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多くの人は、「なぜ幼稚園と保育園の2種類の児童施設があるのか」という疑問を持つと思いますが、私も同じです。まず、幼稚園と保育園の定義について調べると、太宰府市公式サイトに書かれていました。『幼稚園は文部科学省所管の学校教育施設であり、保育所()は厚生労働省所管の児童福祉施設です。幼稚園は満3才~小学校就学前の幼児を、保育園は0才~小学校就学前の保護者の事情で保育に欠ける乳幼児を対象とします』。保育園の正式名は「保育所」だそうです。

 

保育所が児童福祉施設であることが、とても違和感を持ちます。これまでの調査とワークから児童福祉施設は、支配層の裏の目的である松取り(松果体収穫)に深く関わっているからです。支配層の松利権網のための施設として保育所がつくられた感じます。「幼稚園と保育園の2種類の児童施設がある」理由についてネットで調べると《Yahoo!知恵袋》に分かりやすく書かれていました。(質問)『なぜ、保育園と幼稚園の二種類があるのですか? 日本の幼児保育・幼児教育の歴史の流れから、保育園と幼稚園の2系列が出来てしまったようです。

 

しかし、外国ではそういう区別はなく、一元化されているのですか。どういう理由で、保育園と幼稚園に分かれてしまったのですか』。(ベストアンサー)『明治時代になると、まず幼稚園ができました。歴史的経過を見れば、幼稚園はどちらかと言えば恵まれた階層の子供たちの保育・教育施設でした。その後、日本でも近代資本主義が勃興し、労働者階級すなわち子供の両親が働き出すと、子供の為の保育施設が必要となり保育園ができました。「貧児保育の為の施設」などと分類する人もいます。

 

法令的に幼稚園と保育園がはっきり区別されたのは、大正15年の「幼稚園令」からだと思います。 その時から幼稚園と保育園の2系列になりました。戦後はそのまま幼稚園は文部省の管轄となり、保育園は厚生省の管轄となりました。 ですから、日本では歴史的に初めから2系列であり、独特なものです。最近は、保育園の待機児童の問題や、幼稚園の定員割れの問題があり、両者が一元化された「こども園」の方向に行くかもしれません』。経済的恵まれた子供のための幼稚園と、恵まれない子供のための保育所と言えると思います。

 

トカゲ人間から成る支配層が子供の魂の光を封じるターゲットが保育所になるのは分かります。彼らは、エゴの闇で汚れていない純粋な魂の光を持つ子供を欲しますので、貧しい家庭環境の子供が対象となります。今も、アフリカなどの発展途上国の子供たちが国連を主体とした支配層の松取りのターゲットになっているのは、そのためです。次に、202295日の「園児置き去り死亡事件」が起きた静岡県牧之原市の川崎幼稚園で注目された「認定こども園」とは何か、ということです。

 

「ほいくノート by ピノキオ幼児舎公式サイト」の記事「認定こども園とは?わかりやすく保育園・幼稚園などとの違いを解説!」には、『認定こども園とは、保育と幼児教育を一体的に行う施設です。いわば、幼稚園と保育園の両方の良さを兼ね備えている施設と言えます。認定こども園には、保護者のニーズや地域の特性に対応できるよう、4種類のタイプ(幼保連携型こども園・幼稚園型・保育所型・地域裁量型)があります』と記されています。認定こども園の管轄省庁は「内閣府」です。

 

「園児置き去り死亡事件」が認定こども園・川崎幼稚園で起きたことは、「認定こども園」に目を向けさせる意図があると感じています。認定こども園のwikiには、『井川こどもセンター - 秋田県南秋田郡井川町にある幼保一元化施設で、日本初の認定こども園に認定された』とあります。すぐに疑問を持つのは、「どうして秋田県南秋田郡井川町の井川こどもセンターが日本初の認定こども園に認定されのか」ということです。感覚的には、間違いなく裏があると見て、井川こどもセンターを追うことにしました。

 

保育士バンク!》には「井川町立井川こどもセンター」の情報が記載されています。『福祉施設や小学校など地域の施設と連携しながら特色ある保育を実践中です。井川町立井川こどもセンターは幼保連携型こども園で、201611月より事業を開始しました。"健康で豊かな情操が培われる保育"(秋田県教育庁幼保推進課公式HPより引用)基本的生活習慣の習得を基本として子どもの個性や興味を尊重した主体性を育む保育を実践するとともに、身近な自然や地域の人など、地域の特性を活かした保育を導入しているようです。

 

家庭や地域と連携しながら異年齢交流や世代間交流を行うことで豊かな心情を育てているようで、他にも育児相談事業や親子登園事業、子育てサークルなどの支援事業も実施しているそうです。所在地:秋田県南秋田郡井川町小竹花字道端50 施設形態:認定こども園 開所時間:07:30 ~ 19:00 休園日:日曜、祝祭日、年末年始 設立:20061116日 定員:140名 職員数:10名 法人名:井川町』。「井川町立井川こどもセンター」は、平成18(2006)11月に全国初「認定こども園」に認定されました。

 

調査研究事例 1 井川町立井川こどもセンター》から「認定こども園」に認定された時の井川こどもセンターの園長は、鷲谷清利と分かりました。《政治山》によると、鷲谷清利は、2020119日の井川町議会議員選挙で町議会議員に当選しており、現在も井川町議会議員です。また、井川こどもセンターの所在地は、「八郎潟調整池」の沿岸にあります。八郎潟は、秋田県にある湖で、二級河川馬場目川水系に属します。かつては面積220km2と、日本の湖沼面積では琵琶湖に次ぐ第2位でした。

 

しかし、大部分の水域が干拓によって陸地化され、陸地部分が大潟村になりました。八郎潟という大事な水の場所である光の地を封じるために松取り(松果体収穫)の闇が置かれたと捉えています。過去のワークで、秋田の地はエゴの闇が深いと分かっていましたが、八郎潟に付随する光の地底を闇にするためだったと捉えています。《湿疹が知らせた茨城県ひたちなか市の甲斐源氏発祥の地と佐竹氏の末裔の秋田県知事・佐竹敬久のワーク》にありますが、松取り部隊の源流の甲斐源氏(甲斐武田氏)は茨城県ひたちなか市が発祥の地です。

 

甲斐源氏の流れを汲む佐竹氏が関ケ原の戦い後、江戸時代に現在の秋田の地(久保田藩)に転封されたのは、先住民の松取りを行って光の地を封印するためだったと見ています。現在の秋田県知事が佐竹氏の末裔のDS工作員・佐竹敬久であることが客観的な証でもあります。井川こどもセンターの元園長・鷲谷清利と所在地(秋田県南秋田郡井川町小竹花字道端)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「エゴ」「いいです」と伝えられました。井川町の町長と他の施設についても調査とワークを進めることにしました。(つづく)