3日前の夕方頃から左下の奥歯、左腕、左股関節に軽い痛みが出て、軍都の闇の解除をする必要があると感じました。場所は、新潟県、富山県、石川県、鹿児島県だと思いました。
軍都をネットで調べると、新潟県は新発田市と上越市(高田)、富山県は富山市、石川県は金沢市、鹿児島県は鹿児島市と鹿屋市でした。1つ1つ、それぞれの軍隊跡地に光を降ろしました。
新発田市、上越市、富山市、金沢市は、順に新発田駐屯地(陸軍跡地)、第13師団長官舎、陸軍飛行場跡、第9師団司令部跡です。「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。
鹿児島市を調べると第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって行われた「鹿児島大空襲」があったと知りました。1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて、8回行われました。
合計で死者3,329人、負傷者4,633人の被害を出したとされます。亡くなった人たちの御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「いいと思います」と伴侶が言いました。
鹿児島県は本土最南端に位置しているうえ、鹿屋、串良、国分、出水、知覧、万世の特攻基地を設けられていたため、地方都市の中でも鹿児島市は特に空襲が激しかったといいます。
鹿屋市は、特攻隊の基地を有していました。特攻隊は、正式には特別攻撃隊と呼ばれ、敵機への体当たり攻撃を前提とした決死の任務を行う部隊のことです。
1936年に日本海軍航空隊の基地が置かれ、真珠湾攻撃訓練の中核地となり、第二次世界大戦中は特攻隊の出撃基地でした。戦後も海上自衛隊鹿屋航空基地が置かれ、現在でも国防の一大拠点都市となっています。
鹿屋海軍航空基地から908名、串良海軍航空基地から363名の特攻隊員が出撃し、その尊い命を失いました。特攻隊員の御魂が光に還るよう祈りながら特攻隊慰霊碑(小塚公園)に光を降ろしました。
鹿屋海軍航空隊基地にも光を降ろしました。「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。先人たちの犠牲があってこそ、今の私たちが存在します。戦争を二度と繰返さないこと。
そして、日本が平和な国となり、私たちが幸せになることが、先人たちへの何よりもの恩返しとなります。軍都の役割を果たした地が開かれて、日本に光が広がることを願っています。