okushiri muenjima


2015年8月、奥尻島の闇の解除の遠隔ワークを行っていました。賽の河原、宮津弁天宮、球島山、勝澗山、神威山に光を降ろしていました。古くから流刑地としての奥尻島は闇が深い場所でした。


巡礼の旅の最初の頃、「奥尻島は闇が深い場所なので、直接、入ってはいけない」とサポート存在に教えられました。本来は光の場所である故に、幾重にも闇を置かれて来たのだと思います。


奥尻島は、1993年7月、200余名が犠牲となった北海道南西沖地震の津波をはじめ、自然災害にって多くの犠牲者を出していました。闇を洗うための自然の浄化だったのかもしれません。

 
今回、奥尻島の少彦名神社、硫黄鉱山跡、無縁島に光を降ろすことにしました。奥尻島の上の幌内にある少彦名神社に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。


もう1つの奥尻島の下の旧薬師村にある少彦名神社にも光を降ろすと「島の上と下に作った」と伝えられました。次に、奥尻礦山株式会社の硫黄鉱山跡に移りました。


奥尻島の硫黄鉱山は、1909年(明治42年)から1926年(大正15年)まで稼働していました。硫黄は、黄色の固体の鉱物で、エネルギー的に黄の闇として隠す闇を意味します。

 
過去のワークでは、ニビルの人たちが黄の闇のエネルギーであると分かりました。硫黄鉱山跡に光を降ろすと「光は入りました」と伴侶が伝えて来ました。

 
次に無縁島に移りました。無縁島には、神威脇に住む島の娘・歌子と能登の国から流れてきた清次郎の悲しい恋物語伝説があります。光を降ろすと「亡くなった人たちがいる」と伴侶が伝えて来ました。

 
留まっている魂が光に還るよう意図して再度、光を降ろすと「いいです。渡来人が連れてこられた」と伝えられました。次に奥尻島全体が開かれるよう意図して光を降ろしました。

 
「いいと思います」と伴侶が言いました。私は、奥尻島に薬師である蛇のエネルギー体がいると感じていましたが、解除されていませんでした。そのことを伴侶に話すと、知人かもしれないといいます。

 
土地の解放は、その土地に縁の深い人の解放と連動しています。蛇を意図して光を降ろすと「OKです」と伝えられました。蛇のエネルギー体は解除統合されました。

 
さらに、宇宙の重たい闇を意図して光を降ろすと「いいです。座薬の細長い形。ロケット型」と伴侶が教えてくれました。ワークは、さらに、松前藩と道南の日本海側のポイントに移りました。(つづく)