Shinagawa_Station_-01


ハバロフスクのwikiには、『大日本帝国極東貿易はホテルレストラン 百貨店の機能を持つ複合ビルで貴金属商ローゼンベルグ商会(スイス人)と衣服、靴、雑貨などの販売をしていた』と記されており、「貴金属商ローゼンベルグ商会(スイス人)」を追及していきました。ネットで「ローゼンベルグ商会」を検索していくと《日本の工作機械を築いた人々(野田精一氏 SME東京支部 碌々産業会長)》に行き着きました。そこには、具体的に「ローゼンベルグ」の名前の人物が出てきました。

 

ESS(GHQの経済科学局)に行ってみると,出てきたのがローゼンベルグという年配の,以前は大倉商事にいたというかなりの日本通で,終戦直後に日本で徴用されたそうです。私がローセンベルグさんに事情を話しますと,まず賠償指定を解除してもらうための嘆願書を出すようにと親切に教えてくれました。そして彼は,賠償の定義というか精神を説明してくれたのです 。「賠償」とは,「ウォーベビー」つまり戦争の落とし子を取り去るのが目的である。だから,戦争遂行のためにつくった会社や工場などがその対象で,戦争以前から存在するものは対象外であるとね。

 

・・そんなことから,ローゼンベルグさんとはすっかり親しくなりました。・・そこで,半日はGHQ で仕事をして,午後はうちに来てアメリカの工作機械の輸入業務をするということから始めて,後には終日碌々産業で仕事をすることになりました。・・しかし,何しろ当時は不景気で,社長の私の月給が1万円なのに彼には4万円を払い,事務室と日本人の専従をつけることが社内で問題になってしまったのです。それで,1,2年でローゼンベルグさんも大倉商事に移らざるを得ませんでした』。

 

wikiの「貴金属商ローゼンベルグ商会(スイス人)」と上記サイトに出てくる「GHQと大倉商事にいたローゼンベルグ」は同一人物だと直感しました。ローゼンベルグは、松の缶詰を販売する裏ルートを構築していたと感じます。ローゼンベルグが働いていた「大倉商事(大倉産業)」は、大倉喜八郎が設立した会社です。《北海道 夢と頭痛が教えた近代日本の闇 ~巡礼の旅(529)~》にありますが、大倉喜八郎の長男・大倉喜七郎の分け御魂が私の魂にあり、過去世であることを伴侶が伝えてくれていました。

 

現実的に今世、大倉喜八郎が関係した会社に私も深い縁がありました。これまでに、支配層の大物である大倉喜八郎の関連の調査とワークは幾度も行ってきましたので、大倉喜八郎に関係しているローゼンベルグは、支配層の松利権ネットワークの仕事をしていたと捉えることができます。大倉商事、GHQから碌々産業(ろくろくさんぎょう)へと会社を移ったローゼンベルグの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。そうなると「碌々産業」を追究していく必要がありました。碌々産業の情報はwikiに記載されています。

 

『碌々産業は、東京都に本社を持つ微細加工工作機械及びプリント基板加工機のメーカーである。工場は静岡県焼津市にある。[沿革]1903616-初代社長、野田正一が東京銀座において「碌々商店」を創業。機械工具類の輸入販売を開始する。1912-東京月島に工場を建設。自社製品の製造・販売を開始。1929-ガソリン機関車を製作し早来軌道、江当軌道に納車。1944-大井川町(現・焼津市)に工場を建設。相川製作所と称す。1961-自社製ボール盤を米国へ初めての輸出。 1962-仏ヒューレ社と技術提携し、ヒューロン超万能フライス盤の製作を開始。

 

1965-山梨大学、富士通、碌々産業の共同による我国初のN/Cボール盤の開発に成功。1966-プリント基板専用N/Cボール盤を開発し製作・販売を開始。1970-国産初の立型マシニングセンタRMCを開発。1999-高精度高速小径微細加工機MEGA 29回中堅・中小企業新機械開発賞を受賞。2005-室温制御完全恒温精密組立工場「Area23」竣工。2006-プリント配線板加工機「Σ-Series(穴明機・ルータ機)発表。 2008-ツイン駆動方式大型高精度加工機「ZEUS-86」、5軸制御部品加工機 「RMX-50V」発表』。

 

「碌々産業」の「碌々(ろくろく)」は「66」であり、ヒントが置かれていると感じます。「666」は獣の数字とされますが、「66」も同じで裏インドの闇の役割だと捉えています。碌々産業は、ローゼンベルグと共に支配層の松利権網を構築してきており、松利権を引継いていると見ています。碌々産業の創業者・野田正一の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。碌々産業の元会長・野田精一(野田正一の長男)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。

 

碌々産業の代表取締役会長・野田謙一、代表取締役社長・海藤満東京本社所在地(東京都港区高輪)静岡工場所在地(静岡県焼津市相川)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「DS」「中国」「いいです」「いいです」と伝えられました。碌々産業の静岡工場は静岡県焼津市相川にあり、《全国のマグロのツナ缶生産量全国1位・97%シェアを誇る静岡と清水港を有する徳川家の拠点の意味》に記した徳川家の拠点を引継ぐ松の缶詰の中核の場所と符合します。また、大倉商事関連もワークの対象にしました。

 

wikiによると『大倉喜八郎(1837-1928)は、越後国蒲原郡新発田町(現・新潟県新発田市)出身の武器商人、実業家。 明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した。中堅財閥である大倉財閥の設立者。渋沢栄一らと共に、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立。東京経済大学の前身である大倉商業学校の創設者でもある』と記されています。大倉財閥の設立者・大倉喜八郎と長男の大倉喜七郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松の供給システムをつくった人」「父親の松システムを確固たるものにした人」と伝えられました。

 

wikiには『大倉商事は世界各地に事務所網を張り巡らせ、RCAやキャタピラーなど、欧米の一流会社の日本代理店に指名され、日本貿易会を構成する17社の一員として準大手総合商社でもあった。しかし平成年代に入り経営不振に陥る。1998(平成10)6月に喜八郎の曾孫・大倉喜彦(1939-)を社長に抜擢して再建の道を探ったが、8月に自己破産した』とあります。大倉喜八郎の曾孫・大倉喜彦(1939-・中央建物株式会社社長)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。(つづく)