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2022
1028日、服役中の工藤会系暴力団の幹部・田中幸雄容疑者が「王将社長射殺事件」の容疑者として逮捕されました。支配層と裏世界の闇が絡む「王将社長射殺事件」の真相を追究するための4回シリーズの記事を書いています。《"歌謡界の女王"美空ひばりとウクライナ人が絡んだ王将の創業家の背後にある日本支配層の暗黒集団》にありますが、"王将の餃子"の店舗を展開する「王将フードサービス」の大株主の筆頭が10.9%の持株比率である「アサヒビール」であることが気になっていました。

 

もう1つ「アサヒビール」で気になったことが、ミネラルウォーターがとても重くて美味しくないと感じたことです。サントリーやキリンなど大手メーカーを含め数社のペットボトルの水を飲んでおり、その中でもアサヒグループのアサヒ飲料の水が重たいと思っていたのです。これまでのサントリーやサッポロビールのワークから大手飲料メーカーの裏には松利権の闇があることが分かっていました。「アサヒビール」を筆頭とするアサヒグループに解除・統合すべき闇があると感じて、調査とワークを行うことにしました。

 

過去のサッポロビールの調査からアサヒビール、サッポロビール、ハイトビール(韓国)は同じ前身の「大日本麦酒(だいにっぽんびーる)」であることを知っていました。wikiには、『大日本麦酒株式会社は、かつて日本に存在したビールメーカーである。現在のアサヒビールやサッポロビールなどの前身であり、韓国のハイトビールとも歴史的繋がりがある。・・合併前の厳しい市場競争で三井系の日本麦酒の経営が危機に陥りかけたため、馬越恭平は内閣に働きかけ「国内の過当競争排除と輸出の促進、 資本の集中化を図るための」合併勧告を引き出した』と記されています。

 

大日本麦酒の重要人物として合併の先導者の馬越恭平(1844-1933:日本麦酒元社長・三井物産重役)をワーク対象に選びました。馬越恭平の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「半島。貴族」と伝えられました。アサヒビールの情報はwikiに掲載されています。『アサヒビール株式会社は、日本の大手ビールメーカーで、 アサヒグループホールディングス株式会社傘下であり、アサヒグループジャパン株式会社の100%子会社である。[会社概要]1949(昭和24)、大日本麦酒株式会社の分割により設立。

 

分割後は主に西日本で展開し、1954年から1960年まで日本のビール市場占有率で2位を維持していたが、1961年に3位になって以降シェア低下傾向が続き、1980年代前半から中盤は4位寸前の低迷期に陥った。しかし、外部出身の社長主導による社内改革の進展や、現在も主力商品となっている「アサヒスーパードライ」の発売以降、驚異的に経営状態を回復して1988年には2位となり、1998年にはビール単独、2001年にはビール類(ビールと発泡酒の合計)市場におけるシェアで1位となった』。

 

アサヒビールの創業者・鳥井駒吉(1853-1909:実業家・酒造家)と初代社長・山本為三郎(1893-1966:実業家・ビール王・ホテル王)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」「鳥井も同じでユダヤ系」と伝えられました。アサヒビールの創業者・鳥井駒吉と山本為三郎が「ユダヤ」と伝えられたことが気になりましたが、現在の経営トップのワークを進めました。アサヒビールの代表取締役社長・塩澤賢一(1958-)本社所在地(東京都墨田区吾妻橋)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「この人も同じユダヤ」「いいです」と伝えられました。

 

アサヒビールの上位会社には、持株会社である「アサヒグループホールディングス」があります。wikiには、『アサヒグループホールディングス株式会社は、アサヒビール、アサヒ飲料、アサヒグループ食品などを傘下に持つ持株会社である。事業子会社はビールなどの酒類を製造・販売する()アサヒビール株式会社や清涼飲料水の製造・販売を行うアサヒ飲料、食品・健康食品・医薬品の製造・販売を行うアサヒグループ食品の3社からなる』と記載されています。アサヒグループホールディングスの本社所在地は、アサヒビールと同じです。

 

アサヒグループホールディングスの代表取締役社長兼CEO勝木敦志(1960-)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。ワークでアサヒビールの創業者・初代社長・現社長に伝えられた「ユダヤ」を追究していきました。これまでのヒプノセラピーやワークの経験から「ユダヤ=秦氏八咫烏」という図式が成り立ちます。秦氏は大陸より渡来し酒造技術を伝えた渡来人の一族です。京都にある秦氏が奉った醸造祖神「松尾大社」から酒造りのはじまったとされます。エネルギー的には、酒は光の水を闇にしたものと捉えています。

 

人間が酒を飲むことで闇になり闇の存在に憑依されることがあります。人が酒を飲んで酔うことで闇の宇宙人やエネルギー体が操りやすくなるのです。ただ、闇の環境で我慢をしている人たちにとってはストレス発散と解放のために酒は必要になる場合もあります。「ビール×ユダヤ」でネット検索すると《ビールの豆知識》がヒットしました。そこには、『ビールの誕生については諸説があり、紀元前80004000年までさかのぼるといわれ、文明とともに古くから人々に親しまれていたのは確かなようです。

 

人類最初の文明は、メソポタミアに興ったシュメール文明だといわれていますが、そこではすでにビールが飲まれていました。シュメールの人々が粘土板に楔形文字で描いたビールづくりの模様が記録に残っているからです。当時のビールの製法は、まず麦を乾燥して粉にしたものをパンに焼き上げ、このパンを砕いて水を加え、自然に発酵させるという方法だったようです』と記されています。また、《シュメールと闇の帝王・アヌンナキ》にありますが、地球に最初に闇を降ろしたのはアヌンナキで、そこはシュメールです。

 

宇宙人のアヌンナキは、光と闇が表裏一体の純粋の闇である「分離と支配の世界」を地球に構築しました。これが地球の土台となる闇です。秦氏はユダヤ系でありシュメールからの渡来人でもあります。《シュメールとユダヤの関係》には、『アブラハムとサラの子孫でシュメールの血と文化を受け継いだイスラエル人(ユダヤ人)も日本の文化に大きな影響を与えている』とあります。アヌンナキが闇を降ろしたシュメールでビールがつくられていたことは、ビールが光を封じる闇の役割を暗示しています。

 

八咫烏は、光を隠して封じる闇の役割を担う支配層集団です。「秦氏≒八咫烏」としたのは、正確には、八咫烏は表の藤原氏と裏の秦氏から成ります。暗闇にするために、表と裏の世界の両方を支配するのが八咫烏の役割だと捉えています。「ユダヤ=秦氏≒八咫烏」の背後には、アヌンナキが存在していたのです。20157月の京都巡礼の旅の広隆寺のワーク《京都 広隆寺 ~巡礼の旅(228)~》では、広隆寺の太子殿に光を降ろすと、アヌンナキの宇宙船が聖徳太子の闇のエネルギー体を回収していった出来事がありました。

 

広隆寺は聖徳太子を本尊とする、秦一族の長の秦河勝がつくった寺院です。また、聖徳太子は、八咫烏がつくった松取り(松果体収穫)を裏の目的とした仏教を広めるための架空の英雄です。アサヒビールの創業者・初代社長・現社長がワークで「ユダヤ」と伝えられたのは、シュメールで最初につくられたビールの純粋の闇を引継いできているからだと感じます。「アサヒ」は「朝日」で、支配の原点である太陽信仰の太陽を示唆しています。アサヒビールが担ってきた闇の役割が終わり、光の役割に反転することを願っています。