ハワイ・マウイ島の山火事で大部分が焼け野原と化して壊滅状態となったのが、観光地であるラハイナです。ラハイナはハワイ王国の首都でもありました。ラハイナの情報はwikiに掲載されています。『ラハイナは、アメリカ合衆国ハワイ州のマウイ島西部にある町。19世紀にはハワイ王国の首都が置かれ、捕鯨の拠点港として繁栄した。その歴史的な街並みはアメリカ合衆国国定歴史建造物地区に指定されており、観光地としても知られていたが、2023年8月に発生した山火事により、壊滅的な被害を受けた。
[概要]ハワイ州では郡以下のレベルで自治体が編成されておらず、地域を把握する単位としては国勢調査指定地域 (CDP) が使用される。ラハイナの町は、行政上はマウイ郡管下のCDPである。2020年の米国勢調査によれば、ラハイナCDPは1万2702人の人口を擁する。旅行者で賑わう繁忙期には、町の人口は4万を数えるほどに膨れ上がる事がある。おおむね1820年から1845年にかけて、ラハイナはハワイ王国の首都であった。[歴史]ハワイの統一以前より、ラハイナの地はマウイ島の王たちが好んだ居住地であった。
ラハイナは島と島を結ぶ交易の港であった。強力な王であったカヘキリ2世は1794年に没するまでラハイナを拠点とした。ハワイ諸島の統一に乗り出したカメハメハ1世(大王)は、マウイ島征服のためにラハイナに上陸した。カメハメハ1世は1810年、ニイハウ島とカウアイ島を手中に収め、ハワイ王国(カメハメハ王朝)によるハワイ諸島統一を完成させた。カメハメハ1世はラハイナに王宮を設けた。カメハメハ1世は「レンガの宮殿」と言われる西洋式の宮殿で1年余りを過ごした。1819年5月、カメハメハ1世は死去した。
王位を継いだカメハメハ2世(カメハメハ1世の子)は、1819年12月に座所をラハイナに移し、数か月間滞在した。以後1843年まで、ラハイナにはしばしば王が居を定め、ハワイ王国の首都として機能した。1820年には、島に最初のキリスト教宣教師がやってきた』。ラハイナは、1万3千人弱の人口が旅行者で賑わう繁忙期には4万人にもなるといい、観光名所という支配層の松工作拠点であることが分かります。観光の前身の松工作がサトウキビ農園と加工工場です。1860年に精糖業が勃興し、サトウキビのプランテーションが開かれて、製糖工場がつくられました。
カメハメハ1世がハワイ諸島を統一して1810年に建国したハワイ王国は、カメハメハ5世が崩御した1872年で実質的な終わりですが、正式にはアメリカ合衆国に併合された1890年が終焉となります。ハワイ王国の後ろ盾は、英国ロスチャイルド(フリーメイソン天皇派)からDS(フリーメイソン米国派)に変遷していきました。純粋の闇の役割のロスチャイルドからより重くて深いエゴの闇の役割のDSに移って行ったのです。ハワイ王国-Wikipediaには、背後の英米の存在について記されています。
『ハワイ王国は、1795年から1893年までハワイ諸島に存在した王国。先住民を弾圧していたサンフォード・ドールなどイギリス人末裔のアメリカ移民による先住民の投票を奪った選挙で起こされた1893年のハワイ革命(ハワイ併合)で立憲君主制が無理矢理廃止され、アメリカ合衆国の傀儡国家として名目上共和制のハワイ共和国となり、1898年にはハワイ準州(Territory of Hawaii)として併合されて消滅した』。先住民が暮らすハワイは、レムリア大陸のあった自然と共生した光の地でしたが、日本と同様に外部勢力の渡来人が襲撃してきました。
日本の場合、第一陣の渡来人が中国からの徐福一族で、第二陣の渡来人が朝鮮半島を経由してきた秦氏一族です。純粋の闇の役割の徐福とエゴの闇の役割の秦氏になります。渡来人は人と土地の光を封印して暗闇にする役割を担っています。ハワイ王国の場合は、第一陣が純粋の闇の役割の英国ロスチャイルドであり、第二陣がエゴの闇の役割の米国DSとなります。米国DSは、世界に支配層の松利権ネットワークを構築しました。ハワイの闇を解除・統合するために、ハワイ王国のカメハメハ1世~5世の魂を上げる必要があります。カメハメハ1世の経歴はwikiに記載されています。
『カメハメハ1世(1758年-1819年)は、ハワイ諸島を初めて統一して1810年にハワイ王国を建国し、初代国王となった人物である。カメハメハ大王の名でも親しまれる。「カ・メハメハ」はハワイ語で「孤独な人」、「静かな人」の意。なお、ハワイ語は文字を持たない言語であった関係で、古い文献などではハメハメハ (Hamehameha) と表記される例も見られる。ハワイ島のカパアウで生まれたなど諸説があり、生まれ年もはっきりしないが、いずれにしろ北西部で幼児期を過ごしていて、カパアウの町中に彼の像が建てられ、隣町のハヴィ郊外のモオキニ・ヘイアウに彼の誕生地が祭られている。
ハワイ島の首長であったカラニオプウの甥にあたるといわれる。青年期にはヒロで「ナハの石」を動かしたので、将来ハワイ全体の王様になるなどの伝説がいろいろと伝えられている。叔父の死後、その長男のキワラオを倒して島内を掌握すると、イギリスから武器や軍事顧問などの援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服していった。政敵が火山の噴火や外敵などにより壊滅状態になったことも統一に幸いした。18世紀末までにはカウアイ島、ニイハウ島を除く全地域を支配下におさめ、1810年にこの2島もカメハメハに服属して国家統一を成し遂げた』。
カメハメハ1世の妻(王妃)のカアフマヌは、ハワイを深い闇にしたキーパーソンです。カメハメハ1世の死後、副王としてカメハメハ2世およびカメハメハ3世のクヒナ・ヌイ(摂政)を務めます。ハワイ王国における土着信仰として尊重されていた禁令制度、カプ(タブー)を撤廃し、従来の階層構造、社会経済を支えていた秩序の崩壊に繋がりました。また、キリスト教プロテスタントに改宗し、ハワイ諸島からローマ・カトリック教会を排斥しました。カメハメハ1世と王妃のカアフマヌの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「レムリアの魂を持っている」「同和」と伝えられました。
カメハメハ1世は、植民地化を目的とした英国ロスチャイルドに利用されたと感じます。カメハメハ2世(カメハメハ1世の子)~5世は、比較的に短命に終わっています。カメハメハ2世(27歳で死去)、カメハメハ3世(実妹と結婚・41歳で死去)、カメハメハ4世(29歳で死去)、カメハメハ5世(カメハメハ4世の兄・42歳で死去・カメハメハ王朝断絶)の御魂が上がるよう意図して各々に光を降ろすと「レムリアの魂を持っている。殺された」「トカゲ」「ロスチャ」「無念だった。殺された」と伝えられました。(つづく)