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カタール大会の際にサッカー日本代表の試合で八咫烏の術師だったのは森保一監督だとワークから分かりました。それでは、WBCの日本代表・侍ジャパンの決勝の試合では、誰が術を使っていたのか、です。栗山英樹監督でないことは理解しています。私には心当たりがありました。ロサンゼルスエンゼルス所属の大谷翔平の専属通訳をしている「水原一平」です。そもそも、大谷翔平が日本人なのに、通訳の水原一平が今回のWBCの日本チームのスタッフとしてベンチ入りしていることが不可解でした。

 

水原一平がWBCに呼ばれた理由をネットで探すと《Number Web》の3/6の記事『「大谷翔平の通訳さんがナゼWBCに?」水原一平氏のベンチ入りは栗山監督たっての希望だった本人が明かす「“31人目の侍の多すぎる仕事量」』を見つけました。『今回のWBCでも外国人の審判員を相手に、大事な局面で水原氏が栗山監督をサポートする場面が出てくるはずだ。新しい日本野球の象徴であるヌートバーの代表入りをきっかけに、大谷と一平さんが共にWBCでベンチ入り、というシチュエーションが叶ったというわけだ。

 

・・「水原氏の情報網」も日本代表の戦力 水原氏には、他にも特命がある。・・攻撃の場面での相手投手の攻略法だけでなく、守備の場面でも相手打者の打球の方向や癖などの情報は命綱となる。そんな局面で頼りになるのが、メジャー選手の特徴を知り尽くした水原氏の情報網というわけだ』と記載されています。栗山英樹監督の通訳と情報網のために水原一平を呼んだということです。侍ジャパンの監督・栗山英樹と通訳・水原一平は面識があり気心が知れていることは確かです。

 

栗山監督は、2012年~2021年まで日本ハムファイターズの監督でした。一方の水原一平も2012年から大谷翔平がエンゼルスに入団する2017年まで日本ハムファイターズの専属通訳でした。ただ、大谷翔平は、2012年のNPBドラフト1位で北海道日本ハムファイターズから指名され2013年の入団しています。偶然とは思えないのですが、栗山英樹、水原一平、大谷翔平の3人がほぼ同時期のタイミングで日本ハムファイターズに所属したことに目が行きます。また、水原一平については非常に違和感を覚える挙動が目につきました。

 

優勝が決まった後、ベンチに飛び出して行った選手たちを一緒に歓喜の輪の中にいたのです。この件については《Yahoo!知恵袋》で私と同じ疑問を感じている人が質問しています。『水原一平氏について皆さんどう思いますか?WBCでの日本代表には感動しましたが、水原一平氏の立ち振る舞いには疑問があります。確かに、選手の精神的なサポートやベンチ入りを監督からお願いされているからには、WBCを支えた侍の1人とされていますが、優勝が決まった時、ベンチから飛び出した輪の中に彼が居るのには違和感を感じました。

 

また、意訳が過ぎて自分の言いたい事を大谷が言っているみたいな面も出てきていると感じます。選手からの信頼は厚いと聞きますが、ベンチをちょろちょろ動き回って、どうもカメラに映りたい感じがします。皆さんはどう思いますか?』。最後は不可解のダメ押しになる出来事ですが、WBC優勝の侍ジャパンの選手でないのに水原一平に金メダルが授与されたことです。《スポニチ》の3/23の記事『侍ジャパンの水原一平通訳にも金メダル!「一生の宝物です」に「君がMVP」「世界最高の通訳」の声』で伝えられています。

 

『エンゼルスの大谷翔平投手(28)の通訳で、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では侍ジャパンの通訳を務めた水原一平氏(38)23日、自身のインスタグラムを更新。優勝メダルとサイン入りの公式ボールの写真を公開した。水原通訳は「一生の宝物です」とつづり、「#最高のチーム #最高の仲間」と添えた。水原氏はヌートバーの通訳や大会関係者との通訳として代表に帯同し、“31人目の侍ジャパンとしてチームを支えただけに、通訳ながらメダルとボールを受け取ったとみられる』。

 

通訳の水原一平が金メダルを与えられた理由をネットで調べましたが、明確な答えは見つかりませんでした。WBCの主催は、『ワールド・ベースボール・クラシック・インク(WBCI)(MLBMLB選手会)』とwikiにありますので、金メダル授与の判断はMLBMLB選手会だと思います。通訳の水原一平が金メダルを授与して美談を醸成し、最終的にMLBが金儲けに繋げるためかもしれません。しかし、個人的には、多くの日本の人たちに気づかせるための「Q」による過剰気味の演出の仕掛けだと見ています。

 

水原一平通訳の経歴はwikiに掲載されています。『水原一平(1984-)は、北海道苫小牧市出身の日本の通訳。メジャーリーグベースボール(MLB)のロサンゼルス・エンゼルスに大谷翔平の専属通訳として所属している。既婚。[経歴]6歳まで北海道苫小牧市で過ごし、1991年に和食料理人の父がロサンゼルスで板前を始めたことをきっかけにアメリカ合衆国へ移住した。2007年にカリフォルニア大学リバーサイド校を卒業した。通訳者としてロサンゼルス・ドジャースに所属していた野茂英雄の活躍によってMLBに興味を持った。

 

20122月には岡島秀樹の専属通訳としてニューヨーク・ヤンキースに採用された。しかし、岡島が仮契約中に行われたフィジカルチェックをパスできず契約解除となったことに伴い、水原の契約も解除されてしまった。2012年からは日本へ帰国して北海道日本ハムファイターズの球団通訳となり、ブランドン・レアードやクリス・マーティンなど日本ハムに所属する外国人選手の通訳や生活のサポートを務めた。2017年オフに日本ハムファイターズ所属だった大谷翔平がロサンゼルス・エンゼルスへ移籍したことに伴い、以降大谷の専属通訳としてエンゼルスに所属』。

 

wikiには、水原一平は、公私において大谷翔平と共にしている詳細が書かれています。また、《みえるニュース》には、水原一平の父親・水原英政が日ハムがアリゾナキャンプの時の食事担当になっていたことも記されています。『19歳から13年間実家のお寿司屋さんで働いていた水原英政さんは、1991年にアメリカの友人に誘われて、家族でロサンゼルスに移住をします。1991年当時、水原一平さんは6歳でした。ロサンゼルスに移住後は、和食レストランで働きます。2016年には、日本ハムファイターズのアリゾナキャンプの食事担当となった水原英政さん。

 

水原英政さんがアリゾナキャンプの食事担当になったきっかけは、息子である水原一平さんが日本ハムファイターズの球団通訳として勤めていたからです』。エンゼルスの大谷翔平の専属通訳・水原一平と父親の水原英政に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「術師」「同和」と伝えられました。やはり水原一平は術師の工作員であり、父親も工作員だと見ています。出身地の北海道苫小牧市は、缶詰所や日本軍のトーチカが置かれた場所であり、日本の支配層・八咫烏の松取り工作の拠点だったのです。(つづく)