チベット仏教の最高指導者のダライ・ラマは、チベットを代表する象徴的存在でもあります。チベット仏教は、7世紀、 吐蕃(とばん)王国時代にインドから伝わり、チベットを中心に発展した大乗仏教の一派です。大乗仏教とは、衆生の救済を目的とした仏教です。大乗仏教に対する小乗仏教は、個人の救済を目的とした仏教で、その乗物は小さいという大乗仏教から見た蔑視的な
言い方です。チベット仏教は、後期インド仏教の教理と密教を継承し、15世紀にゲルク(徳行)派がおこり改革が進みました。
ゲルク派は、チベット仏教で改革派のツォンカパの教えを守る一派です。戒律を守っていることを示す黄色い帽子をかぶっていたので「黄帽派」といわれました。これに対して従来のチベット仏教を「紅帽派」、ボン教の呪術を続けているのを「黒帽派」といいました。現在のチベット仏教には、ニンマ派、カギュ派、サキャ派、ゲルク派の4宗派が存在しています。ダライ・ラマはゲルク派の教主でもあります。ゲルク派が「黄帽派」といわれ、「黄の闇」の役割を担っていることが暗示されています。
「黄の闇」は、真実を「隠す闇」であり、「工作の闇」でもあります。ダライ・ラマをトップとするゲルク派がチベット仏教の政権を握っていることがチベットの地を黄の闇で覆うことになったと感じます。ゲルク派が主導権を握っているチベット仏教の隠す闇(黄の闇)の中心が、松取り(松果体収穫)です。仏教を含めた宗教は、源流となる原始キリスト教から引継ぐ裏の生贄としての松取りの闇を有しています。松取りのために多くの信者の人々を集めることをするのです。人々を集めるために崇める対象となる神仏を置いたのです。
仏教そのもの自体が、松取りの闇が潜んでいますが、チベット仏教は工作に長けていると見ています。2021年8月のヒプノセラピー《チベットのカイラス山は真実を隠すところ》には、チベット仏教の隠す闇について言及されています。『ヒマラヤのような山が見えた。カイラス山。過去世でカイラス山の巡礼をしていた。神聖な山じゃない。隠す所だった。真実を隠す所。カイラス山にはヨガの行者がいる。ヨガ行者が偉いという考えが広まる。カイラス山には100基以上のピラミッド群が発見されており、松取りが行われていた』。
チベット仏教の聖地のカイラス山は、真実を隠す場所だと伝えられています。《チベット 大ピラミッド群の証拠写真 大公開!!》には、『北京放送は3日、中国チベット自治区の奥地を調査していたロシアの科学者らによる探検調査隊が、同地域で世界最大のピラミッド群を発見したと報じた。発見したピラミッドの総数は100基以上に上り、これらを中心とする古代建築群も見つかったという。調査隊のムアルダシャフ隊長は、見つかったピラミッドについて、エジプトやメキシコのピラミッドと同様に「厳格な数学上の法則」に基づいて建築されていると語った。
天津市の「天津日報」インターネット版などはより詳しく報道しており、発見された最大のピラミッドであるエジプトのクフ王墓(高さ144.6m)を上回っていることなどを伝えた。発見場所は、ヒマラヤ山脈のすぐ北側で、インド、ネパールとの国境に近いカイラス山(標高6.656m)の周囲。ピラミッドは、いずれも石を階段状に積み上げて造られている。2000年7月5日(水)山陰中央新報より』と記されています。サイト情報によると、2000年7月にロシア調査隊がカイラス山に100基以上のピラミッド群を発見したといいます。
過去のヒプノセラピー《ピラミッドの中で奴隷の松取りをしてミイラにした》から、エジプトのピラミッドは、密室の空間で松取りを行う工作拠点だと分かっています。ピラミッドは日本の古墳にも通じます。古墳も密室空間で密かに松取りを行っていた場所なのです。ピラミッドや古墳は嘘と工作で真実が隠蔽されてきました。聖地カイラス山はチベット仏教の信者が巡礼する場所であり、多くの信者が集まります。チベットの支配層にとっては、重要な松取り場だったのです。それと同時に、カイラス山には、巡礼者の松取りを行って山を封じる仕組があったと感じます。
多くの巡礼場所や聖地を置くことで大勢の信者が集まり、人命を犠牲にした松取りによって、宗教の教祖などの支配層は金などの利益を得てきたのです。wikiには、ダライ・ラマの情報が記載されています。『ダライ・ラマは、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり、チベット仏教で最上位クラスに位置する化身ラマの名跡。チベットとチベット人民の象徴たる地位にある。その名は、大海を意味するモンゴル語の「ダライ」と、師を意味するチベット語の「ラマ」とを合わせたものである。
ダライ・ラマは17世紀(1642年)に発足したチベット政府(ガンデンポタン)の長として、チベットの元首の地位を保有し、17世紀から1959年までの間のいくつかの特定の時期において、チベットの全域をラサから統治するチベット政府を指揮することがあった』。ダライ・ラマの始祖は「ダライ・ラマ1世」です。wikiによると、『ダライ・ラマ1世(1391年-1474年)は、初代のダライ・ラマ。略名はゲンドゥン・ドゥプパ。
チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパ大師の直弟子であった。
後、ゲルク派の高僧スーナム・ギャツォ(1543年-1588年)がモンゴルのアルタン・ハーンから「ダライ・ラマ」の称号を奉られ、ダライ・ラマの制度が始まった。その際、スーナム・ギャツォは自らをダライ・ラマ3世とし、ゲンドゥン・ドゥプパを追諡してダライ・ラマ1世とした』とあります。ダライ・ラマ1世の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「支配のために置かれた象徴」と伝えられました。ダライ・ラマは、チベットの人たちを支配して暗闇の箱に入れるための闇の役割なのです。(つづく)