児湯食鳥の代表取締役会長・渡部博行の経歴にある「フェニックス国際観光」に着目しました。フェニックス国際観光は、宮崎県宮崎市にあるリゾート施設「フェニックス・シーガイア・リゾート」を運営する第三セクター「フェニックスリ
ゾート株式会社」の中核企業でしたが、破綻しました。《なぜシーガイアはつくられたのか? 》に詳細が記載されています。『第一次指定を受けてから約5ヶ月後の1988年12月19日、宮崎県はフェニックス国際観光をパ ートナーとする第三セクター「フェニックスリ ゾート株式会社」(以下「フ社」と略記)を発足させる。
資本金は3億円で、出資の内訳は、フェニックス国際観光・旭洋を中心とするフェニックスグループが1億2300万円(41%)、宮崎県と宮崎市が7500万円(25%)ずつ、残りの
2700万円(9%)を地元新聞社、民放局、地元銀行などが分担している。・・こうして宮崎県が地域の活性化を目指して実行した一大プロジェクトであるシーガイア開発
は、第三セクターであるフ社の破綻という帰結 を迎えることになってしまった。とはいえ、その後もシーガイアは、フェニックス・シーガイ ア・リゾートと名称を変えた。
2012年3月26日以降はゲーム・パチンコメーカーのセガサミーホ ールディングスの完全子会社として現在も営業中である』。宮崎県のシンボルとなるリゾート施設の「シーガイア(SEAGAIA)」を追いました。wikiには、『シーガイア (SEAGAIA) は、宮崎県宮崎市山崎町浜山にあるリゾート施設。竣工・開業最初期の名称は「宮崎シーガイア」であった。「観光県・宮崎」の復興を目指して、総合保養地域整備法(リゾート法)の第1号指定である「宮崎・日南海岸リゾート構想」の中核施設「宮崎シーガイア」として建設された。
官民一体の巨大プロジェクトで、運営会社はフェニックスリゾートで、宮崎県や宮崎市が出資する第三セクターとして設立された。
建設地は宮崎市一ツ葉地区で、防風林として植樹されていた海岸部の松林を伐採して進められた。総事業費2,000億円で建設されたが、建設期間中にバブルが崩壊したことに加えて割高な料金による利用客数の低迷もあいまって、毎年200億円前後の赤字が発生した。2001年2月に、第3セクターとしては過去最大の負債3,261億円で会社更生法の適用を申請した。
2012年3月26日、フェニックスリゾートの全株式をセガサミーホールディングスが取得し、完全子会社化した』と記されています。フェニックスリゾートを子会社化した「セガサミーホールディングス」と言えば、東京五輪の買収疑惑において、菅義偉前首相が絡んで数億円を寄付したとされる会社です。2022年08月26日のデイリー新潮の記事《五輪招致、高橋元理事への捜査のウラで… 森元総理の「胸像」建立がスタート、背景に「森ファミリー」利権が》で詳細を伝えています。
『森、高橋の両氏の関係はこれにとどまらない。二人が東京五輪の招致を巡っても、ウラで見事な“連携プレー”を見せていたことはあまり知られていない。「本誌(「週刊新潮」)は森氏が代表理事を務めていた〈嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター〉(嘉納財団)が“五輪買収”に関与した疑惑について幾度か報じてきた。菅義偉官房長官(当時)の依頼で、政界のタニマチとして知られる「セガサミーホールディングス」の里見治会長が数億円を嘉納財団に寄付。
そのカネが五輪開催地を決める投票権を有するアフリカ人のIOC委員の買収に使われた可能性がある、というのがその疑惑の構図だ。菅官房長官は里見会長を説得する際、嘉納財団について、〈この財団はブラックボックスになっているから足はつきません。国税も絶対に大丈夫です〉と述べていた。」・・』。《五輪組織委元理事・高橋治之とAOKI前会長らの逮捕から浮かぶ表面化する隠されたDSの闇》などの記事で、高橋治之元理事は、支配層の松利権を牛耳っているVIPのDS工作員であることが窺えます。
数億円を寄付した「セガサミーホールディングス」の里見治会長は菅前首相と関係が深く、菅と同様に朝鮮派(米国)と対抗する中国派(欧州)工作員と見ていました。公式サイトによるとフェニックスリゾート株式会社の経営体制は、『最高顧問(非常勤):里見治、取締役会長(非常勤):里見治紀、代表取締役社長執行役員:片桐孝一』です。wikiによると『里見治(さとみはじめ・1942年-)は、群馬県福島町(現富岡市)出身の実業家。青山学院大学法学部中退。セガサミーホールディングス社長の里見治紀は長男。
衆議院議員の鈴木隼人は娘婿。青山学院大学在学中の1964年(昭和39年)に友人とゲーム機の販売会社を起こす。しかし経営がうまく行かなかったため販売会社を1年で清算、自らゲーム機の開発を行う方向に転じる。翌1965年(昭和40年)に父親が経営していた食品メーカー「東京栄養食品」の商号を「株式会社さとみ」に変更し、その専務に就任。同社内にアミューズメント部門を設立してクレーンゲームやアレンジボール機の開発・販売等を手がけた。1977年(昭和52年)には取引先の手形の不渡りのあおりを食って株式会社さとみが倒産する。
しかし、残った社員と共に同社の関連会社であるサミー工業(1975年設立、現在のサミー)を再建する形で事業を継続。1980年(昭和55年)にはサミー工業の社長となり、以後同社にて主にパチンコ・パチスロ機の開発・販売などを行い、サミーを業界大手の一角に成長させた。日本中央競馬会(JRA)と地方競馬全国協会(NAR)に馬主登録されている。2016年のサトノダイヤモンドの菊花賞優勝を皮切りに、サトノクラウンの香港ヴァーズ、サトノアレスの朝日杯フューチュリティステークス、サトノダイヤモンドの有馬記念とGIを立て続けに獲得した。
以降もサトノアラジンで安田記念を制するなどGIなどの大舞台ではすっかりお馴染みになっている』とあります。過去のワークから馬主は松利権者であることが分かっています。フェニックスリゾートの最高顧問・里見治、取締役会長・里見治紀(1979年-)、代表取締役社長執行役員・片桐孝一、本社所在地(宮崎県宮崎市山崎町浜山)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろしますと「中国マフィア」「レプ」「パシリ。だけど態度がデカい」「いいです」と伝えられました。(つづく)