フィリピンの戦いをネットで調べている時、腰の中央やや左側に強い痛みがありました。過去の経験上から、場所は下関や門司の辺りだと直感しました。その時に見ていたのは、フィリピンの戦いのwikiの「日本軍による輸送作戦と連合国軍による通商破壊作戦」の項目でした。そこには、『フィリピンの周辺海域は日本と東南アジアを結ぶ航路があったため、南シナ海やバシー海峡・ルソン海峡では日本軍の輸送船団に対して連合国による攻撃が行われ、日本側は大きな被害を被った。
詳細は「ヒ船団」を参照
詳細は「ミ船団」を参照 詳細は「マタ船団」を参照』と記されていました。「ヒ船団」「ミ船団」「マタ船団」とは、太平洋戦争中に日本が物資輸送をした護送船団のことを指します。ヒ船団は、日本(大日本帝国)が大東亜戦争において日本本土とシンガポール間で運航した一連の護送船団で、主な任務は、日本占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することでした。ミ船団は、日本が太平洋戦争後期に日本本土とボルネオ島ミリとの間で運航した一連の護送船団です。
中小型のタンカーを主力に日本本土への石油輸送を主任務としました。マタ船団は、太平洋戦争後期の1944年10月にマニラから高雄へ航海した日本の護送船団です。マタ船団の「マタ」とは、フィリピンのマニラと台湾の高雄の間の輸送を意味します。主なヒ船団の例では、ヒ30船団、ヒ40船団、ヒ68船団、ヒ71船団、ヒ72船団、ヒ81船団、ヒ85船団、ヒ86船団、ヒ87船団、ヒ88A~I船団、ヒ88J船団、ヒ98船団などがあります。ミ船団、マタ船団にも番号が記された多くの護送船団があります。
台湾バナナの海路輸送と同様に、太平洋戦争中、護送船団によって、石油などの資源輸送を隠れ蓑にして松取り・食人の犠牲になる人たちを運んでいたと直感しました。護送船団-Wikipediaには、『護送船団とは、軍艦、航空機や武装舟艇などに護衛されて航行する輸送船や商船の集団のことである。敵勢力からの妨害を排除し、味方勢力による海上輸送の維持を目的としている。戦時下において通商破壊に対抗するために生み出された戦法である』と記載されています。
重要な資源の輸送を護衛するための集団で航行するのです。護送船団の中に、驚くことに「松輸送(まつゆそう)」という名前の輸送船団があることを知りました。松輸送のwikiには、『松輸送は、大東亜戦争中の1944年前半に日本軍が行った中部太平洋方面への増援部隊輸送作戦である。絶対国防圏と位置付けられたマリアナ諸島などの守備隊を強化するため、満州などから転用された地上部隊や軍需物資が松船団と総称される11回の護送船団で運ばれた』とあります。
松輸送は、裏で松取り・食人の犠牲になる人たちの輸送を担っていたとも感じます。さらに調べていくと「南号作戦」というワードも出てきました。wikiには、『南号作戦は、太平洋戦争末期に日本海軍の実施した資源輸送作戦のことである。1945年(昭和20年)1月下旬から3月下旬まで、シンガポール方面から日本本土へ向けて、10隊以上の護送船団を航行させたが、撃沈された船舶や艦艇も多い』とあります。wikiには、「大内建二による11次に渡る船団」として船名を含む目的が書かれていました。
『例えばヒ88A船団は、タンカー「せりあ丸」(三菱汽船:10238総トン)1隻のみと護衛の駆逐艦・海防艦・駆潜艇のべ8隻から構成された。輸送船自体にも対空機銃や爆雷などの自衛兵装が多数搭載された。17000キロリットルの航空用ガソリンの輸送に成功した「せりあ丸」のように無事に到着した例もあり、3月27日に徳山港に入港した「光島丸」(三菱汽船および三菱海運が運航していたタンカー)まで6隻が任務を達成した』。wikiに掲載の南号作戦の船名と到着港を纏めると次のようになります。
船名は、『タンカー「せりあ丸」(三菱汽船)、「光島丸」(三菱汽船および三菱海運が運航していたタンカー)、「大越丸」(大阪商船)、「延喜丸」(日本郵船)、「延長丸」(日本郵船)、「聖川丸」(川崎汽船)、「延元丸」(日本郵船)、「大暁丸」(大阪商船)、延慶丸(日本郵船)、神祐丸(大阪商船)、「永昭丸」(飯野海運)、「日翼丸」(日産汽船)、「光島丸」(日本郵船)、「富士山丸」(飯野海運)、「永洋丸」(日本油槽船)、「日南丸」(飯野海運)、「東城丸」(大連汽船)、「第二建川丸」(川崎汽船)、「東亜丸」(飯野海運)、「良栄丸」(日東汽船)、「ぱれんばん丸」(三菱汽船)など』です。
大阪商船は、現在の「商船三井」です。日本郵船・商船三井・川崎汽船の日本の三大海運会社が多くを占めていることが分かります。また、到着港は、『門司港外の六連島泊地、徳山港、海南島楡林、門司、上海など』となっています。無事到着した船の殆どが最終地点が「門司港」です。左側の腰の痛みは、北九州市門司港を教えてくれていたと感じます。出光興産の前身の出光商会や鈴木商店の拠点が門司であり、門司港は松利権網の重要拠点となっていました。
海南島楡林については、《ボアオ・アジア・フォーラムが開催される中国・海南島に潜む深い闇》のネット情報では、『子供たちは、東京の地下基地から鹿児島県志布志市に輸送されます。そこから、中国の海南島に輸送されます。日本の海軍情報局によると、アジア最大の人身売買ハブです』とあります。人身売買の歴史を有する日本郵船、門司港、海南島などの客観的な証によって、太平洋戦争(大東亜戦争)の日本軍が松利権ネットワークを構築していたと捉えています。(つづく)