3月3日、ヤフーニュースに載っていたNEWSポストセブンの記事「蓮舫議員の長男が元自民・糸山英太郎氏と養子縁組 数千億円の資産相続も」に目が留まりました。立憲民主党の女性議員・蓮舫の長男・琳が元自民党の糸山栄太郎の養子縁組したというのです。『身長175cmのイケメンに育った琳は「VOYZ BOY」という40人以上の男性アイドルグループのメンバーとして活動し、2019年7月には大泉洋主演のドラマ「ノーサイド・ゲーム」(TBS系)で俳優デビューも果たしている。
「琳さんが出演するライブに足を運び、熱心にペンライトを振る姿がよく目撃されていました。彼の出た番組はすべて録画してあり、アポなしで撮影現場に現れてスタッフを仰天させたことも。2年前に琳さんが家を出てからは掃除や洗濯をするために週に一度は部屋に押しかけ、甲斐甲斐しく世話を焼いていました」(蓮舫氏の知人)目に入れても痛くないほど溺愛した長男が、よりによってなぜ自民党員になったのか。予想外の造反劇には伏線があった。
昨年1月、蓮舫氏は参院予算委員会で、新型コロナ対応に苦慮する菅義偉首相(当時)に「あなたには首相としての自覚や責任感はあるんですか!」などと詰め寄り“礼を失している”と炎上した。誰よりも過剰な反応を見せたのが琳だった。自身のYouTubeチャンネル(現在は削除)で琳は、こう発言して周囲を驚かせた。《今日で、母親のことを気にして生きるのはやめたいと思います》前出の蓮舫氏の知人が語る。
「あまりにも唐突な決別宣言でした。蓮舫さんは子供が小さい頃から家のテレビで国会中継をつけて政治の話をしていましたが、琳さんはそれほど関心を示さなかったといいます。ところが、YouTubeで母親が菅総理を詰問する音声を流しながら、《これからは政治にも向き合おうと思います。仮に母と意見が食い違ったとしても自分の意見は曲げないつもりです》と宣言したのです」ショッキングな琳の決意表明は単なるパフォーマンスでは終わらなかった。
2020年8月の両親の離婚に際し、琳は自分の意思で母の戸籍に入り蓮舫氏の本名である「齊藤」姓になった。だが昨年5月、彼はその大切な姓を捨てた──。「母もわかってくれて、何も気まずいことはなかった」
昨年10月、琳はネットメディアの取材にこう答え、決別宣言後も蓮舫氏との間に確執はなかったと語っている。しかし実はこの間に彼は大きな決断を下していた。自民党関係者が語る。
「昨年5月、琳さんは自民党の大物フィクサーとして知られる実業家の糸山英太郎氏(79才)と養子縁組をして、本名も齊藤琳から糸山琳に変わったのです。糸山氏が経営する湘南工科大学に入学し、昨年11月末でアイドルグループから脱退。学問だけでなく政治から帝王学まであらゆることを糸山氏の下で学んでいます」』と記されています。この記事にある蓮舫の息子が糸山英太郎の養子になったという話には裏があると思いました。
その根拠の1つ目は、蓮舫は、台湾生まれであり、台湾の国籍を持っていたこと。2つ目は、台湾は、中国と分離させ対立関係を構築して松利権工作のために日本が創った国だと見ていたこと。3つ目は、糸山英太郎は、中曽根康弘元首相の秘書を務めており、過去のワークで松利権に深く関与していると分かっていたこと。4つ目は、自民党と民主党(現・立憲民主党)は、表で対立構図だが裏では手を組んでいると捉えていること、です。
今回の立憲民主党の蓮舫の息子が糸山英太郎の養子になり、自民党員になったことは、様々な意味で今まで隠されて来た闇が表面化することになると感じます。糸山英太郎、蓮舫を中心に関係者について調査とワークを行うことにしました。wikiには『糸山英太郎(1942年-)は、日本の政治家、実業家。1942年(昭和17年)佐々木真太郎と糸山道子との間に生まれる。文京区立第三中学校、獨協高等学校を経て、1962年、日本大学経済学部を中退する。
1969年(昭和44年)新日本観光株式会社代表取締役に就任。1970年(昭和45年)父の佐々木真太郎と笹川良一が友人で、笹川の姪と結婚する。1973年(昭和48年)通信教育で日本大学経済学部を卒業して近畿大学大学院へ進学する。自民党に入党する。1974年(昭和49年)第10回参議院議員通常選挙で全国区から自民党公認で立候補し初当選。1979年(昭和54年) 第2次大平内閣で農林水産政務次官に就任。1981年(昭和56年)相模工業大学(現・湘南工科大学)学長・理事長に就任。
1983年(昭和58年)第37回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し荒舩清十郎の地盤を引き継ぐ形で当選。1996年(平成8年)衆議院議員を辞職し、政界引退。湘南工科大学学長・理事長に就任。 2002年(平成14年)日本航空の特別顧問に就任。2004年(平成16年)湘南工科大学名誉総長、および名誉教授に就任。2005年(平成17年) 湘南工科大学で従来の理事長職に加え総長にも就任』と記されています。糸山英太郎は、金権選挙でも有名になっています。
『後の総理大臣・中曽根康弘の秘書を経て、1974年(昭和49年)、石原慎太郎の後押しにより自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区出馬、32歳で参議院議員に初当選するが、選挙期間中から金権選挙振りがマスコミの耳目を集めた。さらに当選直後に大規模な選挙違反が発覚、選対本部長を始め経営していた会社の社員・ギャンブル関係者など142人が逮捕され、1287人が検挙されるという当時としては最大規模の選挙違反事件に発展した』とwikiにあります。
中曽根康弘元首相の秘書以外にも、松利権支配の象徴的団体である日本財団の笹川良一・笹川了平の親子とも血縁関係であり、過去に日本航空の株券を所有し、1998年(平成10年)には筆頭株主になったことからも、松利権支配に深く関係していることが分かります。糸山英太郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価。反社」と伝えられました。金に物を言わせてきたことから、裏世界の創価学会と繋がっていることが自明のようにも思えます。(つづく)