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紀国屋文左衛門は、紀州みかんを
江戸に運ぶ商売を得て、後に材木商として江戸に進出して、幕府の御用達商人となったとされます。みかんという同和の闇を江戸に広げたというヒントです。

 

ウィキペディアによると、紀国屋文左衛門に関係する江戸の場所としては、江戸八丁堀、深川木場、深川八幡などが記述されていました。しかし、江戸の中心地は「日本橋」です。

 

日本の中心である首都・東京を深い闇にすることが日本を封印することになります。現在の東京は、江戸からの流れで、その中心は「日本橋」と感じています。

 

過去のワークで、多くの製糖会社や製薬会社の本社が日本橋だったことを記憶しています。「砂糖」や「薬剤」は、闇のエネルギーであり、暗闇に繋がって行きます。

 

東京が経済的に繁栄してお金が集まり、エゴのエネルギーで覆われるように仕組まれたと感じます。東京・日本橋に解除すべき闇があると感じて、ネットで調べて行きました。

 

日本橋の地名の由来となった橋梁の「日本橋」がありました。江戸時代の「府内備考」に「此橋江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められるゝ故、日本橋の名あり」との記載があるといいます。

 

日本橋には道路元標(どうろげんぴょう)」がありました。「道路元標」は道路の起終点を示す標識で、日本橋に設置された「日本国道路元標」は主要国道7路線の起点標にもなっています。

 

日本橋の「日本国道路元標」の画像を見ると、驚きました。「丸に十字」の図案になっているのです。島津氏の家紋「丸十字」と同じで、「純粋な闇をエゴの闇で封印する」意味があります。

 

「東京・日本橋から始まる道路網によって日本を封印している」と感じました。「日本国道路元標」の画像を観て、光を降ろすと「同和が終わった感じがする」と伴侶が教えてくれました。

 

さらに、日本の道路網を意図して光を降ろすと「いいと思います」と伝えて来ました。東京を同和の闇にし、日本を暗闇にした封印を解除して、ゴールだと思っていました。(つづく)