Imutaike


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8日、起床すると左足付け根に痛みがありました。左足付け根の部分は、日本列島の薩摩半島の付け根にあたります。グーグルマップで調べていくとカルデラ湖のある「藺牟田池(いむたいけ)県立自然公園」が目に留まりました。《かごしまの旅》の記事「藺牟田池自然公園」には、『国際的条約「ラムサール条約」登録湿地 7つの外輪山に囲まれた静かな池。直径約1km。最深は約3.5m。多様な動植物種が生息する貴重な自然環境が残っています。周囲約4kmの湖畔には梅や桜などの並木があり春は花見、秋は紅葉と楽しむことができます。

 

池には「浮島」と呼ばれる泥炭が300近くあり、低層湿原でこれだけ見れるのは極めて珍しいことから国の天然記念物に指定されています。そして希少野生動植物種であるベッコウトンボや水鳥の生息する重要な湿地として2005年ラムサール条約湿地として登録されました。湖畔には生態系保存資料施設「アクアイム」もあり教育面での利用も多い。その他、ボートやレンタサイクルもあり、幅広いお客様が楽しむことができます』と記載されています。「ラムサール条約」がキーワードでした。

 

藺牟田池-Wikipediaには、『藺牟田池は、鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある直径約1キロメートルの火山湖である。 192133日に「藺牟田池の泥炭形成植物群落」の名称で国の天然記念物に指定され、2005118日付でラムサール条約指定湿地に登録された。藺牟田火山の約50-35万年前の火山活動で、東西約4キロメートル、南北約7キロメートルに広がる溶岩ドーム群が形成された。最後に東側を塞ぐような形で溶岩ドームの飯盛山が形成された。

 

このようにしてできた窪地に水がたまって湖となったものが藺牟田池であるが、藺牟田池の成因が、山体の崩壊であるのか、陥没地形であるのかはっきりしていない』と記されています。火山の地下にあるマグマは、本来は光のエネルギーを放つものだと捉えています。古くから山岳信仰や神社、寺院で山が封印されてきたのは、山の光を封印するためです。藺牟田池の光の地底が闇にされて封じられていると感じました。藺牟田池に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「地下がある」と伝えられました。

 

光の地底から水が湧き出て川、池、湖などの水の場所を形成します。藺牟田池の光の地底を封じるために松取り(松果体収穫)の闇が置かれてきました。wikiによると、「藺牟田」という地名は藺牟田池の沼地部分に藺草(いぐさ)が多く生えていたことに由来しているといいます。また、「牟」の意味を調べると《モジナビ》には、『牟とは、むさぼる/牛の鳴き声などの意味をもつ漢字』とあります。悪魔崇拝・バアル神など「牛」が関係する闇が置かれていると暗示されます。

 

藺牟田池の所在地の住所の祁答院町藺牟田のwikiには、『江戸期には薩摩国伊佐郡のうちであり、樺山氏(薩摩藩家臣)の私領として統治され、領主仮屋を藺牟田小学校の位置に置いた』とあります。《樺山資紀と内田政風から示唆される裏世界の利権を有していた薩摩藩》では、樺山資紀(かばやますけのり)に光を降ろし「反社」と伝えられていました。八咫烏への深い関与があると見る「三州倶楽部」の初代会長が海軍大将の樺山資紀であり、樺山氏の著名人物の1人です。

 

藺牟田池の地が樺山氏の領地だったことは、この地で松取りが行われて来たと感じます。藺牟田池がラムサール条約指定湿地に登録されたことは、ラムサール条約が世界の湿地帯や光の地底を封じる闇の仕組となっていると見ています。wikiによると、『ラムサール条約は、湿地の保存に関する国際条約。水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、197122日に制定され、19751221日に発効した。1980年以降、定期的に締約国会議が開催されている。

 

正式題名は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約。「ラムサール条約」は、この条約が作成された地であるイランの都市ラームサル(ラムサール)にちなむ通称である。全世界で計172カ国の2435カ所が登録され、合計面積は254685425 ha である。日本国内における登録湿地は合計53カ所、面積は 155174 ha である』と記されています。日本で53箇所、世界で2435箇所の湿地が松取り・食人の隠された闇で封じられていると捉えています。

 

ラムサール条約の寄託者(各国から寄託されて管理を行う者)は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)事務局長です。国際連合教育科学文化機関(略称: UNESCO、ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関です。ユネスコの初代事務局長のジュリアン・ハクスリー(イギリス・1887-1985)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「上級トカゲ。工作員」と伝えられました。

 

ユネスコの現事務総長のオードレ・アズレ(フランス・1972-)と本部所在地(フランス・パリ)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「上級トカゲ。工作員」「上級トカゲの巣」と伝えられました。ユネスコ本部の建物をグーグルマップで見ると、家紋の三ツ柏や三菱のスリーダイヤと同じトライアングルの形になっていました。これは、「3」や「三角形」を意味して「八咫烏」に繋がると推測します。日本のラムサール条約事務局は、釧路湿原が登録地となっている北海道釧路市の釧路国際ウェットランドセンターです。

 

釧路国際ウェットランドセンターの理事長の蝦名大也(釧路市長)と所在地に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「大坂なおみの祖父と同じ。工作員」「いいです」と伝えられました。ラムサール条約が作成されたイランのラムサールが気になりました。wikiには、『ラームサルはイラン・マーザンダラーン州の都市。カスピ海沿岸に位置する。日本語ではマスメディアを中心に「ラムサール」との表記も広く行われるが、これは英語音の影響を受けたものと考えられる。

 

ラームサルは温泉、アルボルズ山脈の森林、モハンマド・レザー・シャーの宮殿などを併せ持つ海岸リゾートで、パフラヴィー朝期にはイランを訪れるアメリカ人に良く知られた保養地であった。今日でも多くのイラン人の訪れる観光地である。ラームサル市中の数カ所は、世界でもっとも自然放射線が集中する箇所で、これは温泉の発するものである。ラームサルにおける1人・1年間あたりの被照射線量は、そのピークで260ミリグレイに達する』と記載されています。

 

ラムサールの特徴は、「自然放射線」です。《アメリカインディアンが守ってきたプルトニウムと天然ウランなど自然放射性鉱物によるラドン療法》にありますが、天然ウランなどの自然放射性鉱物から放出される自然放射線は、本来、人間にとっての光のエネルギーであり、病気の治療や癒しに利用されてきました。ラムサールの地は、本来、光の場所ですが、封じる役割のものがありました。グーグルマップで目に留まったのが「ラムサール宮殿」です。wikiには、『ラムサール宮殿は、イランの歴史的建造物と王宮の1つ。

 

ラムサール宮殿は1937年に60,000平方メートルの土地に設立された。この地域はラムサール条約の歴史的な庭園であった。宮殿はレザ・シャーによって夏の住居として使用され、その後、彼の息子、モハンマド・レザ・パフラヴィー(パーレビ国王)によって使用された。宮殿は2000年以来博物館として使用されている。ラムサール宮殿博物館またはカスピ海博物館と呼ばれ、地元の人々には「タマシャガ・ハザール」として知られている』と記載されています。

 

グーグルマップでラムサール宮殿を見ると敷地に幾つもの「目玉」が置かれていました。また、ラムサール宮殿のグーグルマップには、牛の角の椅子など、バアル神、悪魔崇拝や生贄を暗示する調度品の画像があります。ラムサール宮殿では、松取りを含む生贄・悪魔崇拝の儀式が行われていたと感じます。また、wikiによると、『モハンマド・レザ・パフラヴィー(1919-1980)は、パフラヴィー朝イランの第2代にして最後の皇帝。パフラヴィー2世とも呼ばれる。

 

亡命前後の日本の報道ではパーレビ国王と呼ばれることが多かった。父である先代の皇帝レザー・シャーの退位により即位し、「白色革命」を推進してイランの近代化を進めたが、イラン革命により失脚した。1958年に、日本国政府より大勲位菊花章頸飾が授与された』とあります。日本から大勲位菊花章頸飾が授与されたことからDS工作員だったと見ています。パーレビ国王の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アーク」と伝えられました。

 

ラムサール宮殿に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「闇の場所」と伝えられました。地球の光のエネルギーが放射される場所は光の地底に由来する火山(マグマ)や水の場所です。この光の地底を封印するために松取り・食人に繋がる生贄や悪魔崇拝の闇が置かれる仕組が作られてきました。世界自然遺産、ラムサール条約など国連が絡む隠れ蓑がそうです。大きな看板を掲げて人を集め、松取りをして金を得る仕組になっています。地球の光を封じる闇の仕組が終わることを願っています。