多摩ニュータウン


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8日、「あやしい建物がある」と伴侶が言って、その建物の画像が載っているツイッターをメールで送信してくれました。ツイッターには、『「んー、やっぱり謎 福祉施設にこんな部分必要なのかな」「入れない場所が多すぎてとりあえず外から観察。う、埋まってる? 向かいにある高台から見てみたけどほんとなんなのここw」「この建物の道を挟んでお隣はゴルフ場」「中の様子と外に隠れるようにあった変な置物 なんなんだこれはw

 

「結局中には入れず外をぐるっと。元から福祉センターのつもりで建てた感じは全くしないw」「階段は封鎖されててどこも上がれず。 不必要な造りが気になって仕方ない 結局謎しか残らない不思議建物」』と見学した人の印象が記されています。画像を見ると、確かに西洋の城壁のような煉瓦造りの土台の古い建物で怪しい雰囲気です。この怪しい建物は、東京都多摩市南野にある「二幸産業・NSP健幸福祉プラザ」で、多摩市総合福祉センターになっています。

 

グーグルマップで詳細に観ていくと、地下に繋がっている松取りの闇の場所の可能性を感じて、調査とワークを行うことにしました。二幸産業・NSP健幸福祉プラザ公式サイトには『二幸産業・NSP健幸福祉プラザは、地域ぐるみの福祉の推進に向けて建設されました。 趣味、教養、健康の各種事業を行っているほか、団体様を対象に会議室・研修室等の貸し出しを行っています。老人福祉センター、障害者福祉センター、デイサービスセンター』とあります。

 

過去の経験から「福祉施設」は、松取りの闇に繋がっていることが多いと分かっていました。二幸産業・NSP健幸福祉プラザに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「地下の出入口」と伝えられました。自然豊かな多摩地区の光を封印するための地下の闇につながる施設のようです。施設の名前になっている「二幸産業」は、公式サイトによると『二幸産業は196111月に建物清掃を主な業務として設立されました。それから半世紀以上を経て、建物総合管理事業を軸としてプロパティマネジメントやホテル事業・介護事業を展開する今日に至りました。

 

また、今後の地球環境を見据えた省エネルギーへの取り組みも行っております。1959(昭和34)3月東京都港区に連絡事務所を設け、小林保廣が錦糸町を中心にビル清掃を開始』と記されています。二幸産業は、「60年連続黒字経営」という会社だといいます。二幸産業の会長は小林保廣、社長は小河原豊です。二幸産業の会長、社長、本社(東京都新宿区西新宿の新宿センタービル)に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「何でも掃除して来た人。日本DS」「背広を着た反社」「いいです。地下の掃除屋」と伝えられました。地下施設の松取り・食人に繋がる闇の清掃に関係しているようです。日本DSなどの暗黒集団の地下施設の掃除係なので、景気に左右されずに黒字になる訳です。二幸産業・NSP健幸福祉プラザを建設した会社を調べると「今治建設株式会社」でした。公式サイトの実績紹介のページに『東京都多摩市総合福祉センター 名称 東京都多摩市総合福祉センター

 

 所在地 東京都多摩市南部 延べ面積 12,800.6平方メートル 構造 鉄骨鉄筋コンクリート造地上7階建 用途 施設』と記載されています。会社情報については、公式サイトによると『商号:今治建設株式会社、設立:1963816日、事業内容:建設工事全般(マンション・店鋪)の施工、監理/建設工事全般(マンション・店鋪)の設計/木造住宅の設計、施工/スチールハウス(社団法人鋼材倶楽部スチールハウス委員会)の設計・施工、本社:東京都多摩市関戸』とあります。

 

社長の篠塚公之に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」と伝えられました。地下の闇に繋がる建築物をつくる企業は、殆どの場合、暗黒集団の一員でグルの構図になっています。二幸産業・NSP健幸福祉プラザに入居している社会福祉法人として「啓光福祉会」と「多摩市社会福祉協議会」の2つを選びました。啓光福祉会は、二幸産業・NSP健幸福祉プラザ1階の障がい者通所施設「啓光えがお」を運営しています。

 

啓光福祉会-Wikipediaには『啓光福祉会は、東京都多摩市和田にある社会福祉法人。啓光学園、啓光えがお、啓光ホーム石村(グループホーム)、啓光ホーム伊野(グループホーム)、なかまの樹を有する。ショートステイも受け付けている。1941(昭和16)5 - 中島育子個人立により精神に障害のある児童の相談委託の場を牛込区薬王寺町に開設。「愛泉会」として始める』と記されています。理事長・依田明と本部(東京都多摩市和田)に各々光を降ろしました。

 

「いいです。一味」「いいです」と伝えられました。公式サイトによると『社会福祉協議会は、社会福祉法(109)に基づき地域福祉の推進を図ることを目的として全国各市区町村に設置されています。多摩市社会福祉協議会は、昭和304月に任意団体として設立され、その後昭和48年に社会福祉法人としての認可を受けました。誰もが住み慣れた地域の中で、年齢・性別・障がいのあるなしに関係なく、安全に心豊かな生活を送りたいと願っています』とあります。

 

多摩市社会福祉協議会の代表会長・伊藤雅子(民生委員)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「創価」と伝えられました。全国の社会福祉協議会そのものが創価の可能性があります。福祉施設は、人命を犠牲にした金儲けが隠されている場所です。裏の闇を隠すために表を光のように飾るのです。wikiには、『多摩市は、東京都の多摩地域南部に位置する市。人口は約147千人。市域は多摩川中流右岸に広がり、多摩丘陵の北端を占める。北端は多摩川、南端は多摩丘陵の稜線である。

 

多摩川の支流である大栗川とその支流である乞田川が刻んだ、やや開けた谷状の地形を持つ。市域はこの谷状の地形に沿って東北東から西南西方向に長い形状をなし、起伏に富んでいる。全域が主に東京郊外の住宅街として、ベッドタウンが広がっている』と記されています。多摩市の市民を実質的に支配する役割が多摩市長です。現在の多摩市長は阿部裕行です。wikiには『阿部裕行(1956-)は、東京都小金井市生まれの政治家。東京都多摩市長(19-21)

 

日本大学法学部新聞学科卒業。1979年に日本新聞協会に就職。200234日、多摩市長の鈴木邦彦が辞職。これに伴って421日に行われた市長選挙に民主党の推薦と社民党の支持を受けて出馬するも次点で落選。2009年、日本新聞協会の事務局次長兼経営業務部長に就任。20104月、民主・共産・社民・ネットの推薦を受けて多摩市長選挙に立候補し初当選を果たした。革新系首長の誕生は、多摩市においては前身の町村時代を含めても史上初である。

 

多摩市議会では日本共産党が与党勢力に加わっているが、一部を除き保守系会派・議員も予算案や条例案などに賛成する傾向にある。201312月の記者会見で任期満了に伴い実施される市長選に再選出馬を表明。20144月の同市長選には政党推薦を受けずに臨み、31,828票の得票で再選された』と記されています。阿部裕行に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「やる気なし。金だけ自分だけ」と伝えられました。

 

多摩市は、多摩川の南に広がる緑の場所であり、本来は、大事な光の地底があったと感じます。多摩市をグーグルマップで観ると「サンリオピューロランド」がある場所でした。ディズニーランドと同様に、子供を犠牲にしたアドレノクロムの闇に通じる重要なポイントです。こうして書いている時も、"裏インドの闇"を示す自分の左腕の痛みの知らせが来ています。別の機会に調査とワークを行う必要があります。多摩市の地が開かれて本来の姿になることを願っています。