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「国立公園」「世界自然遺産」など知床半島地域の自然保護を目的とした組織・団体に着目しました。調査とワークの対象には、知床世界遺産センターの公式サイトに記載されている関連組織・団体の中から「公益財団法人 知床財団」と「一般財団法人 自然公園財団」をピックアップしました。知床財団の公式サイトの組織概要には、『名称:公益財団法人知床財団 設立:昭和63(1988)923日 設立者:斜里町・羅臼町 所在地:北海道斜里郡斜里町大字遠音別村字岩宇別531番地 

 

目的:この法人は、知床半島及びその周辺地域の自然環境に関する調査・研究、自然保護の普及啓発等の事業を行い、もって広く自然環境の保全と利用の適正化に寄与することを目的とする。事業内容:1.野生動植物の調査・研究 2.自然保護の普及啓発 3.自然保護に関する諸団体との提携 4.自然環境の保全管理及び公園施設等の管理運営受託業務 5.その他この法人の目的を達成するために必要な事業』と記載されています。《PRTIMES》にも「公益財団法人 知床財団について」が書かれています。

 

1988年に設立。環境教育や普及啓発、野生生物の保護管理・調査研究、森づくりなどを行ってきた公益財団法人です。世界自然遺産である知床の大自然を「知り・守り・伝える」ため、知床自然センター・羅臼ビジターセンター・知床五湖フィールドハウス・ルサフィールドハウスを拠点に活動をしています』とあります。知床財団の理事長・村田良介(代表理事)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「現場監督。ヤクザを監督している。派遣された人」と伝えられました。

 

知床半島の工作拠点で働く現場作業員である反社の工作員を監督する立場の人物のようです。 自然公園財団の公式サイトによると、日本の自然公園は、国立公園(34ヶ所)、国定公園(57ヶ所)、都道府県立自然公園(311ヶ所)のことであり、年間約9億人の利用者がいます。自然公園財団の事業展開については、『財団は、主に国や地方公共団体の施策と提携・協力しながら、次のような事業を展開しています。 1.公園施設の維持管理事業 2.自然環境の保全管理事業

 

3.自然解説その他自然とのふれあいのための情報提供事業 4.自然環境の保全及び自然とのふれあいに関する思想の普及 5.自然環境の保全及び自然とのふれあいに関する調査研究 6.その他財団の目的を達成するために必要な事業』と記されています。自然公園財団の代表理事(理事長)は熊谷洋一です。wikiによる経歴は、『熊谷洋一(1943-)は、東京都出身の森林科学研究者、造園学者。東京大学名誉教授、兵庫県立淡路景観園芸学校名誉学長。一般財団法人自然公園財団理事長。日本公園緑地協会研究顧問。

 

公益財団法人東京都公園協会評議員。公益財団法人兵庫県園芸公園協会評議員。専門は地球環境科学と造園科学で、環境省中央環境審議会自然環境部会長、文部科学省文化審議会名勝委員なども歴任している』とあります。自然公園財団の理事長・熊谷洋一に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ロシア工作員。山丹系」と伝えられました。山丹人は、極東の黒竜川(アムール川)流域の渡来人でアイヌと交易をして搾取していた部族です。熊谷洋一は造園専門家ですが、造園業は松工作だとワークから分かっています。

 

知床半島で気になっていた場所が「知床岬」です。能登半島や房総半島のワークで半島の先端に松取りの闇の仕掛けが置かれていました。陸地の光を封印にするためには、海岸線や半島の先端に闇を置くことが重要になります。知床岬は、知床半島の先端にあります。6月下旬、知床半島の調査をしていて目の痒みや鼻炎症状が現れていました。能登半島や房総半島もそうでしたが、知床半島にも松取りの仕組としてドーム状の結界が張られていると感じて、私単独で解除のために光を降ろしていました。

 

wikiには、『知床岬は、北海道北東部、斜里郡斜里町遠音別村岩尾別にある岬。知床半島先端に位置し、オホーツク海に面する。知床半島先端部は、厳しい自然環境にもかかわらず縄文時代から人間の定住が行われた場所である。知床岬周辺には続縄文文化・オホーツク文化期にかけての100軒近い竪穴式住居の跡が残る知床岬遺跡や、文吉湾チャシなどの遺跡があった。近世には知床岬南西の啓吉湾付近にシレトココタン(しれとこ村)があった。1669(寛文9)のシャクシャインの蜂起(シャクシャインの戦い)の際に、「しれとこ村」はシャクシャイン側についたという。

 

知床岬の付近は国立公園内の特別保護地区として厳重な管理下に置かれ、道路や大型船の接岸できる港湾施設の建設が規制されており、一般の観光客は事実上立入りできない。岬付近の文吉湾に避難港が設けられているが、漁業および行政機関の用務のためにのみ用いられ、レクリエーション目的での動力船の入港は制約されている』と記されています。知床岬には、アイヌのシレトココタン(しれとこ村)があったのです。知床岬周辺にあったしれとこ村のアイヌは、和人による松取り(松果体収穫)で虐殺されたと感じます。

 

wikiの「地名・シレトコ」の記述に出てくる「山田秀三」と「萱野茂(かやのしげる)」に目を向けました。山田秀三(1899-1992)は、東京出身のアイヌ語地名研究家、官僚、実業家です。東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究し、北海道曹達株式会社の経営者でもありました。山田秀三の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「アイヌの松取り」と伝えられました。近代にアイヌ研究家と称している人物は、アイヌの松取り工作員と捉えています。萱野茂(1926-2006)は、アイヌ人の元国会議員です。

 

萱野茂は、北海道平取町出身のアイヌ文化研究者で、アイヌ文化、アイヌ語の保存・継承のために活動を続けました。二風谷アイヌ資料館を創設し、館長を務めました。アイヌ初の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)であり、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られいます。アイヌ文化振興法を成立させ、国会議員としての目的を果たしたとして一期限りで引退しました。

 

萱野茂の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「先住民だけど裏切った人。隼人と同じ」と伝えられました。九州地方に暮らす隼人は先住民の熊襲を裏切り、ヤマト王権側として熊襲の人たちの松取りを行いました。最終的には、命よりも金を選んで闇に落ちた先住民であり、「サンカ」と呼ばれる被差別部落民を含む反社の源流の1つです。萱野茂は、アイヌ民族に「アイヌ利権」と呼ばれる同和の闇を浸透させた重要人物だと感じます。萱野茂の役割を引継いだのが息子の萱野志朗です。

 

萱野志朗(1958-)は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者です。萱野志朗と萱野茂二風谷アイヌ資料館(平取町二風谷)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「利権をさらに拡大している人」「萱野組の本部」と伝えられました。平取町は古くからアイヌが犠牲となる松取りが行われてきました。松取りによって、純粋な光の精霊が闇の存在になるように、大きな光の地ほど深い闇に成る仕組になっています。

 

萱野茂二風谷アイヌ資料館の公式サイトに記載されているシンボルマークは、非常に意味深いです。六角形の中に正三角形があり、その中に、三菱やヤマハのマークと同様に、3つのメノーラーが配置されています。メノーラーは、ユダヤ教の燭台(ろうそく立て)で、象徴的存在です。このマークから「隠す闇」「分離」「八咫烏」「ユダヤ」が読めます。世界金融を支配するユダヤ民族は、利権という金の闇に染まったアイヌ民族と同様に、純粋な光の先住民が松取りのサンカという闇に成った民族だと感じます。(つづく)