shiroishijyo

3日程前から右上の奥歯周辺が痛み、出血がありました。食事の後の歯磨きで、食べ物が詰まる歯周ポケットがあると感じていた場所です。歯間ブラシで磨くとかなり出血しました。


少し前から予感はありました。右奥歯の位置は、日本地図では「仙台」の辺りだと感じました。過去のワークで、右耳が痛んだ時に、光を降ろして闇を解除した場所が「金華山」だったのです。

 

「仙台」と言うと思い当たることがありました。1週間前、手稲資料館を見学した時、旧仙台藩の白石城主下の人たちが手稲地区の開拓をして来たと分かっていました。

 

「白石城関連の闇の解除が必要かもしれない」と感じました。ネットで北海道開拓のために移住した人たちについて調べてみました。「北海道の分領支配」という言葉がありました。

 

明治政府が諸藩に振り分けて開拓させる制度を設けたのです。明治2年7月から明治4年8月まで、開拓使が管轄する北海道を諸藩、士族、庶民の志願者に分割して支配させた体制です。

 

ウィキペディアには「開拓に熱心だったのは、仙台藩斗南藩佐賀藩の3藩と、仙台藩の伊達邦成伊達邦直片倉邦憲徳島藩稲田邦植のような士族に限られた」とありました。

 

やはり旧仙台藩が開拓の中心のようでした。しかし、実際は、戊辰戦争の負組が北海道開拓という過酷な労働を背負わされたと感じています。「白石城跡」と「片倉邦憲」のワークを行うことにしました。

 

「白石城跡」は、宮城県白石市益岡町にある平城の城跡です。中世の頃は白石氏の居城でしたが、その後、蒲生氏上杉氏片倉氏と城主が変わっています。

 

まず、亡くなった人たちの御魂を上げるために光を降ろすと「魂が上って行っている」と伴侶が伝えて来ました。再度、光が入るよう意図して光を降ろしました。

 

「因縁。カルマ」と教えられました。「片倉邦憲」にも光を降ろしました。過去に光の講座を修了者して、「伊達家」「手稲」に関わりがある兄弟の方が思い浮かびました。

 

ワークを行った後、右上奥歯の状態は落ち着いていますが、年明けに歯科医の検査をする予定です。北海道開拓と仙台は深い因縁があり、まだ解除が必要と感じています。