7月6日(水)の午前中、ドクダミなどの野草を探索するために、円山動物園の東側にあたる札幌市中央区円山西町まで散策に出かけました。徒歩で2時間程だったでしょうか、途中で日差しが強くなり、疲れもあって、バスに乗って円山公園駅まで帰ってきました。円山動物園の敷地に沿った道を歩いていると重たい感じがして、闇の地下があると感じました。これまで、動物園は野生動物を見世物にして金を取る人間のエゴの闇の場所だと思っていましたが、地下が絡む松取りのための子供を集める場所だと実感しました。
円山動物園の敷地の東側の上り坂道を歩いていると異様な雰囲気を醸し出している一軒の家がありました。看板を見ると設計事務所のようでした。設計事務所がある道路の右側の山裾は、立派な家が立ち並び、上流階級の住宅地のように感じました。円山動物園が地下施設のある松取り場所であるなら、松利権を持つ上級工作員たちが暮らしているようにも思います。この時点では、エネルギーワークをする予定は全くありませんでした。しかし、帰宅してから伴侶と私が軽い頭痛に見舞われたのです。
その日の夜、寝ている時に部屋でラップ音がして、闇の存在がサインを送ってきていると感じました。翌日、円山動物園と円山西町周辺のワークを行う必要性を感じて、ネットで情報収集しました。円山西町のウィキペディアには、『その名の通り円山の西側の、谷を含む丘陵地である。円山川の源流がある。札幌市編入以前は、札幌郡藻岩村大字円山村滝の沢と呼ばれた地域にあたる』と書かれていました。やはり、円山西町は円山川(まるやまがわ)の源流であり、水の場所である光の地でした。
円山川は、北海道札幌市中央区を流れる新川水系界川支流で、円山の西の麓を流れ、円山公園の池に流れ込む長さ約4kmの川です。また、上流階級の住宅が並んだ山裾の山は「神社山(じんじゃやま)」だと分かりました。円山川の源流は神社山にあると感じました。神社山のWikipediaには、『神社山は、北海道札幌市中央区に位置する山。標高は237メートル。山名は1897年(明治30年)12月に札幌神社(後の北海道神宮)の所有地となったことに由来する。アイヌ語ではエプイ(つぼみのような小山)と呼ばれていたらしい。
神宮が管理しているため、緑がよく残っている。登山道は存在しない』と記されています。驚いたことに、神社山の地下には大日本帝国陸軍の司令部が作られたのです。『(北部軍秘密地下司令部)太平洋戦争末期、日本の敗色が濃厚となると、北部軍はアメリカ軍の上陸に備えて月寒の防空作戦室の移転先を求めるようになった。その建設地に選ばれたのが神社山である。北海道神宮の「社務日誌」には、「昭和20年6月25日北部軍司令部大竹少尉が要望書なるものを持ってきた」とある。
勤労動員で駆りだされた主婦や、朝鮮人を含む人々の手によって山に横穴が掘られたが、地下司令部として完成を見ることはなかった。洞窟自体は現存しているが、入り口はふさがれており、入ることはできない』とあります。司令部などの軍事基地の建設という名目で、朝鮮人労働者や勤労学生に洞窟や地下壕を掘らせて松取り(松果体収穫)を行うのが旧日本軍の常套手段でした。旧日本軍は、密かに同様な方法で、台湾、朝鮮半島、中国大陸など日本の植民地でも松取りを行ってきました。
松取りは、人命を犠牲にした天皇を中心とする支配層の暗黒集団の裏の金儲けです。旧日本軍は、松取りの現場作業員の役割でした。神社山が旧日本軍の松取り場所だったことは、松取りの闇が現在まで引継がれていることを意味します。松取りの場所には、現場仕事を担う反社が存在します。札幌市中央区円山西町には、山口組の三次団体・福島連合の本家があります。《ツイッター、グーグル、ファイザーを配下に置く創価学会USAから浮上するDSの暗黒ネットワーク》では、福島連合のトップのワークを行っていました。
円山動物園、神社山の他に円山西町で松取りの闇を引継いていると考えられるワークの対象として、wikiから「北海道中央児童相談所、北海道立特別支援教育センター、北海道心身障害者総合相談所(同一庁舎)、札幌西円山病院」を選びました。札幌市円山動物園のWikipediaによると、『札幌市円山動物園は、北海道札幌市中央区宮ケ丘の円山公園内にある動物園。札幌市環境局が管理運営を行っている。前身:円山児童遊園。所有者:札幌市。管理運営:札幌市環境局。
1950年(昭和25年)、恩賜上野動物園の移動動物園を札幌にて開催し、好評を得たことが起源となっている。北海道の中核的な動物園の地位を保ってきたが、年間入園者数は1974年の124万7千人をピークに減少し、1979年を最後に100万人を割り込んだ』と記されています。円山動物園の前身の名前が「円山児童遊園」であることから、子供を集める場所であることが窺えます。札幌市環境局長・平木浩昭に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「お役人気質」と伝えられました。
円山動物園の初代園長は、中俣充志(なかまた みつし)です。wikiには、『中俣充志(1904年-1975年)は、昭和期に動物園の園長を務めた人物。1965年には第19回北海道新聞文化賞(社会文化賞)を受賞した。俳優で歌手の仲雅美は孫。仙台市動物園(仙台市八木山動物公園のルーツ)、新京動植物園(1938年着工、未完成のまま1945年終焉)初代、札幌市円山動物園(1951年開園)初代、旭川市旭山動物園(1967年開園)初代』とあります。中俣充志の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。
円山動物園の現園長・神賢寿(じんたかひさ:前札幌市環境局円山動物園経営管理課長)と所在地(札幌市中央区宮ヶ丘3番地1)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「トカゲ」「大きくえぐられた地下がある」と伝えられました。やはり円山動物園には闇の地下があるようです。円山動物園の東側には「円山」と山裾には円山公園内の原始林があります。円山から南約35kmに支笏湖、南西約50kmに羊蹄山があり、その間は山塊となっています。光の地底の山塊の端が松取りの闇で封じられたと見ています。(つづく)