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片倉財閥の片倉家と北海道開拓を担った伊達藩白石城主の片倉氏の関係をネットで調べると《絹の道を往く 八王子編 Vol.6》に、両者の先祖は「諏訪湖で繋がっていた」と記述されていました。

 

やはり2つの片倉は同一の先祖だったのです。実際に、現在の住所の伊那市高遠町藤沢に「片倉」という集落が存在していたといいます。諏訪大社上社本宮の裏手の神体山である守屋山の麓です。

 

また、伊達藩白石城主の片倉氏の家祖として「片倉辺命(かたくらべのみこと)」がウィキペディアに記されていました。「諏訪氏系図.続編」においては片倉氏の祖神といいます


片倉辺命は、また、長野県諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)神とされます。諏訪信仰とは、諏訪神社を中心とする神道の信仰です。諏訪神社は、全国に約25,000社あり、総本社が長野県の諏訪湖近くにある諏訪大社です。


片倉辺命は、建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)の御子神とされます。諏訪神である建御名方神からの系図には、片倉辺命と守矢氏が繋がっていました。

 

守矢氏系譜には、建御名方神から片倉辺命を経て守矢氏へ血縁の系図が記されています。守矢氏は、信濃国諏訪郡を発祥とする氏族で、代々諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)を務めてきた社家です。

 

守矢氏の家紋は、島津家と同様な丸十字です。丸十字は、光を封印する意味があります。過去のワークでは、ミシャクジ神という精霊を封じる役割だったと分かっています。


守矢氏邸(守矢資料館)内には、ミシャクジ神を祀る御頭御社宮司(おんとうミシャグジ)総社があります。諏訪大社は諏訪湖を封印する役割です。諏訪湖は、2つの構造線が交点の場所でもあります。

 

中央構造線と糸魚川静岡構造線の交わる場所が諏訪湖です。諏訪大社の4社で諏訪湖を封じることで、中央構造線と糸魚川静岡構造線を封印して来たのです。

 

2つの構造線が、精霊という光を流して広げる光のラインであるとも言えます。諏訪湖周辺の長野の地は、麻の栽培地であったことが《美麻の歴史》に記されています。


江戸時代に、美麻、神城(白馬)、北城(白馬)、中土(小谷)、津和(信州新町)、南小川(小川村)、鬼無里(長野市鬼無里)、北小川(小川村)といった長野県の各村で大麻栽培がされた記録が掲載されています。

 

麻は、光の植物であり、精霊の光に通じると感じます。片倉氏の祖神・片倉辺命は、精霊を封じる役割でした。片倉財閥は、生糸を生産することで、麻という光を封印する役割を担って来たのです。(つづく)