Los_Alamos_aerial_view


マンハッタン計画(Manhattan Project)は、第二次世界大戦中のアメリカの原子爆弾製造計画です。ドイツの核開発の可能性を恐れた亡命科学者らが、ルーズベルト大統領に原爆製造の急務を進言したのが発端で、約二十数億ドルを費やし、オッペンハイマーなどの科学者を動員しました。19428月「マンハッタン管区」(機密保持の暗号名)が陸軍工兵科内に設置され、陸軍、ロス・アラモスなどの関連研究所、産業団体の間に協力体制が敷かれました。

 

19457月に、ニュー・メキシコ州アラモゴードで史上初の核実験が行われ、8月には広島、長崎に原爆が投下されました。マンハッタン計画-Wikipediaには、真実を隠すための巧妙な開発手法と感じる一文があります。『マンハッタン計画の開発は秘密主義で行われ、情報の隔離が徹底された。別の部署の研究内容を全く伝えず、個々の科学者に与える情報は個別の担当分野のみに限定させた。

 

全体を知るのは上層部のみというグローヴスの方針には自由な研究を尊ぶ科学者からの反発も強かった』。マンハッタン計画の開発の全体像を示さずに、研究業務を担当別に分けて、それぞれの担当にしか情報を与えないやり方です。大木の幹の全体を見せずに、個別の枝葉だけを見せることをしたのです。この手法は、現在の車の生産ラインなど分業体制の組立生産にも活用されており、秘密を守り、真実を隠蔽するやり方だと感じます。

 

もう1つ、マンハッタン計画で注目したのが、プロジェクトの重要な場所であるオークリッジ(テネシー州)、ロスアラモス(ニューメキシコ州)、ハンフォード(ワシントン州)です。オークリッジ、ロスアラモス、ハンフォードの場所は、米国の先住民であるアメリカインディアンに関係しているかもしれないと直感しました。オークリッジは、アメリカ合衆国テネシー州東部にある都市で、パレオ・インディアンの痕跡がクリンチ渓谷の辺りに見つかっています。

 

オークリッジには、最初のウラン精製工場が建設されました。wikiには『最初の工場ができると全米から労働者が集められた。オークリッジに置かれたY-12電磁的ウラン濃縮施設のシフト交代。人口は増大し、19455月にクリントン・エンジニア・ワークスに82,000名、ローン・アンダーソンに10,000名が雇われた時、最大の75,000名となった』と記されています。ロスアラモスは、アメリカ合衆国ニューメキシコ州北部のロスアラモス郡にあります。

 

標高2200mに位置するため高山性植物が美しくコヨーテやエルクなどの野生動物も生息している自然豊かな町です。マンハッタン計画で知られるロスアラモス国立研究所があることで有名です。《マンハッタン計画国立歴史公園に関する一論考》には、『ロスアラモス研究所は、マンハッタン計画を遂行するために、周辺のプエブロ系の部族(サン・イルデフォンソ・プエブロ族、サンタ・ クララ・プエブロ族、オケ・オウェンゲ・プエブロ族、ヘマス・プエブロ族など)および近郊の町、エスパニョーラなどから、たくさんの人を雇用した。

 

また、多くの科学者の家ではプエブロ族の女性がメイドとして働いていた。その労使関係の一部は、現在も続いている』と記されています。「プエブロ族」とは、アメリカ合衆国の南西部、主としてアリゾナ州北東部とニューメキシコ州で、プエブロと呼ばれる小集落を形成し定住しているアメリカインディアンの総称です。ワシントン州ハンフォードは、アメリカ合衆国ワシントン州ベントン郡にかつて存在していた小さな農業の町です。

 

町の住民はハンフォード・サイトとして知られている核生産施設の土地を確保するため、ホワイトブラフスの町と共に1943年に強制的に立ち退かされました。ハンフォード技術工場と名付けられ、後のハンフォード・サイトという米国で最大級の核廃棄物問題の箇所です。ハンフォード・サイトは1,518平方キロメートルに及ぶ広大な土地です。wikiには『ここはコロンビア川、スネーク川、ヤキマ川の合流点に当たり、伝統的にインディアンの諸種族が出会う地点であった。

 

1860年代に、ヨーロッパ人・アメリカ人が入植を始め、リッチランドなどの町が作られた』と記されています。マンハッタン計画のプロジェクト拠点であるオークリッジ、ロスアラモス、ハンフォードの3つの場所は、自然豊かな水の土地であり、先住民のインディアンと深く関係していたことが分かります。原子爆弾製造計画のマンハッタンプロジェクトを隠れ蓑にして、インディアンの松取り(松果体収穫)が行われて来たと推測します。

 

マンハッタン計画の責任者は、アメリカ陸軍の軍人(中将)レズリー・グローヴスです。マンハッタン計画の実働部隊はアメリカ陸軍なのです。マンハッタンプロジェクト以前の米国で、インディアンの松取りが行われたと思われる出来事があります。1838年~1890年に起きたインディアンの強制移住、虐殺の事象です。《虐殺されたインディアンの魂たちが光に還る》には、インディアンが殺された戦いなどの事象を記しています。

 

サンドクリークの虐殺、グリージーグラス川の戦い、ブラックヒルズ戦争、チェロキー族の涙の旅路、ナバホ族の涙の旅路、1890年のウンデッド・ニーの虐殺です。戦いや虐殺については、実質的に現在の米軍が主導しています。戦争は松取りのための工作と捉えています。秘密裏に松取りという利益を得るために、2つの勢力の戦いを仕組むのです。先住民のインディアンの松取りは、命を奪って金に換え、それを隠蔽するという三重の闇となります。

 

松取りの闇は、インディアンの光を奪って、水の場所の光を闇で覆うことになり、土地の光を封印するのです。ハンフォード・サイト-Wikipediaには『201511月、米政府は原爆を開発したマンハッタン計画に関連する研究施設群として、ハンフォード・サイトを含む3か所を国立歴史公園に指定した。他の2か所は原爆を設計・製造したニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所、ウラン濃縮を行ったテネシー州オークリッジ国立研究所である。

 

これらはいずれも立ち入りが制限されて来たが、徐々に公開され、2020年には国立公園として整備される予定であったが、実現には至っていない』とあります。恐らくオークリッジ、ロスアラモス、ハンフォードの場所には、松取りの犠牲になったインディアンの遺体が埋められたと見ています。マンハッタン計画の裏で行われたインディアンの松取りの証拠を隠すために、国立公園に整備する予定だったのです。(つづく)