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ウクライナの現地レポートをしているジャーナリストの佐藤和孝が代表を務めるのが「ジャパンプレス」です。日本経済新聞によると、『ジャパンプレスは、世界各地の戦地や紛争地を取材する独立系通信社。同社のホームページによると、本社は東京都杉並区。シリアで死亡した山本美香さん、同行していた佐藤和孝さんが中心となり、特に中東やアフガニスタン、イラクなどを長年取材している』と記されています。ジャパンプレスは、戦争や紛争の情報を伝えるメディアのようです。

 

ネットで調べてみるとジャパンプレスの公式サイトはありました。戦地や紛争地の写真が主に掲示されており、ニュース・所属メンバー・出版物・お問い合わせのメニューが載っています。しかし、ジャパンプレスの活動内容の説明は全く記されていません。戦争地域の画像を掲載して、訪問者の視覚に訴える形のサイトだと印象を持ちます。ジャパンプレスの公式サイトを見て、私が一番不可解に思ったのは、所属メンバー3名の中に、1名の故人が紹介されていることです。

 

シリア内戦の取材中に銃撃されて死亡したとされる「山本美香」が写真と共に紹介されています。何故、亡くなった故人を会社所属のメンバーとして紹介しているのでしょうか。一般的な感覚ではあり得ないことだと思います。また、ジャパンプレスの公式サイトの山本美香のプロフィールの下には、「山本美香記念財団」のバナーが貼りつけられていました。山本美香記念財団の公式サイトは、一見して山本美香の姿を前面に出していると分かります。

 

公式サイトには、山本美香について、山本美香記念国際ジャーナリスト賞、財団の活動、寄付・支援、お問い合わせのメニューが載っています。「寄付・支援」の項目があることに注目しました。さらに、トップページの下部には、「寄付のお願い 月々1000円から支援が可能!ジャーナリストの活動・育成を支援 山本美香記念財団の活動に共感を頂いた方に、広く寄付をお願いしています」と書かれたバナーが貼付されています。

 

どう考えても「金集め」が目当であると見えます。これまで色々な公式サイトを見てきましたが、慈善団体や福祉団体など「弱者を前面に出して同情を引き金を募るパターン」が工作の定番であると捉えています。この時点で、山本美香は偽装死した可能性が高いと私は直感しました。「偽装死」とは、死んだふりをして生延びることです。過去の歴史において、「偽装死」は珍しいことではありません。むしろ、工作員についてまわる手法だと感じます。

 

闇の時代においては、真実を隠して、大衆に騙して暗闇にするのです。昔は、権力者のために偽装死する純粋な闇としてのケースがありますが、近代は、金というエゴを満たすためです。これまでの調査とワークを通して、偽装死したと見ている歴史上の人物は、源義経、織田信長、明智光秀、細川ガラシャ、孝明天皇、西郷隆盛、山本五十六(元帥海軍大将)、栗林忠道(陸軍大将・硫黄島の戦い)などです。表舞台から消えて裏に回ること自体が、八咫烏の闇に通じます。

 

wikiには、山本美香がシリアでの最後の取材の記述が掲載されています。『山本美香は2012(平成24)814日に現地入りした。20日シリア内戦の取材中にシリア北部のアレッポにて銃撃を受けて、搬送先の病院で死亡が確認された。パートナーの佐藤が病院で遺体を確認したところ、右腕および首に銃創痕が、防弾チョッキで保護された腹部にも、銃撃の跡があり、大量の出血があった。反アサド政権「自由シリア軍」のスポークスマンは山本の死亡を発表。

 

日本の外務省もこの事実を確認した。山本の家族へは21日の9時頃に、佐藤からの電話連絡で伝えられた。山本の遺体は、22日トルコ・アダナの政府施設に運ばれ検視が行われた。その後遺体はイスタンブールを経由して、825日に遺族や佐藤と共に同便のトルコ航空(現・ターキッシュ エアラインズ)(ボーイング777)で日本の成田国際空港に搬送された。同日、警視庁は刑法の「国外犯規定」に基いてこの事件を殺人容疑で捜査を開始。

 

荻窪警察署で検死が行われ、遺体は一旦自宅に運ばれた。翌26日、東京大学病院での司法解剖を経て、首への銃撃による頸髄損傷が致命傷となったことがわかった。また、銃創痕が9カ所あることが明らかになった』。山本美香を偽装死させるためには、多くの国々や組織が協力しなければ出来ないことが分かります。DSが山本美香を一般大衆が注目する美しい悲劇のヒロインとして仕立てて、裏の松取りの戦争の真実を隠蔽すると同時に、金儲けを目的にしていると推測しています。

 

山本美香記念財団の公式サイトには、財団概要と評議員・役員が掲載されています。財団概要は、『名称:一般財団法人山本美香記念財団 設立:平成241017日 目的:世界中で起こっている様々な紛争と、その紛争下で暮らす人々の現状を伝えること、またその役目を担うジャーナリストの支援、育成を目的としています。事業:優れた報道を表彰し、奨励金を授与する山本美香記念国際ジャーナリスト賞の設立。次世代ジャーナリストを育成するスクーリング事業。

 

ルポルタージュ、ドキュメンタリー等の優れた企画に対する支援。平和で豊かな世界を作るための啓発事業』とあります。評議員・役員は、理事長の佐藤和孝(()ジャパンプレス代表取締役)を筆頭にして、理事9名、監事1名、評議員4名の計15名です。調べてみると理事、監事の氏名にある山本孝治、山本香栄は、山本美香の父と妹でした。また、評議員には、井田由美(日本テレビアナウンサー)、袴田直希(日本テレビ報道局 局長代理)の名があり、読売新聞の力が入っていると感じます。

 

日テレとの関係は、山本美香が、2003(平成15)10月から2004(平成16)3月にかけて日本テレビ「NNNきょうの出来事」のフィールドキャスターを務めたことも繋がっている思われます。wikiには、『山本美香(1967-2012)は、日本のジャーナリスト。ジャパンプレス所属のジャーナリストとしてイラク戦争など世界の紛争地を中心に取材し、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞、日本記者クラブ賞特別賞などを受賞した。

 

2012年のシリアでの取材中、銃撃により殺害された。父親も朝日新聞の元記者。山梨県都留市出身。3人姉妹の次女。山梨県立桂高等学校、1990(平成2)に都留文科大学文学部英文学科卒業後、朝日ニュースターに入社し、記者、ディレクター、ビデオジャーナリストとして活動する。1995(平成7)、朝日ニュースターを退職、フリーランスを経て、アジアプレス・インターナショナルに所属。1996(平成8)からは独立系通信社のジャパンプレスの記者。

 

ジャパンプレスの上司である佐藤和孝と15年間、コンビを組んで取材した』と記されています。ジャパンプレスの所属メンバーの山本美香と藤原亮司(1967-・大阪府出身)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「偽装死」「佐藤と同じDS」と伝えられました。山本美香記念財団公式サイトの山本美香のプロフィールには、『1967年北海道帯広市に生まれ、山梨県都留市に育つ』とあります。松取りの地である十勝に生まれ、家系由来の工作員を引継いできたと感じます。(つづく)