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20:38」「忘れない」が記された"謎の張り紙"から創成川・大友亀太郎関連の調査とエネルギーワークを行っていました。wikiから創成川の畔に置かれた大友亀太郎像の作者が「松田与一」であることを知りました。松田与一が気になり調べると北海道東川町出身の農民彫刻家でした。東川町というと芸能人の「柴咲コウ」が別荘を持つ場所だと耳にしていました。北海道へ移住する芸能人などの支配層は、自然の光を封じる役割を担っていることが分かっています。

 

例えば「岩城滉一」です。《北海道弟子屈町への移住ニュースが流れた岩城滉一と重たい闇のトカゲ集団・イルミナティ》にありますが、北海道弟子屈町への移住した岩城滉一は、支配層と同じイルミナティの役割だと分かりました。東川町は、北海道の光の中心となる「大雪山(旭岳)」のある場所で、重要な光の地です。松田与一、柴咲コウを含めて東川町の調査とワークを行うことにしました。松田与一をネットで調べていくと《東川デジタルアーカイブ-松田与一(彫刻)》を見つけました。

 

そこに松田与一のプロフィールが掲載されていました。『松田与一氏は、昭和23年にシベリアから復員後、農業を営む傍ら、絵画・彫刻・写真等を独学で学び、北海道の開拓に奮闘する開拓者、農民、農婦、農耕馬などをテーマに数多くの作品を制作し、新ロマン派美術展、全道展、道展、日展、日彫展などで数多くの入選を果たし、平成16年には北海道文化賞を受賞した東川町出身の農民彫刻家です』。シベリアから復員していることから「シベリア抑留」の可能性を感じました。

 

ネット調べると《北海道美術ネット別館》に行き着き、シベリア抑留だったと分かりました。そこには、『旧満州(中国東北部)に出征した松田さんは終戦後、シベリアに抑留され苦しい労働に従事する中で木彫を始めた』と記されていました。 シベリア抑留は、日本とソ連による裏の松取り(松果体収穫)工作だと見ています。表向きのシベリア抑留は、ソ連による日本人に対する強制労働とされています。コトバンクによると、シベリア抑留について次のように記載されています。

 

『シベリア抑留は、1945年の第2次世界大戦終結時にソビエト連邦に降伏、または逮捕された日本人に対する、ソ連によるシベリアでの強制労働。抑留者の数は、日本政府の調べでは約575000人とされ、うち約55000人が死亡、約473000人が帰国した。抑留者は主として軍人であったが、満州開拓団の農民、満州の官吏、南満州鉄道株式会社など国策会社の職員、従軍看護婦などもいた』。松田与一(故人)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「死体を掘っている」と伝えられました。

 

彫刻家の工作員として亡くなった人たちをモデルにして創作していたのかもしれません。Wikipediaには、『東川町は、北海道上川総合振興局にある町。北海道のほぼ中央に位置しており、東川町の中心部から旭川市の中心部までは約13km、旭川空港までは約7kmのアクセスになっている。大雪山の雪解け水が長い年月を経て地下水となって麓の町まで運ばれてきているため、東川町は北海道唯一で全国的にも珍しい上水道が無い町になっている。また、東川町は世界的にも類のない「写真の町」宣言(1985)している。

 

また、「写真文化首都」宣言(2014)をしており、写真を通じたまちづくりを積極的に推進している。近年、全国からの移住者などの人口増加によりカフェや雑貨店などが増え、若い世代が観光で訪れるようになっている。2021年の人口増加数は、北海道で1位を記録した(札幌市含む)。東川町は東は北鎮岳で上川町との境界を隔て、南は忠別川で美瑛町と東神楽町、西と北は岐登牛山(キトウシ山)沿いで旭川市と接している。町の面積の約70 %を森林で構成している。

 

東部は日本国内最大の山岳公園である「大雪山国立公園」の区域であり、北海道最高峰の「旭岳」を有する優れた自然環境は観光資源として高い評価を得ている』と記されています。東川町が北海道唯一で上水道が無い町になっていることは初めて知りました。大雪山の雪解け水が伏流水などの地下水になっていて、本来ならば美味しい光の水なのだと思います。しかし、東川町が「写真」を全面に出していることに違和感を持ちます。素晴らしい自然があり、リアルに感じることができるからです。

 

自然の空気や大雪山のエネルギーを現実に感じることが重要なのに、それが「写真」になると視覚に訴える形になり、心で感じるという感覚よりも、頭で考えるという思考の方に誘導すると見ています。ワークの経験上、「写真」や「カメラマン」は工作に繋がってくると捉えています。また、東川町は、2021年の人口増加数が北海道で1位を記録しています。写真、物品や支援助成制度の金で東川町に多くの移住者を呼び込む施策を積極的に実施ていることが分かります。

 

闇の時代は、大きな光の場所が深い闇の場所に変えられます。大雪山のある東川町は大きな光の場所である故に、松取り(松果体収穫)などの人間のエゴの闇で精霊が闇にされて深い闇の地になるのです。東川町の町長は大きな闇の役割を担っていると感じました。東川町長は「松岡市郎」です。松岡市郎のプロフィールは《新評論》によると、『1951年生まれ。1972年 東川町奉職。農林課長補佐、社会教育課長、税務課長を経て、2003年に退職。同年、東川町長に就任。現在4期目。

 

雄大な大雪山系より流れる清流「忠別川」の美味しい水、澄んだ空気、肥沃な大地と美しい景観、恵まれた資源を最大限に活用し、新たな付加価値を創出しながら、写真文化首都「写真の町」東川町の地名度を生かしたプライムタウン(最高のまち)づくりに取り組んでいます。また、職員の知力と実行力を求める「前例踏襲型」から「個性創造型」行政への転換を図り、住民福祉の向上に努めています』と記されています。東川町長・松岡市郎に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

 

「ドス黒い。ゼレンスキーみたい。DS」と伝えれました。やはりかなり大きな闇の役割のようです。東川町のグーグルマップを見て注目したのが忠別ダム(忠別湖)と併設している北海道電力忠別発電所です。忠別ダムは、北海道上川郡美瑛町と上川郡東川町の境、一級河川・石狩川水系忠別川に建設されたダムで、2006年に竣工しています。忠別ダムと北海道電力忠別発電所に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「いいです。地下がある」と伝えられました。大事な光の地底が松施設で闇にされたと感じます。(つづく)