1200px-2018_Ministry_of_Foreign_Affairs_of_Japan_Main_Building


日本の松利権ネットワークは、第二次世界大戦(太平洋戦争)の大東亜共栄圏構想に基づいて構築されてきました。現在の日本の松利権網において「国際協力機構(JICA)」は重要な役割を担っていると見ています。日本の松利権網においてJICAが重要な役割を担っている証となるのが、19541月に設立された前身の「日本海外協会連合会」です。日本海外協会連合会-Wikipediaには、『日本海外協会連合会は、かつて外務省の外郭団体として存在した財団法人である。独立行政法人国際協力機構の前身。

 

戦後、日本政府は海外移住を国策とし、移民送出の実務機関として195415日に公益財団法人日本海外協会連合会(通称:海協連)を設立した。初代会長には村田省蔵が就いたが多忙のため退き副会長の坪上貞二が会長となった。各都道府県の移住課や海外協会が移民の募集と選考を行い、海協連が移民の送り出しと移住後のアフターケアを担当した。海協連は積極的に海外支部を開設した』と記されています。日本海外協会連合会の初代会長・村田省蔵の経歴に注目ポイントがあります。

 

wikiによると、『村田省蔵(1878-1957)は、日本の実業家、政治家。大阪商船社長を経て、第二次世界大戦中、逓信大臣兼鉄道大臣や、フィリピン占領軍最高顧問などを務めた。初代駐フィリピン特命全権大使に就くも、戦後公職追放及びA級戦犯指定となった。追放解除後、外務省顧問、比島賠償会議担当特命全権大使等。東京府尋常中学校(東京都立日比谷高等学校の前身)、国民英学会を経て、1900年高等商業学校(一橋大学の前身)卒業。1900年大阪商船(商船三井の前身)入社。

 

1929年高等商業の1年先輩にあたる深尾隆太郎の後任として同社副社長に昇格。1934年堀啓次郎の後任として同社長就任。1937年日中戦争の勃発に伴い、海運の戦時体制確立を主張し、海運自治連盟を結成して、自ら理事長に就任した。1939年貴族院議員。1940年逓信大臣兼鉄道大臣。1942年大日本帝国陸軍第十四軍(フィリピン占領軍)最高顧問に就任。これは東條英機首相の意向とされる』とあります。村田省蔵は、大阪商船社長の経歴があり、フィリピン占領軍最高顧問でした。

 

フィリピンと言えば「フィリピンの戦い」です。《日本が占領したフィリピンを米国・連合国軍が奪還し約100万人の一般市民犠牲者を出したフィリピンの戦い》にありますが、フィリピンの戦いで約100万人の一般市民犠牲者を出しています。実質的な目的は、フィリピンの人たち犠牲にした松取りのための戦争でした。《大東亜戦争時にヒ船団・ミ船団・マタ船団の護送船団で門司港に松輸送をしていた大日本帝国軍》に書いていますが、戦争で松取りした人たちを日本郵船や大阪商船の海運会社の船を使って日本や台湾に運んだのです。

 

JICAの前身・海協連の初代会長・村田省蔵の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「イルミナティ」と伝えられました。闇の役割に徹したトカゲ人間のようでした。海協連は、日本政府の海外移住・移民の実務を担っていました。《多大な犠牲者を生み松利権網の創価の闇に繋がる暗黒の国家事業・満蒙開拓移民》にありますが、満蒙開拓移民を含めた移民政策は裏の金儲けとなる松取りの国家プロジェクトだったのです。国際協力機構のwikiには、『独立行政法人国際協力機構(略称: JICA)とは、独立行政法人国際協力機構法に基づいて設置された独立行政法人。

 

外務省が所管する。政府開発援助(ODA)の実施機関の一つであり、開発途上地域等の経済及び社会の発展に寄与し、国際協力の促進に資することを目的としている。前身は1974(昭和49)8月に設立された特殊法人国際協力事業団であり、2003(平成15)101日に現名称へ変更された。事業内容は多岐にわたっており、その基本は「人を通じた国際協力」である。JICAは日本国政府の政府開発援助を執行する実施機関として、対象地域や対象国、開発援助の課題などについての調査や研究、JICAが行うODA事業の計画策定、国際協力の現場での活動を行う人材の確保や派遣、事業管理、事業評価などの役割を担っている。

 

JICAは、開発途上国の現場において、相手国の人々と共に働き汗を流しながら開発援助活動を直接担当する国際協力の専門家や開発コンサルティング会社(開発コンサルタント)、ボランティアなどの人選や派遣を行うため、JICAが日本と途上国の人々との架け橋となっていると評価されている』と記されています。JICAの事業内容としては、有償資金協力、無償資金協力、技術協力、ボランティア派遣(青年海外協力隊・日系社会青年海外協力隊・シニア海外協力隊等)、国際緊急援助があります。

 

JICAの経営層3人と本部をワークの対象に選びました。JICA・理事長は田中明彦です。wikiには、『田中明彦(1954-)は、日本の国際政治学者。独立行政法人国際協力機構理事長。三極委員会アジア太平洋地域議長。 東京大学東洋文化研究所教授、東京大学副学長、国立大学法人政策研究大学院大学学長を歴任』とあります。JICAの理事長・田中明彦に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「安倍ライン」と伝えられました。元首相・安倍晋三の闇の人脈に繋がっているようです。

 

HMV&BOOKS online》によると、副理事長・山田順一の経歴は、『1982年東京大学大学院都市工学科修士。1982OECFに入行しフィリピン、インドネシア、インド、トルコなどへの円借款に携わる。駐在はミャンマー(1986-89)、マレーシア(1992-96)JBICでは組織移行準備室長、JICAでは中東・欧州部長、企画部長、理事を経て現職』と記されています。JICA公式サイトによると、理事・植嶋卓巳の経歴は、『20159月 国際協力機構理事長室長 201310月 国際協力機構産業開発・公共政策部長

 

20106月 国際協力機構調達部長 20084月 国際協力機構企画部次長 19824月 国際協力事業団採用』とあります。JICAの副理事長・山田順一、理事・植嶋卓巳、本部(東京都千代田区二番町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「安倍ライン」「金」「いいです」と伝えられました。安倍晋三・元首相は、八咫烏・日本DSの象徴的な首相です。安倍晋三の過去のワークでは、金庫から金を出しているビジョンが出て来ました。ODAJICAを自らの懐に入れていたことが暗示されるのです。(つづく)