Uchinada_Dune


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月中旬、伴侶が「真行寺君枝が気になる」と話してきました。真行寺君枝(しんぎょうじきみえ)というと、化粧品メーカーの「資生堂」のCMを思い出します。そして、資生堂のワークが必要だと感じました。資生堂は、会社員時代の私にとって取引会社としての縁があり、当時の研究所に幾度か足を運んだことを記憶しています。真行寺君枝の資生堂のCMをネットで調べると、1976年、資生堂・秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」でモデルデビューの16歳の時のCM動画のYouTubeがありました。

 

CM曲は小椋佳の「揺れるまなざし」です。真行寺君枝と資生堂関連の調査とワークを行うことにしました。ウィキペディアによると、『真行寺君枝(1959-)は、東京都大田区出身の女優。T-artist所属。東京都立大崎高等学校卒業。1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。1965年、バレエ教室「鎌田・藤井舞踏研究所」に入所。発表会で踊った「青い花」をきっかけに芸術に興味を抱く。1976年、16歳でその年の資生堂の秋のキャンペーンモデルに選ばれ、デビューする。

 

当時、資生堂とカネボウのキャンペーン競争の加熱は、社会現象に発展するほど激しく、資生堂はこの広告の制作費に、当時としては破格の3億円を投入したと言われる。高校卒業後、三船プロダクションに所属。森谷司郎監督作品「聖職の碑」で女優デビューするも、飛び入りで台詞もなかった。しかし、同年の「必殺からくり人・富嶽百景殺し旅」で高橋洋子の代役に、更に翌年の山田太一脚本のドラマ「沿線地図」で主人公の一人に抜擢され、知名度を高めた。

 

20071月、「第一哲学 不死なるもの」をサイトで発表。 清水博が設立し所長を務めるNPO法人「場の研究所」研究員を務めた』と記されています。真行寺君枝のwikiから「T-artist」とNPO法人「場の研究所」に着目しました。wikiには、『ティー・アーティスト(T-artist)は、日本の芸能事務所。東京都港区に事務所を置く有限会社である。代表は映画プロデューサーの浅野博貴で、浅野が関わる作品に所属タレントが出演する。いくつかの作品はティー・アーティスト自体が配給も担い、渋谷・ユーロスペースで上映される。

 

2009年、インディーズ映画の上映会「真夏の夜の万華鏡」を主催』とあります。赤い雪の公式サイトによると浅野博貴の経歴は、『「ヘヴンズストーリー」瀬々敬久監督で第61回ベルリン国際映画祭で2冠(国際批評家連盟賞、アジア最高映画賞)を獲得する。角川映画全盛時代に数多くの映画制作に携わり、その後独立し現在のT-artistを設立し現在に至る』と記されています。T-artistは、映画プロデューサーの浅野博貴が代表を務める芸能事務所です。これまでのワークから映画界は松利権の闇が深いと見ています。

 

真行寺君枝と真行寺君枝が所属する芸能事務所「T-artist」の代表・浅野博貴、所在地(東京都港区西麻布3丁目)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「レプ。魔女系」「DS」「いいです。売っている所。胴元」と伝えられました。やはり映画関係の芸能事務所は、裏の金とエゴであるアドレノクロムの闇が浸透しているようです。真行寺君枝が研究員となっているNPO法人「場の研究所」は、名前だけでは何をしているのか、わかりませんが、哲学的なものだとは感じます。「場」というと「TOKIO-BA」を連想します。

 

内閣府NPO公式サイトによると、『場の研究所 所轄庁:東京都 主たる事務所の所在地:東京都豊島区北大塚 代表者氏名:清水博 設立認証年月日:20041007日 定款に記載された目的:この法人は、「場の理論・技術」の研究・コンサルティング・普及啓発の事業を行い、「社会教育」、「医療介護」、「科学技術の振興」「芸術文化の振興」及び、「以上の活動を行なう団体の運営または、活動に関する連絡、助言または援助の活動」に取り組むこと。

 

場の文化をもつ日本の文化的ポテンシャルを活かす創造的な「場づくり」を実践と思想の創造の両面から推進し、社会の発展に貢献する新しい価値を創出することを目的とする。活動分野:保健・医療・福祉/社会教育/学術・文化・芸術・スポーツ/科学技術の振興/連絡・助言・援助』と記載されています。場の研究所の公式サイトには、『目的 人々が互いの違いを重んじながら助け合って生きていける、そのような「場」が生み出され、広まること、それが私たちの願いです。

 

その鍵は、私たちの呼ぶところの「居場所における〈いのち〉の与贈」と「自己組織によって生まれる場の活き(はたらき)」にあると考えます』と記されています。個人的には、「場の研究」は一見、光のように見えますが哲学的で分かり難く、外側の物や集団を前提とした闇の手法だと感じます。公式サイトの「これまでのシンポジウム」の中で、「西田幾多郎」のワードが出ており、場の研究所の基盤に西田幾多郎の哲学を志向しているように感じます。

 

『「与贈が開く、日本的創造の世界」で「居場所への〈いのち〉の与贈が開くこの世界こそ、「物来たって我を照らす」と西田幾多郎が語った〈いのち〉の深化をともなう日本独特の創造の世界として、現在、世界的に多くの人々の注目を集めています』。西田幾多郎(にしだ きたろう・1870-1945)は、加賀国河北郡森村(現・石川県かほく市)出身の哲学者で、京都学派の創始者です。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1913)です。京都大学名誉教授であり、著書に「善の研究」などがあります。

 

西田幾多郎のポイントは、松システムの中心の加賀出身で、八咫烏工作員の拠点の京都大学を出ていることです。西田幾多郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。場の研究所の所長・清水博もWikipediaがありました。『清水博(1932-)は、愛知県瀬戸市出身の科学者。東京大学名誉教授、NPO法人「場の研究所」所長。薬学博士。専門は、生命科学、場所論、生体物性。諸学の統合的視点から生命を解明するバイオホロニクス(生命関係学)の研究に取り組んでいる。

 

愛知県立瀬戸高等学校を経て、1956年東京大学医学部薬学科卒業。同大学院化学系研究科修了。九州大学理学部教授、東京大学薬学部教授などを歴任。1993年、東京大学を退官し、金沢工業大学情報工学科教授。2004年「場の研究所」を設立し所長。ネズミの小脳の培養で脳細胞の分化過程の観察に世界で初めて成功し、バイオホロニクス理論の精緻化も成し遂げた』と記されています。清水博に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。(つづく)