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八咫烏の重要工作員と捉えた田中清玄と交流があった外国人関係者でワークの対象としてピックアップしたのが、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとオットー・フォン・ハプスブルクです。田中清玄は池田成彬の紹介で汎ヨーロッパ主義者のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーと親交を結びました。汎ヨーロッパ主義とは、欧州全体を一体的に捉えて1つに統合する、あるいは一体性を高めることを志向する思想のことです。現在の欧州統合機関としての欧州連合(EU)がそうです。

 

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの経歴はwikiに記載されています。『リヒャルト・ニコラウス・エイジロ・クーデンホーフ=カレルギー(日本名:青山栄次郎・1894-1972)は、クーデンホーフ家とカレルギー家が連携した伯爵一族クーデンホーフ=カレルギー家の人物で、日本の東京で生まれたオーストリアの国際的政治活動家。父はオーストリア=ハンガリー帝国駐日特命全権大使のハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵。母は日本人。

 

ハインリヒの大使公邸の使用人をしていた東京・牛込出身の日本人青山みつ(クーデンホーフ=カレルギー・光子)。汎ヨーロッパ連合主宰者。汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、それは後世の欧州連合(EU)構想の先駆けとなった。そのため欧州連合の父の一人に数えられる。哲学の博士号があり、地政学に造詣が深く、ジャーナリストとしての顔も持つ』。ワークのサポートをしていた伴侶が、「青山みつ(クーデンホーフ=カレルギー・光子)の名前を創価学会の本の中で見たことがある」と話してきました。

 

伴侶の叔母は熱心な学会信者で、伴侶が小学生の頃に学会のマンガ教本を色々読まさせられたといいます。ネットで検索してみると、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーや母親の青山みつが創価学会との深い関係があるという情報が出て来ました。《jack_winsさんTwitter》には、『カレルギーの母親は青山みつ(クーデンホーフ光子)であり、カレルギーはEUの提唱者であり、創価学会とも深い関係があるフリーメイソン。 青山家の家系を辿れば徳川家の家臣であり、また伊賀の国 服部半蔵もまた青山家の血筋です』と記されています。

 

また、創価学会の名誉会長・池田大作とカレルギーが対談している画像もありました。《第24回 クーデンホーフ=カレルギー》によると、『55年前の10月、池田大作先生は世界の識者や指導者と本格的な文明間・宗教間対話を開始した。その最初の相手となったのは「欧州統合の父」と仰がれるリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー伯爵である』と池田大作とカレルギーが対談している写真と共に掲載されていました。八咫烏の配下の創価学会が、欧州を一体にして米国の対抗軸として支配を目論んでいたことが窺えます。

 

欧州諸国がバラバラよりも、一体化した共同体の方が支配・コントロールしやすいのです。田中清玄は、カレルギーなどを通じて、汎ヨーロッパ運動を推進していたハプスブルク=ロートリンゲン家家長のオットー大公を紹介されました。wikiには、『オットー・フォン・ハプスブルク(1912-2011)は、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの第一子で、長男。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子。ハプスブルク家の家長(19221961年、あるいは19222006)

 

1930年代のオーストリアにおける君主制復活運動を指導し、ドイツのオーストリア侵略計画に対抗した。オーストリア併合の最大の障壁とヒトラーに見なされ、そのオーストリア侵略計画は彼の名から「オットー作戦」と呼ばれた。第二次世界大戦中にはアメリカに亡命してルーズベルト米大統領やチャーチル英首相と接触し、弟らとともにオーストリア解放に尽力した。ドイツ、オーストリア、ハンガリー、クロアチアの市民権を持ち、欧州議会議員や国際汎ヨーロッパ連合会長を務める。

 

汎ヨーロッパ主義的に活動した政治家でもある』とあります。八咫烏の工作員は欧州などの海外にも及んでいました。リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとオットー大公(オットー・フォン・ハプスブルク)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「工作員」「ロスチャ」と伝えられました。次に、早稲田大学の創立に関係した人物のワークに移りました。wikiによると、『早稲田大学は、東京都新宿区戸塚町一丁目104番地(新宿区西早稲田一丁目61)に本部を置く日本の私立大学である。

 

1882年創立、1920年大学設置。大学の略称は早大(そうだい)。大隈重信が明治十四年の政変による下野後に設立した東京専門学校を前身とする四年制の大学である。1920(大正9)に日本の私立大学では慶應義塾大学などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となった。2019年時点で、10の学術院のもと13学部・25研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。大隈重信が明治の代表的な政治家の一人である。

 

イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから政治経済学部を看板学部とし、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの人材を輩出しているのをはじめとして、出版・新聞・文学などの分野でも多くの卒業生が活躍している。イギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイアー・エデュケーション」による2017年の日本版ランキングでは、私大1位に認定された』と記されています。 早稲田大学の創立者は大隈重信ですが、建学の祖はフルベッキです。「フルベッキなくして大隈なし、大隈なくして早稲田大学なし」と称えられています。(つづく)