墨田区)と同松沢病院(世田谷区)が攻撃対象として名指しされていた。墨東病院は病床数765床の大規模病院で、都内4か所の「高度救命救急センター」の一つ。松沢病院は全国最大規模の精神科病院だ。病院に対するサイバー攻撃では、電子カルテやコンピューター断層撮影法(CT)のデータを暗号化して使用できなくする。

 

そのうえで、身代金を要求するコンピューターウイルス「ランサムウェア」による被害が、2016年以降、少なくとも11府県の11病院で発生していることが読売新聞の取材でわかっている』という記事の内容です。国際ハッカー集団は、「闇が闇を喰う」という闇を潰す闇の役割があると感じています。闇の仕組を終わらせるのは、光ではなく闇の役割を持つ存在です。世界的には大金を有する大企業がターゲットになっていましたが、医療機関にも及んで来たと思います。

 

国際ハッカー集団から攻撃対象として名指しされているのが、都立墨東病院(墨田区)都立松沢病院(世田谷区)です。この2つの病院の共通点は、都立墨東病院が765(一般病床719床、精神病床36床 、感染症病床10)、都立松沢病院が1264(一般病床90床 、精神病床1174)であり、いずれも精神科病床のある大規模病院です。都立墨東病院は、1978年に日本で初めて精神科救急医療事業(ER)を開始しました。

 

都立松沢病院は、全国最大規模の精神科病院です。この読売新聞の記事を読んだタイミングは、1217日の大阪ビル火災事件の関連エネルギーワークを行った翌日でした。大阪ビル火災事件の火元は、大阪市北区曽根崎新地にある心療内科や精神科などを専門とする「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」であり、犯人による放火が原因とされています。多くの犠牲者が出た大阪ビル火災事件の裏には、精神科病院における隠された闇があると感じていました。

 

今回、国際ハッカー集団に名指しされた2つの病院も、精神科医療の隠された闇が潜んでいると見ています。隠された闇の仕組に対して国際ハッカー集団の闇が攻撃を仕掛けようとしているのです。全国最大規模の精神科病院である都立松沢病院について調査とワークを行うことにしました。ウィキペディアによると、『東京都立松沢病院とは、東京都世田谷区にある医療機関である。精神科の専門病院として知られる。

 

それまで東京市巣鴨にあった精神病院、東京府巣鴨病院が1919(大正8)に現在地に移り、「東京府松澤病院」として診療を始めたのが始まりである。松沢病院の前身は、明治5(1872)に東京府本郷に設置された養育院に始まるその目的は、明治政府樹立後の内戦や廃藩置県による混乱によって生まれた浮浪者や行き場のない病人を収容することにあった。1879(明治12)7月に養育院が東京府神田に移転した際に収容者を調査した。

 

その結果、120人中68人が精神疾患者であることが判明し、彼らの収容目的として、同年7月に東京府上野の上野恩賜公園に建てられた東京府癲狂院(とうきょうふてんきょういん)を設立する。初代院長は東京府病院長長谷川泰である。その後1881(明治14)8月に本郷区向ヶ丘、1886(明治19)6月に小石川区巣鴨駕籠町に移転。第3代院長には、東京帝国大学医科大学精神病学教室初代教授に就任した榊俶(さかき はじめ)が兼任する。

 

1889(明治22)に東京府巣鴨病院と改称。1901(明治34)に東京帝国大学精神病理学講座主任教授・呉秀三が巣鴨病院院長を兼任し、病院改革を始める。1916(大正5)、東京帝国大学精神病理学講座が巣鴨病院から分離。1919(大正8)117日に荏原郡松沢村に移転し、東京府松沢病院になった』と記されています。松沢病院の前身である浮浪者や行き場のない病人のための養育院であることから松取り(松果体収穫)の闇を感じます。

 

あそか病院のワークなど、これまでのワークから震災などの混乱時における弱者が松取りの犠牲者になる場合が多いと分かっています。表面的に人命救助のための医療施設が、松取りの隠れ蓑になっているのです。都立松沢病院の所在地の住所は「東京都世田谷区上北沢2丁目11」です。「上北沢」の地名から水の場所と感じます。また、グーグルマップで調べると松沢病院に隣接する「世田谷区立将軍池公園」が気になりました。

 

将軍池公園を調べると《松沢病院の将軍池》の記事がありました。『元来、精神科の専門病院だった都立松沢病院の広大な敷地内にある「将軍池」は大正10年から15年にかけて患者の作業療法の一環として造られた池です。地面を掘り下げて地下水を湧出させ、掘った土で池の真ん中に築山(加藤山)を造成しました。「将軍池」の名は作業に参加した患者で自称「将軍」の芦原金次郎氏(全国的な有名人だったそうです)にちなんだものです。

 

「加藤山」は作業を指導した医長・加藤普佐次郎氏に由来します。 また、この一帯はもともと湧水のある湿地帯だったようで、北沢川(目黒川の上流。今は暗渠)の水源地帯でもあり、将軍池の水も北沢川の水源になっていました』と書かれていました。都立松沢病院の敷地全体に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです。地下あり」と伝えられました。やはり水源の地の光を封じるために隠された闇が潜む病院施設が置かれたと感じます。(つづく)