与えられたヒントから光を降ろすべき対象が「池上本門寺」と分かった後、シャワーを浴びていると左手の人差し指がこわばる症状が出てきました。人差し指のこわばりは、以前にも経験したことがありました。人差し指のサインは「人を指せ」という意味です。関係者の人間に光を降ろすように促すサインだと感じました。今は、松取り(松果体収穫)の闇という人間のエゴの闇で地球や自然が深い暗闇になっている状態です。「池上本門寺」関係の故人や健在者を調べてワークを行うことにしました。
wikiによると『池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山。寺格は大本山、山号を長栄山、院号を大国院、寺号を本門寺とし、古くより池上本門寺と呼ばれてきた。また日蓮入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられている。弘安5年(1282年)9月8日、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。9月18日に武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着。生涯最後の20数日間を過ごすこととなる。
同年同月に、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。同年10月13日に日蓮が没すると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼びならわされている。その後は日蓮の弟子・日朗が本門寺を継承した。池上氏館の居館部分は本門寺西側の谷の一帯にあったと考えられており、現在は、1276年(建治2年)建立された池上氏館内の持仏堂(法華堂)を起源とする本門寺の子院・大坊本行寺の境内となっている。
本門寺は、鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えた。江戸時代、不受不施派を奉ずる本門寺は、身池対論を経て久遠寺の傘下に収まった。第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失したが、戦後順次復興した』と記されています。まず、池上本門寺の関係者として住職と筆頭総代を選びました。池上本門寺の住職は「菅野日彰(かんのにっしょう)」、筆頭総代は、「池上幸保」です。
《HMV&BOOKS online》に菅野日彰の経歴が掲載されています。『旧名・啓淳(けいじゅん)。昭和12年(1937年)北海道礼文島生まれ。12歳で小樽市・妙龍寺にて出家得度。立正大学卒業。日蓮宗専任布教師として日本各地への伝道に従事した後、昭和42年(1967年)大荒行成満。昭和44年(1969年)大本山池上本門寺布教部奉職。昭和48年(1973年)日蓮宗宗立谷中学寮寮監に就任、同時に設立寺院である浄延院の院代を経て住職に就任。以後、約30年にわたって若き日蓮宗僧侶の育成の任に当たる。
平成14年(2002年)より総本山身延山久遠寺布教部長を務めた後、平成17年(2005年)静岡市・本山村松海長寺の貫首に就任、それを機に法名を「日彰」とする。平成27年(2015年)大本山池上本門寺第83世貫首に就任。平成30年(2018年)第54代日蓮宗管長に就任』。池上本門寺の筆頭総代・池上幸保は、日蓮聖人の大檀越(おおだんおつ:大きな経済的支援者)であった池上宗仲公の末裔です。池上本門寺の住職・菅野日彰と筆頭総代・池上幸保に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「汚いイエズス会」「エゴ。松喰い」と伝えられました。
池上本門寺には、著名人の墓所があります。wikiに掲載されている著名人の御魂をあげる必要があると感じました。ピックアップした著名人は、幸田露伴(小説家)、力道山(プロレスラー)、11代目片岡仁左衛門(歌舞伎役者)、初代松本白鸚(歌舞伎役者)、河上彦斎(熊本藩士・幕末の四大人斬り)、大野伴睦(政治家)、郡司成忠(海軍軍人・探検家・開拓者)、児玉誉士夫(フィクサー)、町井久之(在日韓国人・暴力団)、目賀田種太郎(政治家・官僚)、佐伯矩(栄養学者)、星亨(政治家)、永田雅一(プロ野球オーナー)、重光武雄(在日韓国人・ロッテグループ創業者)です。
上記14人の有名人から感じることは、フィクサーや反社を含む朝鮮半島系の支配層の工作員ということです。一人ひとりの御魂が上がるよう意図して光を降ろしていきました。伝えられたコメントは以下の通りです。幸田露伴「工作員」、力道山「消されたと思う。口封じ」、11代目片岡仁左衛門「喰っていた人。仁風林に集っていた人」、初代松本白鸚「仁風林」、河上彦斎「幕府のための松取り工作員」、大野伴睦「力道山と繋がっていた。口封じか」、郡司成忠「工作員」、児玉誉士夫「日本DSの元」
町井久之「半島ヤクザ」、目賀田種太郎「工作員」、佐伯矩「イルミ工作員」、星亨「工作員。運び屋。八咫烏」、永田雅一「イルミ工作員。レプ」、重光武雄「半島工作員」。ワークの結果から池上本門寺は、八咫烏の上級工作員の松拠点だったと感じます。池上本門寺の北西に隣接する場所に「池上梅園」があり、クライアントの方からの「梅」のワードのヒントに合致します。池上梅園は、東京都大田区池上にある区立公園で、1978年8月26日に開園しました。これまでのワークから公園は松取り場のカモフラージュと分かっています。
池上梅園に縁が深い2人の有名人もワークの対象としました。1983年に大田区に寄贈され、移築された茶室(聴雨庵)の所有者の政治家・藤山愛一郎と池上梅園が出来る以前の土地に自宅兼アトリエ(月山山荘)を所有していた浮世絵師・伊東深水です。茶室もアトリエも実質的な松果体摂取場所だったと感じます。藤山愛一郎、伊東深水の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員。中国」「工作員」と伝えられました。池上本門寺の北北西約3kmに洗足池が位置しています。
過去のヒプノセラピーでは、洗足池で日蓮と縁が深く、龍神を封印したと伝えられました。洗足池や池上本門寺を含む現在の東京都大田区一帯は水の場所だったと感じます。湧水の場には光の地底が存在します。光の地底を封じるために松取りの闇が置かれてきました。大事な光の地を封じるために池上本門寺や池上梅園の松の闇が置かれたのです。池上梅園を含む池上本門寺の境内全体に光を降ろすと「いいです」と伝えられました。池上本門寺のある大田区の地が本来の姿になることを願っています。(おわり)