Nanohana&Kaimondake


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18日、夜になって左足のくるぶしの外側に軽い痛みが出てきました。ワークの場所を教えてくれるサインでした。私の左足は、日本地図では薩摩半島にあたりますので、くるぶしは開聞岳の辺りだと思いました。グーグルマップで開聞岳を調べてみると「花瀬望比公園(はなぜぼうひこうえん)」が目に入りました。ネットで調べてみると、花瀬望比公園は、鹿児島県指宿市開聞十町の海岸沿いにある第二次世界大戦で亡くなられた方々の慰霊の地としての公園でした。

 

いぶすき観光ネット》には、『開聞岳噴火の溶岩でできた景勝の地にある公園は、第二次世界大戦でフィリピン方面で戦死された山下大将ら476千有余の霊が鎮められています。毎年、327日には戦没者慰霊祭が行われます』と記されています。《♪望郷のバラード》の記事「旅行記・花瀬望比公園-鹿児島県指宿市 2008.08』には、花瀬望比公園の画像と詳細内容が掲載されています。『花瀬望比公園 「望比」(ぼうひ)とは、比島(フィリピン群島)を望むという意味です。

 

薩摩半島の南端の象徴である開聞岳のちょうど西側にある花瀬崎は、初期噴火のときに流れ出た縄状玄武岩でおおわれている海岸で、イソギンチャクが殻の中から五色の花を咲かせている群落があったことから花瀬の名称が生まれたといわれます。その花瀬公園に、比島戦没者慰霊碑が建設され、死生の扉、想比之碑、安らぎの鐘、大鐘楼などが整備されたのを契機に、公園の名前を改称し、過ぐる第二次世界大戦の戦没者の霊の鎮まる霊地とされました。

 

末永く英霊の安穏と21世紀に向けて世界各国の平和の基地として発展することを祈念し、「花瀬望比公園」と命名されたものです』と記されています。また、花瀬望比公園の沿革については、『比島作戦に参加した鹿児島県出身戦死者一万二千余柱の遺族と、二千余人の生存者が中心となり、昭和41年「比島戦没者遺骨収集ならびに慰霊碑建立期成会」を結成。同年11月に鹿児島大学の練習船「敬天丸」で出航し、ルソン・レイテの島々浦々、山野峡谷から4,047柱の遺骨を収集した。

 

昭和43年に開聞町当局の好意により、この地に慰霊碑を建立した。太平洋戦争(1941128日~1944815)の激戦地フィリピン群島では、従軍兵の4分の3に相当する476千余柱が戦場の露と消え、そのうえ終戦後も兵士の死骸は草むす屍として山野に散乱していた。九死に一生を得た戦友や遺族の心痛に応え、遺骨収集並びに慰霊碑建立期成会を結成、196611月遺骨収集団(団長ほか21)は、鹿児島大学水産学部練習船敬天丸に乗船し、遥々比島の古戦場に上陸した。

 

炎天下、比島各地の激戦を偲びつつ、山野の叢の中から、4,147柱の遺骨を収集した。 遺骨は広大な戦野に眠る戦友の御霊と一緒に現地で鎮魂の供養を行い、祖国日本の鹿児島港に帰還した』とあります。花瀬望比公園に置かれた慰霊のための作品には、作者名と説明書きが添えられています。『殉国戦士面影の像:世界民族の永久の平和を祈念し、激戦地フィリピン群島で生命をかけ戦い矢つき玉尽き、尊い生命を落とされた殉国戦士の面影を象徴したものです。中村晋也(日本芸術院会員、鹿児島大学教授)作。

 

想比之像 比島に出兵した従軍兵士の妻子は夫や父の安全と終戦をひたすらに望み無事帰還を祈っておりました。この像はその姿を象徴したものであります(中村晋也作)』。戦争の悲劇の美談を強調して前面に訴えるための作品であり、工作のための慰霊公園と直感しました。これまでの調査とワークから、戦争は勝敗を決するための純粋な戦いでは決してなく、軍の上層部が手を組んで、戦地の兵士や一般市民の命を取って、裏の金儲けのための汚い八百長工作だと捉えています。

 

嘘をつかない純粋な人たちの命を犠牲にした、支配層のための松取りや食人の闇となる大規模工作なのです。最近、ウクライナの特別軍事作戦を実施しているロシアに対して、日本の岸田文雄首相が「戦争犯罪」という言葉を出して批判しました。しかし、以前から日本は、国家主導で金儲けのために、兵士や国民の命を犠牲にした戦争を起こしてきました。天皇を中心とする暗黒集団と国体そのものが戦争犯罪を起こし、それを隠すために数々の工作を成して来たのです。

 

戦争に対して、多くの人たちが工作員の嘘に騙されてきました。DS・日本DS・八咫烏・創価学会などの支配層の暗黒集団の工作員たちは、大金を得るために、常に国民に嘘をつき続け、騙し続けています。3月中旬、ブログの読者の方から、戦争に関する情報をメールで提供していただきました。『最近ふと親戚のおじさんが言ったことを思いだしたんですが、「戦死って言っても、実際に現場で死ぬやつばっかりじゃない。部隊内でやられるやつもいっぱいいた」。

 

私が20代。おじさんは50代でした。今思えば何か言いたそうな言えないようないつもと違う雰囲気だったのに。私はそういう微妙な空気が分からない人だったので、50年もたってからそういえばと思い出した次第です』。実際に、戦地で戦った人の中には、戦争というものが、どういうものかを実感している人もいます。人の命を奪って金儲けをして、それを隠蔽するために嘘で塗り固めるのです。これ以上、深くて大きな闇はないです。しかし、これが現実に起きていることです。

 

戦争の真実を隠蔽する悲劇の美談の闇に覆われた沖縄特攻作戦と特別攻撃隊》のシリーズ記事には、鹿児島県の知覧特攻基地を主とする特攻隊について書いています。特攻隊も殆どが作られた悲劇の美談だと見ています。多くの若い特攻隊員たちは、部隊内の地下などで命を取られていると推察しています。戦争に関する情報を発信している従軍記者、ジャーナリスト、作家、メディアなどは、人々に嘘をついて騙す金の亡者である工作員です。現在のウクライナに関する状況を見れば分かります。

 

花瀬望比公園に置かれた慰霊の作品を手掛けた中村晋也は工作員だと感じて、ワークを行いました。wikiには、『中村晋也(1926-)は、日本の彫刻家。鹿児島県鹿児島市名誉市民。三重県亀山市名誉市民。受賞:日展文部大臣賞、日本芸術院賞、紺綬褒章、文化勲章、勲三等旭日中綬章』と記されています。中村晋也に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「悪魔崇拝者」と伝えられました。テンプル騎士団のような秘密集団の儀式を行っている可能性があるといいます。(つづく)