お台場_-_panoramio


2022
11月上旬、頭頂部やや後に湿疹が数個できているのに気づきました。ワークの対象の場所を教えてくれるサインです。私の場合、頭部は日本列島で言うと北海道にあたります。以前は、繊維業から「帝国繊維」にたどり着いてワークを行っていましたが、今回は缶詰工場の関係だと感じました。「北海道×缶詰会社」で検索すると、《北海道の缶詰食品製造・企業一覧》がヒットし、「マルハニチロ北日本」に着目しました。公式サイトに、マルハニチロ北日本の情報が掲載されています。

 

『[会社概要]会社名:株式会社マルハニチロ北日本 設立年月日:19525(20104月に統合) 主な事業内容:缶詰・瓶詰・冷凍食品・レトルト食品・飲料の製造・加工・販売 本店所在地:北海道釧路市海運1丁目19号 埠頭ビル 代表者:代表取締役社長 福貴迫芳郎 資本金:5,000万円 決算期:331日 売上高:10083百万円(20223月期) 従業員数:360名 株主:マルハニチロ株式会社(100)』。グーグルマップでマルハニチロ北日本の所在地を調べると、釧路港の港湾にありました。

 

過去に《隠された大きな利権が暗示される国際バルク戦略港湾を有する釧路市》では、大事な光の場所である釧路の地が松利権の闇で封印されており、釧路港湾関係や釧路市長、安田財閥関係のワークを行っていました。今回は、マルハニチロ北日本の親会社の「マルハニチロ」が重要と感じて、マルハニチロの調査とワークを進めることにしました。マルハニチロの情報はマルハニチロのウィキペディアに掲載されています。『マルハニチロ株式会社は、東京都江東区に本社を有する日本の大手食品会社。

 

 [概要]1880年に山口県下関市で創業した遠洋漁業・捕鯨・水産加工大手のマルハ(旧・大洋漁業)1906年に北海道函館市で創業の北洋漁業・水産加工大手のニチロ(旧・日魯漁業)を起源とする。2007年に両社が経営統合し、2008年の事業再編を経て、201441日の合併により誕生した』。マルハニチロは「マルハ」と「ニチロ」が合併した会社であり、それぞれの沿革は、マルハのwikiとニチロのwikiに記載されています。〈マルハ沿革〉『中部幾次郎が明治期に播磨明石林崎漁港(現在の兵庫県明石市)で家業の鮮魚仲買運搬業を受け継いだものを源流とする。

 

後に山口県下関市に拠点を移して、捕鯨業・トロール漁業に進出して事業を拡大。1924(大正13)には林兼商店(はやしかねしょうてん)を設立し、これが法人組織としての創立となる。1880(明治13) 中部幾次郎が家業を継ぐ(マルハ社史では創業とされる)1904(明治37)事業の本拠地を明石林崎漁港から下関へ移転。 1922(大正11) 土佐捕鯨を買収し捕鯨業に進出。1924(大正13) 株式会社林兼商店を設立』。〈ニチロ沿革〉『堤清六と平塚常次郎が北洋漁業を行うために創業した会社を起源とする。

 

水揚げされた鮭、カニなどの流通のために冷凍食品や缶詰の加工販売にノウハウを持つ。加工食品は「あけぼの」のブランドで広く流通された。創業時の社名の「日魯」は、会社の公式サイトにおいては、縦書きにすると「日魚日」と分かち書きが可能であり、日々の豊漁を示して縁起が良いという所からの命名とされている。また「魯」は北洋漁業の漁場国であるロシアの漢字表記異称である「魯西亜」の頭文字でもある。1905年の日露戦争が日本の勝利で終結し、ポーツマス条約で北洋漁業の操業権を獲得して、ロシアのペトロパブロフスク・カムチャツキーに日魯漁業の漁業基地が設置された事が由来。

 

1906(明治39)-堤清六と平塚常次郎により堤商会創業。1907(明治40)64-「宝寿丸163トン」を購入して、新潟港より北洋漁業(サケ・マス漁)へ初出漁。 1910(明治43)-日本水産の創業者でもある田村市郎により北海道函館市で一井組創立。1912(明治45)-缶詰製造の輸出食品株式会社創業。1913(大正2)-日本初の衛生缶を使用した缶詰の工業的な大量生産を開始。現在も商標として使用される「あけぼの印(DAY BREAK BRAND)」を初めて使用する』。マルハニチロの歴史は、日本の缶詰の歴史と重なります。

 

北海道のタルタリアを隠した石狩など5つの缶詰工場》にありますが、日本最初の缶詰工場は、1877年に設立された北海道石狩市の「石狩缶詰所」でした。その後、苫小牧市、別海町、厚岸町、択捉島に5つの缶詰工場が置かれ、支配層の金儲けのための松製品である人肉・内臓の缶詰を製造したと推測します。また、《国後島中心に50箇所の缶詰工場が存在した北方領土》に記されていますが、1894年の日清戦争から遺体由来の裏の缶詰を製造する缶詰工場の増え、北方領土にも50箇所の工場が置かれていました。

 

支配層は、裏の松製品の缶詰製造を隠すために、サケ缶などの表の魚介類の缶詰を量産したのです。マルハニチロは、支配層による松製品の裏の缶詰製造という重要な闇の役割を担っていたと推測します。マルハニチロの創業者の中部幾次郎(1866-1946年・マルハ創業者)、堤清六(1880-1931年・ニチロ創業者)平塚常次郎(1881-1974年・ニチロ創業者)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「トカゲ」「工作員。中国」「中国。工作員」と伝えられました。ロシアが絡む中国・ロスチャイルドの工作員だったと感じます。

 

マルハニチロの代表取締役会長・伊藤滋(1949-)、代表取締役社長・池見賢(1957-)本社所在地(東京都江東区豊洲)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「日本DS」「日本DS。ゴム」「いいです」と伝えられました。wikiに掲載されているマルハニチロの筆頭株主(9.84%)の「大東通商」が気になりました。wikiには『大東通商株式会社は、石油製品の輸入販売、海運等を行う会社。[概要]マルハグループ創業家の中部家により設立された石油関連商社であり、マルハニチロの株式10.19%を保有する筆頭株主でもある(2009331日現在)

 

主な事業として、石油、船舶、物資、不動産の4事業がある。石油関連事業は、当時の大洋漁業(現在のマルハニチロ)をはじめとする遠洋漁業の漁船への燃料補給事業を起源とし、洋上補給船によって海外の港での給油を行っている。また、重油、灯油、ガソリン、軽油等の産業用燃料油、潤滑油の輸入販売を行っている』とあります。過去にワークを行った石油大手のENEOS(日本石油)出光興産と同様に、大東通商は、マルハグループ創業家の中部家の裏の松利権のための表の石油関連会社だと感じます。

 

大東通商の代表取締役社長・中部由郎本社所在地(東京都新宿区市谷台町)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」「地下あり」と伝えられました。戦前、缶詰工場が多く稼働していた時代の松利権は、裏の缶詰販売による利益です。表の魚介類、牛肉、果物、野菜の缶詰をカモフラージュにして製造していたと見ています。現在の大手企業によるビジネスの裏には、松の缶詰やアドレノクロムなどの松利権の闇が隠されています。マルハニチロの日本DSの役割が終わりになることを願っています。