izumokoku

昨日、買い物に出かけた際、「はらいそ」という名前の飲食店が目につきました。「はらいそ」というのは、どこかで聞いたことがある言葉ですが、思い出せません。

 

帰宅後にネット検索してみるとポルトガル語でした。ハライソ(パライゾ)【paraiso】:キリシタン用語で「天国」「楽園」「パラダイス」の意味だといいます。

 

この時点では、何故「ポルトガル」か分かりませんでした。さらに、カルワリオの十字架が刻まれた石碑が見つかった熊本県天草市から「島原の乱」を調べていきました。

 

「島原の乱」は、「島原・天草の乱」「天草一揆」とも呼ばれます。寛永14(1637)年から翌15年にかけて島原(長崎県)天草(熊本県)キリシタン信徒が起した一揆のことです。

 
キリシタン弾圧や過酷な年貢に苦しむ島原と天草の農民が、16歳だった天草四郎時貞を指導者として蜂起しました。約3万7千人が原城に立てこもり、幕府や諸藩の制圧軍と戦った末、ほとんどが殺害されたといいます。

 
普通に捉えると「島原の乱」は、キリスト教徒の一揆と幕府によるキリスト教弾圧という姿に映ります。しかし、「島原の乱」の本当の意味が分かって来ました。


「当時オランダとポルトガルは、オランダ・ポルトガル戦争(1603-1663)を戦っており、日本との貿易を独占して敵国ポルトガルを排除しようとするオランダの思惑もあったとされる」。

 
ウィキペディアの記述です。ポルトガルはカトリックの国、オランダはプロテスタントの国です。日本の主導権を握るキリスト教の宗派の入替えが起こったと感じます。

 
島原の乱を契機に、江戸幕府の貿易相手国がポルトガルからオランダに変わりました。個人的には、キリスト教カトリックは純粋な闇の役割、プロテスタントはエゴの闇の役割と捉えています。


長崎貿易の相手国は、イギリス、スペイン、ポルトガル、オランダに移り替わりました。1641年から1859年までオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われていたのです。

 
このことからも、日本にとって「オランダ」は、大きな影響を受けた国だと感じます。いわゆる「同和の闇」が日本に広がった要因の1つに「オランダ」があると推測しました。(つづく)