Naiku_01


2023
21()、伴侶が義母の通院に付き添ってタクシーに乗ると運転手の名字が「伊勢」だったと話してきました。執事のようなきちんとした身なりで、また使ってくださいと丁寧に名刺を渡してきたといいます。翌日、テレビで時代劇ドラマを観ていると「伊勢屋」の半纏が目に入りました。「伊勢」のキーワードが来ていると感じました。その数日前には、知人から三重県津市相生町の同和部落についてのメールが動画添付で届いていました。ネットで調べると「津市相生町自治会長事件」があった場所です。wikiに「津市相生町自治会長事件」の情報が記されています。

 

『津市相生町自治会長事件は、三重県津市で発生した詐欺事件である。20209月、示現舎が津市相生町における同和利権問題を報道した。相生町内会長についての告発情報が示現舎に寄せられていた中で共通していたのが、1台で済むのに4台も使った報酬や費用まで支払われている環境パトロール、市職員へのパワハラである。相生町内会長が市の人事等に圧力をかけ、自分の気に入らない職員を異動させる、「詫び」として丸坊主と土下座をさせる、実質的に自身が経営している飲食店に市の職員を行かせる、町内会事務所として使っている建物のガレージの修理や私有地の草刈りや片付け等、市の職員を私物化していた』。

 

津市の同和のトップが地域の支配層の政治家を支配・コントロールしている構図が垣間見えます。同和部落の源流は、松取り(松果体収穫)の現場仕事を担っていた、渡来人の権力者に支配された先住民たちの集落に由来します。支配層に汚い仕事をあてがわれてきた人たちの集落です。松取りの現場仕事をしている人たちのことを「サンカ」と呼びます。支配層の松取りの秘密という弱みを握っている同和が支配層の政治家を支配して利益誘導しているのです。動画の中には、同和の集団が市庁舎に押しかけて教育長関係者にヤクザ言葉で怒鳴りつけて恐喝している音声を録音した動画もあります。

 

どうして三重県津市なのかというと、津市は、江戸時代のお伊勢参りの宿場町であり、松取り仕事をする反社同和の棲家だったのです。当然、伊勢神宮の裏の目的は、支配層の松利権という金儲けです。古くから日本一の神社とされる伊勢神宮という神の場所を設けて、多くの人を集めることで、誘拐拉致を通じて松取りが行われてきました。松取りの現場仕事には反社や同和が必要です。知人が送ってくれた同和の動画は、伊勢神宮の鳥居前町として栄えてきた伊勢市のワークを行うための伏線だったと感じます。

 

wikiには、伊勢市の情報が記載されています。『伊勢市は、三重県南東部にある市である。伊勢神宮の鳥居前町として発達した都市で「神都」の異名を持つ。かつては宇治山田市を名乗っていた。三重県を代表する観光都市の1つであり、名古屋や関西といった大都市圏からのアクセスに優れることから年間を通じて大勢の観光客で賑わう。江戸時代には「お伊勢まいり」の街として全国から多くの人が訪れ、現在も伊勢志摩の中心都市となっている』。伊勢市は、三重県を代表する観光都市であり、多くの観光客が訪れています。

 

wikiによると『2003年度には、伊勢神宮を中心として年間約550万人の観光客が訪れた。式年遷宮が催行された2013年には26,412,049人が来訪、伊勢神宮には14,204,816人が参拝した』とあります。まず、地域の松利権を支配する首長である伊勢市の歴代市長を調べました。初代市長は加藤光徳(20051127-2006326日・在職中死亡)2代市長は森下隆生(2006416-2009107日・中部国際空港海上アクセス事業不振の責任をとり辞職)3()市長は鈴木健一(20091115-現職)です。

 

初代市長・加藤光徳は自殺と断定されていますが、他殺の可能性が高いと見ています。wikiによると、『加藤光徳(1948-2006)は、三重県伊勢市長(2)[来歴]三重県出身。1971年、東京都立大学工学部卒。三重県庁に入り、県まちづくり推進課長、都市整備指導監、伊勢市助役などを経て、2004年、伊勢市長に当選する。翌2005年、伊勢市は近隣の町村と合併し、新伊勢市が発足、これに伴う市長選挙に立候補し、民主党推薦で立候補した。対立候補は自民党の推薦を受け、片山さつきや竹中平蔵が応援演説に駆け付けたが、激しい選挙戦の末加藤が当選した。

 

しかし、当選後、加藤に対する無言電話や加藤へ剃刀が送りつけられたりした。2006226日、伊勢市内の自宅を出たまま行方不明になり、翌27日朝、伊勢市内の山林で首を吊った姿で発見された。警察は司法解剖の結果自殺と断定、死亡推定日時を「26日夜」と断定した』と記されています。初代市長・加藤光徳の死亡原因をネットで調べていくと「伊勢市長加藤光徳氏の自殺?の背景について」のブログ記事《『自殺‥伊勢市長を追いつめた地元の政争』》と《『伊勢市長を首つり自殺に追い込んだ執拗無言電話』》を見つけました。

 

そこには、『加藤市長の自宅や伊勢市役所などに無言電話が繰り返され、無言電話の主は反加藤派の人間と目される』『地元出身の国会議員と市の商工会議所の幹部が組み、自民党推薦候補を支持していました。自民市政が誕生した暁にはさまざまな事業が推進される予定でしたが、加藤氏が当選したことで、ほとんどがおジャンになった』『市役所職員に物騒な風体の男たちが訪れ、市長にもの申すと要求していたようだ』『加藤氏に嫌がらせをしていたのが駅前再開発計画にかかわる人間かどうかはわからない。だが、そこに大きな利権がうごめいていたことは想像に難くない』

 

『選挙が終わった後も、加藤氏の元に「いうことを聞かないと計画をつぶすぞ」と地元有力者から脅しがあったと聞いています』という生々しい情報があります。自殺と断定された初代市長・加藤光徳は伊勢神宮という大きな観光名所の裏にある伊勢市の松利権を含む利権争いによって消されたと感じます。選挙で敗れた半島系と中国系の支配層集団の暗闘だったと推測されますが、伊勢市の裏の利権を牛耳っている黒幕が誰なのかは、この後、調べていくうちに分かってきました。松利権を支配する者の配下には、反社が存在します。

 

ヤクザや同和の反社は金で口封じすることも裏の仕事の範疇です。警察、裁判所などの公権力を含む支配層のグルの構図になりますので、真実を隠して仲間の犯罪をもみ消すことも定石となります。《2人の市長の銃撃事件・射殺事件が起きた長崎市に潜む松利権の闇》にありますが、過去に2人の長崎市長が銃撃されて1人の現職市長が射殺されています。長崎市や伊勢市のように松利権が大きな自治体においては、支配層の各派の暗闘として配下の反社が利権目的で首長の命を取る仕事をしていることが分かります。

 

初代市長・加藤光徳(1948-2006)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「日本DS」と伝えられました。2代市長・森下隆生(1950-)3()市長・鈴木健一(1975-4期目)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「日本DS」「DS」と伝えられました。現在の伊勢市議会議員の定数は24人となっています。伊勢市議会の議長・品川幸久、副議長・福井輝夫、監査委員・久保真に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「DS」「プレアデスの闇」「アーク」と伝えられました。(つづく)