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浅野財閥を実質的に運営し、KYB元社長でもある浅野良三は、「日米協会終身会員」とwikiに記されており、「日米協会」を調べていきました。wikiには、『一般社団法人日米協会は、日本とアメリカ合衆国の友好団体。1917年設立。本部は東京都港区赤坂に所在。(歴代会長)初代会長:金子堅太郎、第二代会長:徳川家達、第三代会長:樺山愛輔、第四代会長:小松隆、第五代会長:吉田茂、第六代会長:岸信介、第七代会長:福田赳夫、第八代会長:大河原良雄、第九代会長:藤崎一郎』と記載されています。

 

日米協会の歴代会長には、吉田茂、岸信介、福田赳夫の著名な元首相の名前が並んでおり、フリーメイソン米国派の重要な工作員集団であると捉えました。公式サイトには、『一般社団法人日米協会は、1917(大正6)激動する国際情勢の中、日米両国の有識者たちによって創立された日本で最も歴史と伝統のある日米民間交流団体です。以来一世紀にわたり、日米両国および世界の平和と安定を願いより良い二国間関係を築いていくために、互いの歴史、文化、慣習、国民性などを尊重しながら、教育・文化交流、人物交流、知的交流などの活動を行ってきました。

 

さらなる新しい一世紀に向かって協会の理念と使命を存続させていくために、これからの日米関係を担う若い世代が日米関係の重要性を認識し継続できるような時代に即した多様で魅力のある活動を展開していきます』と記載されています。表向きの活動内容は、講演会、討論会、シンポジウム、フォーラムなどの開催ですが、新年会、見学会、親睦交流会を催しており、親睦会の色彩が強いと感じます。しかし、その裏の実態は、表の米国の闇・ロックフェラー・フリーメイソン米国派の利権支配の集団に思えます。

 

日米協会の初代会長・金子堅太郎(1853-1942・政治家・ハーバード大卒)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員。米国派。イルミナティ」と伝えられました。日米協会の現会長は藤崎一郎です。wikiによる経歴には、『藤﨑一郎(1947-)は、日本の元外交官。北鎌倉女子学園中学校・高等学校理事長、上智大学特別招聘教授・国際戦略顧問、一般社団法人日米協会会長、公益財団法人中曽根康弘世界平和研究所(NPI)理事長、一般社団法人日本外交協会理事。

 

外務省北米局局長、外務省外務審議官(経済担当)、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部特命全権大使、アメリカ合衆国駐箚特命全権大使などを歴任した』とあります。日米協会の現会長・藤崎一郎と本部所在地(東京都港区赤坂)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員。売国奴」「いいです」と伝えられました。KYBの創業者・萱場資郎のネット情報を収集する過程で、東北学院大学公式サイトの「東北学院崩壊の危機(学長:星宮望)」に行き着きました。

 

そこには、『1943年、「校舎は軍において接収する」という命令が出されました。当時の軍の命令は絶対であり、東北学院の廃校は決定的でした。その時に立ち上がったのが萱場氏でした。彼は、仙台市出身で、明治45(1912)4月に東北学院中学部へ入学し、第2代院長のシュネーダー先生の薫陶を受け、卒業後、ハイテック軍需企業「萱場製作所」の経営者となっていました。当時の東北学院出村悌三郎院長は、急遽、萱場氏に相談することにしたのです。

 

萱場氏は陸海軍の機密兵器の特許を多数保有し、また、新兵器製造を盛んに実施するなど、軍にとって重要な人物であり、発言力があったのです。・・・「東北学院航空工業専門学校」』と記載されていました。KYBの創業者・萱場資郎は、大日本帝国陸海軍にとって、航空機用の油圧緩衝脚(オレオ)などの発明・開発した重要人物であり、大きな発言力を有していたのです。東北学院大学の十字のデザインのロゴが気になりました。萱場資郎が卒業した東北学院大学について調査とワークを行うことにしました。

 

wikiには、『東北学院大学は、1949年に設置された宮城県仙台市青葉区土樋一丁目31号に本部を置く日本の私立大学である。ミッションスクールのひとつであり、リベラルアーツを重視した私立の総合大学である。東北学院大学のルーツは1886(明治19)に開校された私塾「仙台神学校」に遡る。キリスト教伝道者の育成を目的にこの学校を興したのは、横浜で受洗し、日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の設立に関わった押川方義と、1885(明治18)に来日したアメリカ人ドイツ改革派教会宣教師のW.E.ホーイである。

 

のちに、押川とホーイが本学を離れた後は、ホーイと同じく、フランクリン・アンド・マーシャル大学で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたD.B.シュネーダーが指導的立場に立った。1949(昭和24)に新制大学として発足し、2022(令和4)現在は6学部16学科、6研究科を擁する総合大学である。先に記した、押川、ホーイ、シュネーダーの3名は、「三校祖」と呼ばれており、特にシュネーダーは、その人格的影響力と学校経営の手腕によって、本学の礎を築いた人物であり、50年にわたり本学の発展に尽力した「東北学院中興の祖」である』と記されています。

 

これまでのワークからミッションスクールは松利権の闇がベースにあることが分かっています。東北学院大学三校祖である押川方義(おしかわまさよし:1850-1928・キリスト教宗教家・日韓同志組合代表者)W.E.ホーイ(1858-1927・米国人ドイツ改革派教会宣教師)D.B.シュネーダー(1857-1938・米国人ドイツ改革派教会宣教師)の各々の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ロスチャ。工作員」「ロスチャ」「ロスチャ。工作員」と伝えられました。いずれもフリーメイソン天皇派で、裏の欧州の闇のロスチャイルド工作員のようです。

 

東北学院大学の現院長兼学長・大西晴樹(1953-)、現理事長・原田善教(1959-)、本部所在地(宮城県仙台市青葉区土樋)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「悪魔崇拝の学校」「同じ」「地下あり。ここもヤバい所。凄く闇」と伝えられました。東北学院大学の本部キャンパスは、広瀬川の側に置かれており、近くには青葉城や瑞鳳殿もあります。仙台城のある青葉山の地下からの繋がる悪魔崇拝の闇で広瀬川の光を封じる役割をしてきたと感じます。東北学院大学と仙台の地が本来の姿になることを願っています。(おわり)