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吉田松陰は、長州藩士としての武士思想家教育者であり、山鹿流兵学師範でもあります。一般的に明治維新の精神的指導者、理論者、倒幕論者として知られています。

 

30年という短い人生でしたが、自らが率いた私塾「松下村塾」から、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、数々の維新の志士が排出され幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を与えました。

 

20歳の時、萩藩領の日本海沿岸を防備状況視察のため旅に出ており、人生の大半を旅が占めることになります。南は熊本、北は津軽まで歩き、その総距離は1万3000キロに及んだといいます。

 

松陰は、日本列島の日本海側の海岸線を封じる闇の仕事をしていたと感じます。闇のエネルギーを降ろす「術」も使えたのでしょう。そういう意味では、松陰は、幕末のテロリストを育てたとも言われています。

 

吉田松陰を意図して光を降ろすと「同和の仕組を創った人」と伴侶が伝えて来ました。「同和の仕組」とは、2大勢力を戦わせることで日本を支配する仕組です。

 

「同和」という戦の敗者の恨み、怨念の思いを原動力にして実質的に支配の暗闇を創ることです。さらに、山口県萩市にある松下村塾のあった場所に光を降ろしました。

 

「戦うエネルギーがある。源平の元になっている」と伴侶が教えてくれました。過去のヒプノセラピーで、「日本列島は北九州と下関付近から、光と闇とに分かれたように2つに分断されている」と伝えられています。

 

吉田松陰をはじめとする幕末、維新の時代に活躍した人たちは、日本の人々が大きな光になるために、深い闇の世の礎を作ったのです。日本が暗闇を経験して来たのは、この上ない輝くを放つためです。


今、日本に生きる私たちが輝くことが、その責務を果たすことになります。2014年12月、萩市の松下村塾を訪れた際、吉田松陰から伴侶が受取ったメッセージを記します。

 

『君たちに志があるか 熱い思いがあるか 命をかけて貫きたいことがあるか この国の行く末を真剣に考えて欲しい この国の未来は君たちが創るのだ 誰かではない

君たち一人一人なのだ 君たち一人一人が決めるのだ その決意が無いものは上に立ってはいけない いやもはや立てないだろう まがいものの世は終焉を迎えているのだ 

新しい日本の幕開けが近づいている 龍の魂を引き継ぐ者たちよ どうか志をもって熱く生きて欲しい あきらめず真剣に生きて欲しい 新しく生まれ変わる日本の姿を共に描こう』
 (おわり)