宗教法人白鳳寺の代表・太田司が販売していた遺体防腐処理剤の二酸化塩素(クロオキシン)をネット検索していく中で「株式会社バイオサイドジャパン」の公式サイトに行き着きました。その時は、「バイオサイドジャパン」の公式サイトを少し見ただけでそれ以上調べませんでした。しかし、その直後にパソコンでメールを書こうとすると不具合が起きて「おかしいな」と思いました。直感的には「株式会社バイオサイドジャパン」をもっと調べる必要があるということであり、サインだと捉えました。
公式サイトに「株式会社バイオサイドジャパン」の会社情報が記載されています。『株式会社バイオサイド・ジャパンは、アメリカ合衆国オクラホマ州ノーマンに本拠を構えるバイオサイド・インターナショナル社(以下BCI社)の二酸化塩素製品をアジア極東地区に供給する目的で、BCI社と化学工業薬品の専門商社である大和物産株式会社(本社:名古屋市)の合弁会社として1983年に設立されました。現在バイオサイドグループの一員として日本国内をはじめ極東地域に対し二酸化塩素製品並びにその関連商品を供給しています。
BCI社は、独自の二酸化塩素製品の製造技術をもとに、先進国を中心に製品を供給している殺菌・消臭剤の世界的なリーディングカンパニーです。その専門的な技術は、あらゆる業界のニーズを満たし、二酸化塩素市場のリーダーとして世界中から認められています』。バイオサイドジャパンの公式サイトには、中心となる販売製品の「水成二酸化塩素」の説明が記載されています。『バイオサイド社の独自の製法により製造された二酸化塩素製品を、水成二酸化塩素®といいます。二酸化塩素は本来ガス状ですが、生成された二酸化塩素をバイオサイド社の独自の製法により水溶液中に溶解し、安定化させています。
二酸化塩素の歴史・・・
二酸化塩素は、1811年英国のハンフリーデービー卿により発見されました。1930年代には二酸化塩素の製造方法の改良が行われ二酸化塩素発生装置が、ニューヨーク州のナイヤガラ流域に設置され、フェノールの味と臭いの除去が行われました。その後、パルプと紙の漂白、飲料水の製造工程などでアメリカ及びヨーロッパにおいて二酸化塩素の使用用途が拡大しました。日本においても食品工場の製造ライン・ビール工場の充填機の殺菌・温泉施設などの配管や水の殺菌、飲食店やさまざまな現場においての除菌利用、紙パルプの漂白など、様々な分野で使用されています。
バイオサイド社の水成二酸化塩素®の特徴・・・ 現在、世界中には様々な二酸化塩素製剤があり、製造方法や原料、ガスの移動テクニックなど様々な要因により出来上がる二酸化塩素製剤は千差万別です。バイオサイド社の水成二酸化塩素®は、特許製法により副生成物を完全に取り除いており、安全性も高く効果も高いのが特徴です』。二酸化塩素を水に溶解したものが「水成二酸化塩素」であり、食品工場の製造ライン・ビール工場の殺菌、紙パルプの漂白などに使用されているといいます。
これは、どういうことを意味しているのでしょうか。私は、表の工業製品の製造に使用する裏で松取りにも使用していると推察します。「水成二酸化塩素」は、食品工場の殺菌剤として使用される裏で、遺体の腐敗防止剤という松取りのカモフラージュとして使用できるのです。株式会社バイオサイドジャパンの代表取締役・田中理恵と本社所在地(千葉県松戸市小根本)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「半島工作員」「いいです」と伝えられました。株式会社バイオサイドジャパンの親会社が化学品専門商社の「大和物産株式会社(本社:名古屋市)」です。
公式サイトによると大和物産株式会社の会社概要は、『社名:大和物産株式会社 取締役社長:丹羽俊作 設立:昭和22年9月 資本金:1,000万円 本社:愛知県名古屋市中村区名駅 営業品目 防錆剤、金属表面処理剤、有機溶剤、潤滑剤、離型剤、接着剤、試薬、理化学機器、その他化学工業薬品全般』と記載されています。名古屋の化学専門商社が米国のバイオサイド・インターナショナル社と合弁しバイオサイドジャパンを設立して、殺菌剤という松利権の裏の遺体防腐処理剤を手広く販売することは、背後に大きな組織があると感じます。
大和物産株式会社の取締役社長・丹羽俊作と本社所在地(愛知県名古屋市中村区名駅)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「怪しい」と伝えられました。大和物産株式会社の公式サイトの会社案内のページには、「当社は昭和22年9月中京商業学校同窓生が共同出資して設立、同年12月小牧市に営業所を開設、現在に至る」と記されていました。どうして「中京商業学校」の同窓生が設立したのか、が疑問です。「中京商業学校」を調べると、現在は「中京大学附属中京高等学校」になっていました。
中京大学附属中京高等学校(旧・中京商業学校)の情報はWikipediaに記載されています。『中京大学附属中京高等学校は、愛知県名古屋市昭和区川名山町にある私立高等学校。
学校法人梅村学園が運営する中京大学の附属学校である。通称「中京大中京」。1923年(大正12年)に中京商業学校として創立。1995年(平成7年)に設置学科を普通科のみとし、1998年(平成10年)から男女共学化した。「学術とスポーツの真剣味の殿堂たれ」を建学の精神とし、運動部を中心とした部活動に力を入れている。
一方、2009年(平成21年)から特進と進学のコース別指導を開始し、のちに国際コースも設置するなど、学習面にも力を入れつつある。創立以来続けられてきた商業教育は現在行われていない』。中京大中京の硬式野球部は戦前から甲子園に数多く出場しています(春32回、夏28回)。甲子園での勝利数は春58勝、夏78勝、通算136勝でいずれも最多であり、優勝回数は春4回、夏7回、通算11回で夏と通算が最多となっています。また、プロ野球、フィギュアスケート、プロサッカーの選手など多数輩出しています。
特に、フィギュアスケートは浅田真央・安藤美姫・宇野昌磨など有名選手が数多くいます。中京大学附属中京高等学校の校長・伊藤正男と所在地(愛知県名古屋市昭和区川名山町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「金。半島」「いいです。薩摩同和」と伝えられました。「薩摩同和」ということは、欧州・中国系ロスチャイルドに重きを置く同和の闇です。米国・朝鮮系ロックフェラーの長州勢力の対立軸となります。中京大学附属中京高等学校の運営母体である「学校法人梅村学園」の歴史を追う必要がありました。(つづく)