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「良きようになりますように」「ありがとうございます」「この地が本来の姿になりますように」など、自分の言葉で自由に内側の純粋な思いを放つシンプルな祈りのご紹介


この度、Ayako Yamamotoさんに企画制作して頂いた私との対談形式の「祈りについてのrumble動画」をご紹介します。誰でも、どこでも、いつでも、できる自由でシンプルの祈りです。決まった服装や道具、教本はありません。大事なのは純粋な心です。純粋な祈りによって光を降ろすことが出来ます。まずは祈ることで自分に光を降ろすことをしてみてはいかがでしょうか。

Ayako Yamamotoさんと私の対談形式の「祈りについてのrumble動画」はこちらです


Ayako Yamamotoさんのアメブロの記事「祈りについて」はこちらです祈りについて

「祈りについてのrumble動画」の企画制作者のAyako Yamamotoさんのプロフィールはこちらです「グリューン☆アウェアネス in ドイツ&日本!」

下記が私が書いた「祈りについて」の補足です。読者の方々のご参考になれば幸いです。

本来の祈りとは、自分の内側から外側に向かうものです。それは自分の思いを放つことです。祈ることにおいて大事なのは、自分が純粋に「良くなるように」と意図することです。意図するとは、自分の思いを意識することです。自分のエゴや欲を満たすため、利益誘導のための祈りではありません。純粋な心を持つ人が無条件の祈りをする時、源の光が降ろすことができます。

源の光は自分の魂の光でもあります。闇の時代は、自分の内側の心を使わせないように外側に祈りに見せかけた教本が置かれました。人々が本来の祈りを行うと内側の光が放たれるからです。これがトリックとしての宗教の祈りの言葉です。仏教のお経、神道の祝詞、キリスト教の聖書の祈りの言葉です。宗教の祈りの教科書は、暗闇にするための闇の役割です。

お経や祝詞などの宗教の祈りには、ヘビなどの闇のエネルギーや「術」「魔法」が利用されてきました。ヘビのエネルギーはその姿から分かるように、巻きついて縛る、動かさない、固めるという働きをします。通常、祈ることで光が降りて、仏像や石仏に宿るエネルギー体が光に還ります。しかし、お経や祝詞が唱えられているとエネルギー体が動けなくなります。

闇のバリアを覆うことや結界を張ることと同じです。これは旭川の神社や奈良の寺院の巡礼の旅のワークの経験から気づいたことです。光の時代の祈りには、まず何よりも自由であることが大事です。祈りについては、型にはまらないこと、お手本は要らないことです。各自が違う言葉で祈ることが自由であり、自然なのです。

宗教の祈りは本当の祈りの素晴らしさを知るための反対の経験です。多くの人たちが真実を隠されて、騙されることで暗闇の世界がつくられてきました。暗闇の環境でないと、苦しみ・悲しみ・怒り・悔しさなどの負の感情が伴う闇の経験はできません。闇は悪いのではなく光を知るために必要なものでした。しかし、今はもう闇を卒業する時です。闇と光は、本来、表裏一体です。

闇の裏側が光であり、光の裏側が闇であるオセロの白黒の石と同じです。経験は光を学ぶために必要な経験です。闇と光を一体の形に保つことで、経験してきた闇が光に反転します。逆に言えば、地球で多くの転生を繰り返して経験してきた闇を光に変換するためには祈りが重要なのです。祈ることで闇を光で包み込んで一体にするのです。

闇の時代の祈りは、形式や姿・見た目を重要視します。光の時代の祈りは、外側のものではなく内側が重要になります。場所、時間、衣服、姿勢など見た目に関わる制限は一切ありません。その代わり重要なのは純粋な心です。目に見えるものではなく、祈る人が純粋かどうかがポイントです。自分のエゴを小さくしていくことが純粋になることです。

エゴとは、自分のモノにするという所有、人より秀でたいという優越、思い通りにしたいという支配・コントロールの3つから成ると見ています。これらのエゴを日常生活の中で気づきながら小さくしていくことです。別の観点から見ると、病気や体調不良によって苦痛を味わうこともエゴを削ぎ落とすことになります。生きているだけで幸せという境地にも成り得るのです。

本来の祈りには、お手本や教科書はありません。祈りの教本の字を読むことが祈りではないのです。自分が自由に自分の言葉で内側の思いを外側に放つことです。祈りに必要な道具は一切ありません。何も必要なものはなく、誰でも皆、祈ることができます。自分が祈りを実践することが大切です。日々の祈りを実践する人たちによって光が広がっていきます。