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ジャニーズの性加害問題の当事者であるジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川の情報はwikiに記載されています。『ジャニー喜多川(1931-2019)は、ジャニーズ事務所創業者。日本名は喜多川擴(きたがわひろむ)。[生涯・出生]アメリカで生活していた事があるが、成長するまでの主な育ちは日本であり、国籍も日本とされているため日本人である。父の喜多川諦道は仏教の高野山真言宗米国別院の僧侶で、19462月から19482月までプロ野球チーム「ゴールドスター」のマネージャーだった。

 

ジャニーは次男。日本と米国の二重国籍を持っていたため、ミドルネームがあった。姉はメリー喜多川、兄はアメリカ航空宇宙局でアポロ計画の設計もしていた科学者だったが、1980年代に50代半ばで死去している。1933年に喜多川一家は日本へ移住し、大阪府大阪市で生活した。しかし間もなくして母親が死去、やがて太平洋戦争が勃発すると子供達だけで和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に疎開した。その後満年齢16歳まで日本で育った。第二次世界大戦終結後、満年齢16歳であった1947年に子供達だけでロサンゼルスへ移動し、現地の高校に入学した。

 

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジに進学。1950年に美空ひばりの育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行った。そしてロサンゼルス公演の際、父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当する。1952年に再来日し、アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11か月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、12か月間に亘って子供たちに英語を教授した。

 

再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として勤務。[ジャニーズ事務所の設立]1960年代初頭、ジャニーは自分の居住していた東京都渋谷区・代々木の在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていた。1962(昭和37)4月、自身が結成させた野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)を結成する。1962(昭和37)6月にジャニーズ事務所を創業。

 

創業当初は渡辺プロダクションと業務提携し渡辺プロを窓口としていたが、1965(昭和40)には事務所が正式に構えられる』。ジャニー喜多川のwiki情報からジャニー喜多川は工作員であることは間違いないと思いました。また、「父の喜多川諦道(たいどう)は仏教の高野山真言宗米国別院の僧侶」「和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に疎開」「美空ひばりの育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行った」「朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授」「アメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員」からジャニー喜多川は、米国・朝鮮系八咫烏の工作員だったと見ています。

 

和歌山県東牟婁郡那智勝浦町は八咫烏の本拠地である熊野三山の熊野那智大社があります。また、美空ひばりは、韓国人であることが分かっています。《"歌謡界の女王"美空ひばりとウクライナ人が絡んだ王将の創業家の背後にある日本支配層の暗黒集団》には、王将社長射殺事件の背後には松利権の現場仕事を担う同和解放同盟、工藤会の反社が存在しており、ウクライナ、朝鮮系八咫烏の工作員としての美空ひばりが絡んでいることを記しています。ジャニー喜多川の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「スパイ」と伝えられました。

 

ジャニー喜多川は、米国偵察のための八咫烏のスパイでした。ジャニー喜多川の実父・喜多川諦道が仏教の高野山真言宗米国別院の僧侶であったこともヒントになります。wikiによると『喜多川諦道(1898-1974)は、大分県出身の高野山真言宗の僧。高野山米国別院第3代主監・布教師。[来歴]大分県で生まれる。8歳で出家。13歳で高野山の普賢院に弟子入りして修行を始める。当時の普賢院の住職は、政界や財界に懇意で大隈重信もその一人。このことから諦道は大隈重信に可愛がられる。そして海外に興味を持つ。

 

1923915日に船でアメリカに渡る予定だったが関東大震災で延期。翌19242月にアメリカに渡る。ロサンゼルスの大師教会(現、高野山米国別院)に挨拶に行き参拝したところ、主監に手伝いを頼まれて滞留することになる。それから主監は帰国する。次の主監が来るまで大師教会を任されるが来なかったため、諦道が日本に住む妻を呼び寄せて3代目の主監になる。1924年から1934年までの10年間、主監を務める。ボーイスカウト第379隊を結成する。諦道は人種差別の無いボーイスカウトのスポンサーになる。この隊は米国で最も優秀と選ばれて、諦道は大統領に謁見する』と記されています。

 

仏教とボーイスカウトは支配層の松利権が絡んでいます。《松代大本営の一部建物が仏教会に譲渡され設立された戦災孤児収容施設》などにありますが、キリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教やそこから派生した宗教の源流は原始キリスト教であり、魂の光を採取する生贄という松取りの闇が伴っています。また、《磐座から繋がった横浜市のこどもの国とボーイスカウトの隠された闇》には、こどもの国、ボーイスカウトは裏に支配層の松利権が絡んでいることを記しています。いずれも、子供の支援を隠れ蓑にした魂の光を封じる仕組となっています。

 

ジャニー喜多川の実父・喜多川諦道の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「悪魔崇拝者」と伝えられました。2022/07/09の記事《ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】》には、喜多川諦道やジャニー喜多川と高野山米国別院の歴史がエピソードを交えた詳細情報が書かれています。《高野山米国別院とLAリトルトーキョーのつらい過去》によると『ロサンゼルス 高野山米国別院 宗派:高野山真言宗

 

歴史(リーフレットより)19121128日高野山真言宗開教師青山秀泰師により高野山米国別院の歴史は始まりました。2012年に開創100年を迎え、現在でもアメリカの地で葬儀や法事、初参りや厄除け開運のご祈祷なども行っております。コミュニティーとして米国別院本堂ホールの貸し出しや高野山Boyscouts、各種仏教を行い、地域における文化的営みの役割も担っています。 ・・この辺りリトルトーキョーでは日本人は強制収容され資産は没収 日本人のいなくなったこの地域に黒人の人たちが住むスラム街に 

 

そんな中でも寺院だけは接収を免れ ここ高野山と東本願寺、西本願寺は現在でも残っているとのこと』と記されています。米国カリフォルニア州ロスのリトル・トーキョーは八咫烏拠点として置かれたと感じます。『高野山は東京別院が有名ですが国際局という組織があって、海外にもロサンゼルスに米国別院 サンパウロに南米別院 台北に旧台湾別院の3つの別院があるようです 後述しますが日本からの移民者の拠りどころだったのかもしれません』ともあり、日本の支配層八咫烏は移民と共に寺院を伴わせて松利権を確保してきたと推測できます。

 

工作員の養成を兼ねた松取りの工作拠点を世界各地につくってきたのです。高野山米国別院の初代主監・青山秀泰(富山県出身)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「ここは統一の拠点」と伝えられました。ヒプノセラピー《天皇の命で裏の仕事をしていた先祖の統合》では、統一教会の「統一」の意味が伝えられました。「統一」とは「軍をまとめる」意味であり、実質的に松利権を支配することを示唆しています。それ故に、統一教会は宗教を隠れ蓑にした八咫烏の最重要工作組織なのです。

 

高野山米国別院の第10()主監・松元優樹(まつもとゆうき)高野山米国別院所在地(342 1st St, Los Angeles, CA 90012 アメリカ合衆国)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「色情。金」「いいです」と伝えられました。高野山米国別院の初代主監・青山秀泰は、松システムの中心である旧加賀藩の富山出身であり、支配層八咫烏の工作員だったことが窺えます。ジャニー喜多川の実父・喜多川諦道は、松利権が絡む僧侶であり、ボーイスカウトに深く関わっていました。この延長線上に少年アイドルグループを多数輩出したジャニーズ事務所があると感じます。(つづく)