今日の午前中、札幌市の中心部の大通駅近くの銀行まで歩いて行きました。政府の新型コロナの緊急事態宣言が解除された翌日でしたが、思ったよりも屋外の人の出は多くない感じでした。
途中で大通公園に差し掛かった時に、左手の石造りの古い建物が非常に暗く感じました。伴侶に何かと聞くと「札幌市資料館」と分かりました。あいにく5月末まで閉館中でした。
光を降ろす必要があると感じて、敷地内の庭から札幌市資料館に光を降ろしました。「亡くなった人たちがたくさん昇って行った」と伴侶が教えてくれました。
光を降ろした後、目を開けると、建物が2段階くらい明るくなっていました。この明るい状態が本来の姿だと思いました。亡くなった人たちは、何か諍(いさか)いがあった人たちのようでした。
諍いのある亡くなった人の魂が闇となって石に宿り、石の精霊という光を封印して来たとようです。分離されたプレアデスのエネルギーと関係している闇の仕組だと感じます。
重たいプレアデスの人たちが光に統合されつつある今の時期に、封じられていた石の精霊が解放されると思いました。帰宅してネットで札幌市資料館について調べてみました。
札幌市資料館の建物は、函館から移転して設けられた札幌控訴院のために、1924年(大正13年)に建築が始まり、2年後に完成しました。下部構造は鉄筋コンクリートで、上に煉瓦を積み、外壁に札幌軟石を用いています。
札幌軟石とは、札幌市南区で産出する凝灰岩の石材です。約4万年前に支笏カルデラで発生した大規模な火砕流の噴出物が固結したものです。1871年(明治4年)、現在の札幌市南区石山地区で発見されました。
発見者は、札幌を訪れたお雇い外国人(米国人)のA・G・ワーフィールドとトーマス・アンチセルです。札幌軟石は、明治時代から昭和初期にかけて札幌市、小樽市周辺の建物の建設資材として用いられました。
札幌軟石は、大谷石よりキメが細かく適当な硬度を有していること、柔らかいため切り出しが容易であること、軽く保温性が良いことから、開拓使が利用を奨励していました。
現在、札幌軟石の採掘跡地は、「石山緑地」として公園化されています。石山緑地は、開拓の名の下で札幌の地を暗闇にした重要ポイントだと感じます。
昔から石は、精霊が封じられた闇のツールとして、様々な建築物に使われて来ました。いよいよ石の精霊の封印が解除されて、本来の光が放たれる時が来ていると感じます。