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「市川猿之助事件」の舞台となる「歌舞伎」とは何かを追究するためには、その起源や歴史を知る必要があります。wikiに歌舞伎の情報が記載されています。『歌舞伎は、日本の演劇で、伝統芸能の一つ。1603年に京都で出雲阿国が始めたかぶき踊(踊念仏)が始まりで江戸時代に発展し、女歌舞伎から若衆歌舞伎、野郎歌舞伎と風俗紊乱を理由とした規制により変化していった。日本の重要無形文化財に1965420日に指定され、2005年にはユネスコにおいて傑作宣言され、20099月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。

 

[語源]歌舞伎という名称の由来は、「傾く(かたむく)」の古語にあたる「傾く(かぶく)」の連用形を名詞化した「かぶき」だと言われている。戦国時代の終わりから江戸時代初頭にかけて京で流行した、派手な衣装や一風変わった異形を好んだり、常軌を逸脱した行動に走ることを指した語で、特にそうした者たちのことを「かぶき者」とも言った。そうした「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いを取り入れた独特な「かぶき踊り」が慶長年間(1596-1615)に京で一世を風靡し、これが今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっている。・・

 

江戸時代には「歌舞伎」という名称は俗称であり、公的には「狂言」もしくは「狂言芝居」と呼ばれていた。また能もその一つである。「歌舞伎」「歌舞伎座」の商標は松竹が取得している。[歴史]阿国が踊ったのは傾き者が茶屋の女と戯れる場面を含んだものであった。ここでいう「茶屋」とはいわゆる色茶屋のことで、「茶屋の女」とはそこで客を取る遊女まがいの女のことである。後述するように、「かぶき踊」は遊女に広まっていくが、もともと阿国が演じていたものも上述したような性的な場面を含んだものであって、阿国自身が遊女的な側面を持っていた可能性も否定できない。・・

 

「時慶卿記」の慶長5(1600)の条には、阿国が「ややこ踊」というものを踊っていたという記録があり、「かぶき踊」は「ややこ踊」から名称変更されたものだと考えられている。しかし内容面では両者は質的に異なったものであり、「ややこ踊」が可愛らしい少女の小歌踊であると考えられているのに対し、「かぶき踊」は前述のように傾き者の茶屋遊びという性的な場面を含んだものである。・・今日でも歌舞伎の重要要素のひとつである三味線が舞台で用いられるようになったのも、遊女歌舞伎においてである。

 

当時最新の楽器である三味線を花形役者が弾き、5060人の遊女を舞台へ登場させ、虎や豹の毛皮を使って豪奢な舞台を演出し、数万人もの見物を集めたという。ほかにも若衆(12歳から1718歳の少年)の役者が演じる歌舞伎(若衆歌舞伎、わかしゅかぶき)が行われていた。男娼のことを陰間というのは「陰の間」の役者、つまり舞台に出ない修行中の役者の意味で、一般に男色を生業としていたことからも分かるように好色性を持ったものであった』。歌舞伎は歴史的にも性風俗の色合いが濃いことが分かります。

 

性風俗的には、遊女系の女歌舞伎から男色系の若衆歌舞伎、野郎歌舞伎まで幅広いです。能(能楽)と歌舞伎は狂言として同じ伝統芸能の類ですが、権力者のエゴ・欲を満たす余興であり、裏の目的は松取り(松果体収穫)のための人集めでもあります。《能楽の能舞台の「松の絵」が暗示する松果体収穫の闇と猿楽の「猿」が意味する金・エゴの支配の闇》にもありますが、能・狂言の伝統芸能は、大勢の大衆を集めて女性や子供をさらうための支配層・八咫烏の工作であり、闇が隠されたものと捉えることが出来ます。

 

個人的に着目したのが、出雲阿国が躍っていたとされる「ややこ踊(おどり)」です。歌舞伎の創始者とされる出雲阿国のwikiには、『ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を経て、現在の歌舞伎が出来上がったとされる。・・出雲国杵築中村の里の鍛冶中村(小村)三右衛門の娘であり、出雲大社の神前巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったとされている』と記されています。「ややこ踊」の意味は《コトバンク》に記載されています。

 

(1)舞台芸能となる以前から巷間(こうかん)に行われていた群舞形式の盆踊りの一種。娘や子供が踊ったので、こうよんだ。(2)「歌舞伎踊」の名称がつけられる以前、阿国らの演じていた芸能の総称。(3)初期の歌舞伎踊のなかにあった一レパートリーの称。歌舞伎成立の歴史を知るうえで、きわめて重要な芸能の一種である』。「ややこ踊」は、少女などの幼い子供の踊りであり、祇園祭に代表される神社の稚児舞に通じます。《千葉 神事という火を闇にする生贄の仕組(1) ~巡礼の旅(483)~》にありますが、稚児舞は生贄に繋がります。

 

神に捧げる生贄として幼い子供が犠牲になってきました。実際に神に捧げるのではなく、トカゲ・レプタリアンが人間に化けた天皇、大名などの支配層のトップの権力者のための生贄です。神社や寺院という宗教施設のネットワークが形成され、幼い子供の魂の光を封印する闇の仕組が構築されてきました。古くから行われてきた支配層による幼い子供の生贄は、現在も続いています。実は、6月公開予定で延期になった市川猿之助が出演する映画の劇場版 「緊急取調室 THE FINAL」に重要なヒントが置かれています。

 

来月公開予定の映画、市川猿之助さんが総理大臣の役》には、『来月公開予定の映画 市川猿之助さんが総理大臣の役なのですね あまり、宣伝もされてないような。。。(当然か)役名も興味深いです(幼い幼児ろう)・・・だけど 公開されるかな まっ、歌舞伎の世界も闇が深いので 今回のことも私たちに気づかせるための出来事なのだと思います』と書かれています。市川猿之助が内閣総理大臣の「長内洋次郎(おさないようじろう)」役なのです。4/4の「ORICON NEWS」が詳細を伝えています。

 

劇場版「緊急取調室 THE FINAL」“総理大臣”市川猿之助を佐々木蔵之介が襲う》には、『俳優の天海祐希が主演するテレビ朝日の人気ドラマを映画化した劇場版 「緊急取調室 THE FINAL(616日公開)。すでに発表されているキャストに加えて、被疑者=内閣総理大臣・長内(おさない)洋次郎役で歌舞伎俳優・市川猿之助、総理を突如襲撃する暴漢・森下弘道役で佐々木蔵之介が出演することが明らかになった。キントリ最後の戦い。まさに、相手にとって不足なしだ』。

 

長内洋次郎は「幼い幼児ろう」と読めます。「幼い幼児ろう」から連想するのは「幼児(小児)性愛(ペドフィリア)」です。長内洋次郎の名前は、決して偶然ではなく、多くの人が気づいて真実を紐解くためのピースが置かれていると感じます。非常に巧妙で面白いほのめかしの手法です。「Q」が背後につく反転した支配層は、工夫を凝らしたヒントを提供するやり方をしています。「市川猿之助事件」には、「向精神薬」「性加害」に「幼児性愛」が加わり、歌舞伎の世界には深い闇が潜んでいることが窺えます。(つづく)