sakurajima

坂本龍馬についてネット検索で調べて行くと《兵器商社亀山社中設立【坂本龍馬】グラバー終身工作員は司馬遼太郎の竜馬ではない》に行き着きました。「上野彦馬」は、初めて聞く名前でした。


「死の商人グラバーの配下の影武者坂本龍馬は、グラバーに庇護された写真家の上野彦馬であろう」と推理されています。グラバーは、幕末に活躍したスコットランド出身の武器商人です。


上野彦馬は、幕末期から明治時代にかけて活動した写真家です。日本における最初期の写真家で、日本最初の戦場カメラマン(従軍カメラマン)としても知られています。

 

上野彦馬のウィキペディアには、幾つかの興味深いことが記載されています。長崎の蘭学者の父親の下に生まれており、オランダ人の教師の下で、科学を学んでいます。

 

長崎に上野撮影局(写真館)を開業し、坂本龍馬高杉晋作ら幕末に活躍した若き志士や明治時代の高官、名士の肖像写真を数多く撮影しました。さらに、金星の太陽面通過の観測写真も撮影しています。

 

オランダと関係していることから「同和派」と感じます。坂本龍馬の姿は、1つの写真のみを通して世の中に広まっています。写真技術を持つ上野彦馬が工作できることは明らかです。

 

上野彦馬に光を降ろすと「工作員」と伴侶が伝えて来ました。やはり、同和派の工作員でした。司馬遼太郎は「龍馬がゆく」「坂の上の雲」など坂本龍馬像を描いた作品を書いた小説家です。

 

司馬遼太郎についてネットで調べると「日本人を洗脳する工作員」の可能性を指摘するサイトがありました。ワークで司馬遼太郎に光を降ろすと「同和でした。薩摩藩のことを隠すために龍馬を仕立てた」と伝えられました。

 

歴史小説を用いた司馬遼太郎は、坂本龍馬の真実を隠し、架空の龍馬像を人々に刷り込んだのです。「薩摩藩のことを隠す」とは、薩摩藩が実質的に武器を含めた裏世界の仕事をしていたことを示唆します。

 

坂本龍馬が斬り殺されたとされる近江屋事件の黒幕について調べて行くと「大久保利通」に行き着きました。大久保利通は、薩摩藩士であり、実質的な首相に登りつめた「維新の三傑」と評される人物です。

 

私は大久保利通が黒幕であったと確信しました。大久保利通に光を降ろすと「とっても重い」と伴侶が伝えて来ました。魂が重く上がらないので、再度、全開で光を降ろしました。

 

「いいです。731の闇に通じる同和の大元と感じる」と教えてくれました。同和派の魂は、非常に思いのが特徴です。同和派のボスが大久保利通で、実働部隊の1人が上野彦馬だったと感じます。

 

仕上げとして、小説家・司馬遼太郎が薩摩の同和の闇を隠すために坂本龍馬像を仕立て上げたのです。薩摩藩の藩主・島津家の「丸十字」の家紋は、純粋の闇の「十字」をエゴの闇の「丸」で封じる意味があります。


同和派は、天皇派を操って利益を得ていました。当時、グラバー、坂本龍馬のフリーメイソン天皇派を利用して、大久保利通を代表とする同和派の薩摩藩が武器、麻薬という裏世界の利権を牛耳っていたのだと思います。(おわり)