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安閑天皇の墓所とされる古市高屋丘陵の
画像にあった「十字架が上に乗った鳥居」の意味について思案しました。「十字架」と「鳥居」から「秦氏(はたし)」が浮かびました。

 
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島へ渡った渡来人集団です。八幡神社、伏見稲荷大社、松尾大社、広隆寺などの神社寺院の創建に関係しました。

 
また、秦氏は、景教(ネストリウス派キリスト教)を日本に密かに伝えたともされます。2015年5月に大避神社に巡礼の旅で訪れ、秦氏の族長的存在の秦河勝の御魂が光に還って行きました。


ウィキペディアには、秦河勝が祭神の大避神社はキリスト教神社だったという説が記されています。秦氏は「大部分がペルシャに出自をもつキリスト教に改宗したユダヤ人集団だった」といいます。

 
秦氏について調べて行くと、大分県宇佐市の「宇佐神宮(宇佐八幡)」を拠点にしていたとありました。秦氏は、北九州から日本に入り、西方に移って行ったと感じます。

 
安閑天皇のウィキペディアに「本朝皇胤紹運録によれば子に豊彦王(とよひこのみこ:秦河勝)がいるという」と記載があります。真実とは断定できませんが、安閑天皇と秦河勝の間に何らかの関係を感じます。

 
安閑天皇は、同和の祖であり、純粋な闇を封じる役割です。安閑天皇の役割のヒントを後世に残すために、敢て十字架をつけた鳥居を作ったとも考えられます。


ネットで「鳥居」「十字架」で検索すると「小さな十字架が付けられた鳥居」の画像の神社を見つけました。宮崎県西都市にある「尾八重神社」の鳥居でした。
 

さらに、拝殿の上に刻まれたシンボルが「丸に違いの鷹の羽」という家紋のマークでした。円の中に羽をバツ印に重ねた図形です。丸に十字の印とも読めます。

 
キリスト教の十字架が示唆されます。秦氏の神の鳥のシンボルが「鷹(たか)」というネット情報もあります。安閑天皇の「閑」の漢字は、「門」の中に「木」があります。


「木」は、「十」と「人」を重ねたもので、十字架の人です。「十」の図形は、シリウス十字であり、純粋な封印、純粋な闇を示します。「閑」の字は「純粋な闇を封印した」ことを暗示しています。

 
「丸に違いの鷹の羽」から「丸に十文字」の図形としての島津藩の「丸十文」に結びつきます。島津藩が、純粋な闇を封じる同和の闇の役割に移行したことが理解できます。


純粋な闇からエゴの闇に移って行きます。深い暗闇にするために、純粋の闇の封印の上に、エゴの闇の封印を重ねていくのです。秦氏は、純粋な闇で封じる役割だったと思います。


ワークの中で「秦氏の純粋な功績は変えられている」と伴侶が話していました。闇の時代、文字で伝えられた記録は、真実を隠すためが基本ですが、真実へのヒントが残されています。


鹿児島を中心に秦氏の純粋な闇が同和の闇で封じられて来たと感じます。人間のエゴから成る同和の闇が光に還り、鹿児島の地が開かれていくことを願っています。(おわり)