4月24日(月)の夜、ブログ記事を書いていると左手小指と下辺りに軽い痛みが出て来ました。ワークの場所を知らせるサインだと感じました。経験的に、私の体は日本列島を意味していて、左手が能登半島を指します。左手小指は能登半島の先端の海岸沿いの辺りでした。グーグルマップの航空写真で見ると「アレクサンドル・コンスタンチーノフ|珠洲海道五十三次」と「道の駅狼煙」が目に留まりました。アレクサンドル・コンスタンチーノフの「珠洲海道五十三次」は芸術作品のようでした。
まず「アレクサンドル・コンスタンチーノフ/珠洲海道五十三次」を追究していくことにしました。「アレクサンドル・コンスタンチーノフ」のワードでネット検索すると《2017年奥能登国際芸術祭公式サイト》がヒットしました。そこには、「珠洲海道五十三次」の説明文が掲載されていました。『作品No.37 珠洲海道五十三次 ※会期終了後も野外展示を行なっています(会期中と同じ条件の展示ではありません) 屋根付きのバス停が珠洲の風景の特徴のひとつと考えた作家は、住民が普段利用するバス停を作品化することで、より際立たせることを考えた。
セルフビルドにより、珠洲市内4か所のバス停を作品化する。各バス停は、見るものの目線の移動とともに、周囲の環境を映し込み、さまざまな表情をみせる。展示エリア
広域展開 バス停(笹波口、正院、能登洲崎、珠洲川き尻)』。珠洲市内のバス停4箇所にアレクサンドル・コンスタンチーノフの芸術作品を展示しているようでした。奥能登国際芸術祭は石川県珠洲市全域で行われる国際芸術祭です。一般的には、「祭」は一見、楽しい催物と思われますが、実はトラップの闇が隠れています。
「祭」は、日本においての起源は神社の祭です。神社の祭は、多くの人たちを集めることが目的であり、その裏には、支配層の松利権が絡んでいます。「まつり」は「松利」です。多くの人を集めて、子供や女性をさらう松取り(松果体収穫)の闇が潜んでいるのです。昔は神社や寺院などの宗教施設に大勢の信者を集めるために、祭事を行っていました。それが現在では「観光名所」に変わっています。松利権を持つ支配層の権力者は、地元に多くの観光客を呼ぶために多くの観光名所を作って置いていくのです。観光名所の現場には、裏世界の工作員が絡んでいます。
奥能登国際芸術祭は、石川県珠洲市全域を会場として開催されるトリエンナーレ形式の国際芸術祭です。第1回は2017年に実施され、第2回は2020年開催の予定であったが、新型コロナウイルス感染症の影響により2021年に延期となり、奥能登国際芸術祭2020+として実施されました。第3回は2023年9月2日(土)‐10月22日(日)に開催を予定しています。石川県珠洲市は、観光に注力する自治体です。古くから大きな光の地である故に、支配層の松利権工作のエゴの闇と黄の闇(隠す闇)が置かれて封印されてきました。
石川県は、富山県と共に旧加賀藩の地であり、江戸時代には「加賀百万石」と呼ばれてきました。加賀藩が経済的に豊かな理由の1つが、支配層である藩主・前田家の隠された松利権です。《八咫烏の前田利為に繋がる日本民藝館の創設者・柳宗悦と松運びのカモフラージュとしての日本民藝》にありますが、日本民藝館の創設者・柳宗悦の自邸が旧加賀藩主前田本家第16代当主・前田利為の洋館の敷地(現・目黒区駒場公園)にあり、柳宗悦と前田利為が繋がっていたことが分っています。日本民藝という芸術作品を松利権の隠れ蓑に利用していたのです。
旧加賀藩の石川県の地は、現在も松システムの中核になっています。奥能登国際芸術祭は、加賀藩からの支配層の松利権工作の闇も引継いでいると見ています。2017年奥能登国際芸術祭で「珠洲海道五十三次」の作品が展示されたアレクサンドル・コンスタンチーノフの経歴は《Profile》に掲載されています。『1953年12月14日モスクワ生まれ。1977年にモスクワ電子数学研究所を卒業。1983 年に博士論文「非線形ランダム過程の統計的記述の機能的方法」を擁護した。多数の研究論文の著者。モスクワ州立電子数学研究所の応用数学科の教授として、30年近く数学を教えた。
1970年から1980年にモスクワのアートアトリエで受けた美術教育
ソ連時代は地下芸術家として活動。ソビエト連邦の終焉後、世界中で複数の展覧会やパブリック アート プロジェクトが開催された。2007年より建築家、ランドスケープアーキテクトとして活動。モスクワとニューヨークに住み活動していた。2019年5月20日、モスクワにて逝去』。アレクサンドル・コンスタンチーノフは他界していました。モスクワとニューヨークに在住して活動していたことから、同和の工作員と感じます。
表面上、対立関係にある米露で二股をかけて暗躍する工作員です。アレクサンドル・コンスタンチーノフの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「DS」と伝えられました。奥能登国際芸術祭2023の要人のワークを行うことにしました。《奥能登国際芸術祭2023公式サイト》には、『主催:奥能登国際芸術祭実行委員会 実行委員長:泉谷満寿裕(珠洲市長) 総合ディレクター:北川フラム(アートディレクター)』と記載されています。実行委員長の泉谷満寿裕(珠洲市長)の経歴はwikiに記載されています。
『泉谷満寿裕(いずみやますひろ・1964年-)は、石川県珠洲市出身の政治家。石川県珠洲市長(5期)。[来歴]1987年(昭和62年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年4月、野村證券に就職。1995年(平成7年)4月、同社を退社。1855年(安政2年)創業の泉谷菓子舗(実家・「いも菓子」で知られる)に転職。2003年(平成15年)11月、泉谷菓子舗代表となる。2004年(平成16年)7月、食料品卸会社の代表取締役に就任。2006年(平成18年)5月1日、珠洲市長の貝蔵治が健康上の理由により辞職。
同年6月11日に行われた市長選挙に出馬。自由民主党の推薦を受けた前助役の木之下明との一騎打ちを制し初当選した。2022年(令和4年)の市長選挙で5選』。泉谷満寿裕に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「ゴム。松喰い」と伝えられました。珠洲市長・泉谷満寿裕は工作員でしたが、もう替え玉になっているようです。総合ディレクターの北川フラム(アートディレクター)の経歴はwikiに記されています。『北川フラム(1946年-) は、新潟県高田市(現・上越市)出身のアートディレクター。
[来歴]新潟県立高田高等学校から東京芸術大学美術学部入学。仏教彫刻史を専攻。大学卒業後、1971年(昭和46年)、東京芸術大学の学生・卒業生を中心に「ゆりあ・ぺむぺる工房」を発足させ、展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に関わる。1982年(昭和57年)より代官山で「アートフロントギャラリー」を経営すると共に、アートディレクターとして国内外の美術展、企画展、芸術祭を多数プロデュースする。1997年(平成9年)より越後妻有アートネックレス整備構想に携わる。
2000年(平成12年)から開催されている「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」では総合ディレクターを務める。他、瀬戸内国際芸術祭でも総合ディレクターを務めた』。北川フラムが総合ディレクターを務めた「瀬戸内国際芸術祭」については、《ハリウッドスターも訪れるという豊島の秘密基地・アミューズ保養所》にも書いています。三浦春馬の死に絡むアミューズ保養所がある瀬戸内海の「豊島」には、豊島美術館があり、瀬戸内国際芸術祭の開催地でもありました。豊島には、戦後まもなくまで孤児院があり支配層の松取り場でした。
現在は、瀬戸内国際芸術祭などの芸術・美術イベントが支配層の松利権工作として引継がれていると見ています。北川フラムのwikiの右欄の生誕・住居・国籍の項目には『大日本帝国』の記載があります。北川フラムの出生年は1946年であり大日本帝国の時代ではなく、明らかに揶揄・改竄されていて、Qの手が入っていると捉えました。これまでにも、幾つかの松利権に関わる会社や人物の公式サイトやwikiが改竄されている事例も見ています。北川フラムに闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「DS。松喰い。ゴム」と伝えられました。(つづく)