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昨日、記事を書いた後、別のことでネット検索すると《和歌山県はかつて日本一のアヘンの生産地でした》のサイトに行き着きました。紀伊国が日本一のケシの産地だったとは知りませんでした。

 

戦前の紀州徳川家が「日本でも屈指の富豪」ということが納得できます。アヘンを生産して大金を得ていたのです。アヘンの原料は、ケシで、アヘンからモルヒネ、ヘロインが作られます。

 

アヘンを収穫する伝統的方法が「ヘラ掻き」です。ケシの未熟果(ケシ坊主)の表皮に、のうち浅い切り込みを入れると、乳液状の物質が分泌し、これを夕方、ヘラで掻き採って集め、乾燥させると黒い粘土状の半固形物になります。


この黒い粘土状の半固形物が生アヘンであり、約10%ほどのモルヒネなどのアヘンアルカロイドを含みます。昭和初期、和歌山県は日本一の生アヘンの生産地でした。


有田郡、日高郡が中心で、熊野地方でも生産されました。1928年(昭和3年)の統計では、和歌山県の農家から出荷された生阿片の量は8091.8kgで、全国の生産量の63.1%が和歌山県産でした。

 

1935年(昭和10年)には日本のモルヒネ生産額は世界4位、ヘロイン生産額は世界1位(世界の生産額の4割)となり、コカの葉から作られるコカインの生産額も日本は世界1位でした。


日本は世界一の麻薬生産国だったのです。稲の裏作でケシが栽培され、ケシ坊主から阿片汁を採取する作業は女性や子供が中心となって行い、採取時期には学校が休校となりました。 

 

ネットに《作文・小池キヨヱ「モルヒネとり」》という貴重な資料がありました。和歌山県有田郡湯浅高一の13才の少女・小池キヨヱさんが、大人にまじって阿片汁を採取する様子を記した作文の紹介です。

 

「モルヒネにようて、頭いたくなるやらわからんし、口もにがくなるよってな」「四時に起きて御飯を食べました」「小昼を食べました。私はまっ先にお茶をごくんごくんとのみますと、にがい口がこころよくなりました」。

 

仕事が終わると、五円の小づかいを親からもらえました。この五円のお金を大事に握りしめ、町に出かけ、日ごろから欲しいと思っていたものを買った。それが、子ども心に、とてもうれしかったといいます。

 

当時の五円は、現在の五千円くらいだと思います。汚れた闇の中での少女の純粋さに目頭が熱くなり、心打たれます。日本が麻薬を生産し販売していた歴史が国家ぐるみで隠されて来ました。

 

戦争期の日本の国家犯罪”阿片政策”》は、「国家ぐるみの犯罪」関係資料をひたすら隠す」「肝心の日本の阿片政策は知られていない」などから、現在の厚労省を含む政府や官僚の隠蔽・改竄体質を指摘しています。

 

戦前の阿片政策は、今なお続いていると感じます。汚れた闇を隠すために、目に見える体裁を整えるのに懸命です。日本が本来の純粋さを取戻すことを願っています。